ぜひぜひ読んでほしい本のショートreviewをUPします!
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初夏の創作講座
  日本児童文学者協会関西センター主催「初夏の創作講座」(6月23日、エル・おおさか)参加のため、今日のレビューはお休み。

 長編教室の実作合評会。
 9編の力作が集まり、議論白熱! 充実したものとなった。私にとっても、大好きな生原稿を前に至福の時間。ここの参加された方々の作品と、今度は、出版本として出会えたら、何よりの幸せだと思う☆

 私にとって、同室していただいた、作家・中川なをみさんの、作品評は、今までの私の常識を打ち破り、今後の読書の指針ともなってくれると思われるものであったので紹介しておこうと思う。
 それは、男子高校生の性を扱ったものだった。かなりのところまで書いているにも関わらず、美しく品位を持って描かれており、また、性を介してしか描き得ない人間関係と哀しみが描かれていた。しかし、この作品は個人として面白いという視点だけで論じることはできない。この作品が商業出版を考えた時、それは「児童文学」として、倫理的制御とどう折り合うかという部分を持たざるを得ないからである。
 私にとって、それは、児童と呼ばれる読者の興味にとどまらない性を描いているか、手渡す者の嫌悪を超えた普遍性が描いているかという作品としての質をは論じることができても、さらに、その倫理的制御を越えられるかという部分は、生原稿の段階で、どう判断すればいいのかという迷いでもあった。
「SEXがテーマだと児童文学ではムツカシイ。なぜなら”児童”はSEXでは完成しないから」中川なをみさんの評は「人間を徹底的に描け」という冷静で熱いメッセージでもあった。
 私は、この評に深く感じ入ったのである。
 人間を描かねばならぬことは、あらゆる作品にいえることでもある。しかし、児童がSEXで完成しないという捉え方は、圧倒的に人間を描かなくては作品自体が完成しないということになる。
 そういう意味では、さらに書き直し熟考、推敲が必要な作品であった。テーマの素晴らしさに感じ入ってばかりはいられない。何かを打ち破らなければ生まれることのできない作品は、テーマが素晴らしいから、他の少しの欠点は後から付いてくるだろうという甘えは許されないのだと思い知った評でもあった。
 
       
| 04:12 | 講演会 | comments(4) | trackbacks(0) |
0歳〜3歳の読書
 今日は、地元のグループの打ち合わせ。会議のついでに、少し勉強会。

 今回は、0歳〜3歳の読書を考える。
 ブックスタートという言葉は、すでに定着したと思うが、なかなか直接の反応、手応えが難しい年齢だけに、新しい本の開拓と定着のためにも、理論の構築が必要であると感じている。

 母親との境界がなく、同一化している年齢。べたべたと可愛がってあげる、一緒に何かをしてあげるというだけで良いのだから、読書に結果を求めすぎないことが大切。

 この年齢の子どもが、親近感を持つのは、丸、球、という形なのだとか。
 確かに、後述のこぐまちゃんのシリーズも、ミッフィーも円形だなぁと感じ入る。

 まずは、スタンダードを!
 
 
『どうぶつのおやこ』 薮内正幸 福音館書店 196611
 ※ 可愛いあかちゃんが描かれている絵本は、結局大人が可愛いと喜んでいる絵本なのである。子どもにとって、側に頼れる大人の存在があることが大切。
 
『ぐりとぐら』 なかがわりえこ と おおむらゆりこ 福音館書店 196312
 ※ 森の動物たちの様子を自分なりに解釈する子ども。(狼は、フラミンゴのカステラを取った? それともあげようとしている?)正解はない。子どもは、自分の体験と本の内容を結びつける再現活動をしているのである。
 
『わにがわになる』 多田ヒロシ こぐま社 197702
 ※ 言葉を楽しむことによって、知的欲求は拡大する。
 
『松谷みよ子あかちゃんの本 いないいないばあ』 瀬川康男・え 童心社 196704
 ※ ねこの尻尾の位置が変わる? この年代は観察力を養う時期でもある。だが、教えたりしないように・・・。じっくり育てるために、子どもの発見を待つ。
 『松谷みよ子あかちゃんの本 おさじさん』 東光寺啓・え 童心社 196908
 ※ 向き合っている実感としての読書。読書を、もっと自由に遊びとしてとらえる。

 質問攻めにして、子どもは、自分の体験と本の内容を結びつける、再現活動を妨げたりしないように! 結果は、いつでるかわからないものとして、じっくり向き合うように!

 最後に、
 
『しろくまちゃんのほっとけーき』 わかやまけん こぐま社 197210
 子どもたちの大好きな、ほっとけーきを、しろくまちゃんが焼き上げます。
 子どもたちは、しろくまちゃんが、三回エプロンを交換していることに注目したりするものだとか。
 最後のシーン、しろくまちゃんは、いっしょに食べた こぐまちゃんと食器を洗うのだが、現在の版は、水をためたシンクに皿をつけて「ふたりで おさらを あらいます いっぱい たべたね おいしかったね」と終わります。
 しかし26版までは、下記のように、「ふたりで おさらを あらいます ほら あわの ほっとけーきだよ」となっていたとか。 
       

 環境問題などへ配慮でしょうか、興味深いとろこです。
 私の蔵書は、すでに、改訂版・・・残念!

 (4/24追記)
 こぐま社へ問い合わせた結果、改定は1980年1月だったそうです。



             しろくまちゃんのほっとけーき 




| 21:26 | 講演会 | comments(0) | trackbacks(0) |
読書会 「盆まねき」 日本児童文学者協会関西センター主催
 日本児童文学者協会関西センター主催 読書会が行われた。

 課題図書は『盆まねき』

■「もうひとつの物語−さいごにほうとうのお話をひとつ−」について


 ナビゲーター提起
 第49回(2011年)野間児童文芸賞 受賞時の選評でも、かなり物議をかもしたらしい。満場一致の受賞決定ではあったものの、この部分については、否定と容認で選考委員の意見が二分したようだ。
 「違和感を感じた」と、あさのあつこも選評の中で、意見を書いているが、他の選者も、この部分も物語に入れ込んで書くべきであったとする意見も多く、積極的肯定の選者がいないことが、私としては意外であった。
 
構成をどう考えるか。
 私は、子どもの読める長さと、情報量の関係からしても、この配置は、この形でしかなしえない最善の方法であると思っている。本文にこの部分が入れば、子どもの読めない長さのものになるか、長さを固定すると内容が薄くなってしまうのではないか。

 
意見
 参加者の意見もほぼ二分
日本人的世界観が、ぎゅっと凝縮された物語であると、楽しんでいたのに、「もうひとつの物語」を読んで、なぜここに? と、思ってしまった。テーマが、戦争になると、足りないものが多いのではないか? 評価が変わった。
かなり違和感があった。種明かしのようだし、世代がひとつ違うことで、言い訳に近いと思う。急に戦争児童文学のようになってしまう口惜しさ。
なぜ、シュンスケおじさんは死んだのかなぁというクライマックスでよかったのではないか?

●どうしても、書きたかったシュンスケおじさん。生のかたちで出さずにはいられないものだったんだろう。
●本編は、不在者をあぶりだす物語。「もうひとつの物語」は、その不在者の本当の物語。本編は、体験する物語であり、「もうひとつの物語」は、聞く物語だ。どちらも、素直に読者の胸に落とすには、この方法が最善ではなかったろうか。
あとがきとして、作者の思いを描くわけではなく、書いた人の背景として、これは本当の物語だと明らかにするわけではない。この物語に、極めて近いところのある、別の物語。小説世界と平行に存在する「もうひとつの物語」として、節度をもって共存しながらも、ずっしりとした重みがあると思った。


■物語として

フィクションを越える、ノンフィクションであり素晴らしい作品だ。
「盆まねき」という題、作者の造語であると聞いたが、イメージが豊かな題だと思う。
退屈しない構成は、見事。
いない人」を描く。月とつながっていることで描く。月を通して、居ない人の存在感を象徴的に伝える。視覚的に映像的に見えるところが良かった。

河童・なめくじ・玉、それぞれの物語として面白かったが展開がバラバラに感じてしまった。

宇宙観 死生観 寿命(どういう死に方が寿命なのか書いていない)を作者が、どう考えているのかが見えてこなかった。月が死んだ人の象徴だが、五穀豊穣で、物質的なところは書いてあるが、精神的なところは書いていない。「二度死ぬ」という言葉にもひっかかった。死後の世界が自由ではない。不自由さを感じる。生きている人に主体がある。物語性は非常に豊かであるが、死生観は書かれていない。日本の一般的に死生観をその場所その場所で都合よくつないでいるだけ。作者の死生観になっていない。芸術は自由で広げられるものだと思っている。富安陽子作品の集大成として、完成度は高い。その反面、精神性、死生観の甘さも露見したのではないか。
●死生観・月・西方浄土、日本人なら誰でも、ベースとして持っているものを上手につかっている。それが、手法としてみえてしまうかどうかが、感想の分かれ道ではないか?
●エピソードを重ねながら、シュンスケおじさんにゆっくり近づいていく。その感じが良かった。「虹」の話が、とても好き。おそらくみんながベースにもっていて、うまく受け入れていくところと、個々人のエピソードをからみあっているところが良い。

●戦争児童文学は読まれない。どう届けるかで、みんな苦労している。この物語は、子どもたちに届いていくかたちになっている。戦争を描く場合、思想化しないと危ういが、しみるものはあるだろう。しみてくるところで、子どもたちが感じることもあるだろう。

●懐かしさを感じる物語だ。そして、なんとも豊かな物語だ。
●場所や時代を上手にぼやかしている。妖怪ひとつにしても、地方によって違うものであるが、そこは突き詰められていない。(この物語は、それで良いという反論多数あり)
●日本人が誰もが好きな、「
情感」が描かれている。しかし、ナショナリティに裏打ちされた情感に、危うさを感じるも確か。(だからこそ、大好きなのだという反論も多数あり)

 参加者の、自分の書く姿勢(読む姿勢含む・・・いや、生きる姿勢と言うべきか)、そして価値観を基本にした発言が多く聞かれ、大変刺激的な読書会であった。


 最後は、キム ファンさんが、「どうしても言いたい」とおっしゃった一言で締めくくられた。
 「この作品の<地の文>の素晴らしさは、みんなの了解事項だと思う。それは、わかっているけれど、もう一度、口に出しておかなければならないことだと思い、今日はこの会に来ました。子どもたちに読みやすいということを配慮するあまり、会話だけで進行していく物語が増えてしまった現状がある。印象的な言葉を配し、それを効果的に読者の気持ちに残すために前後の文章を書く素晴らしさ。巧さ。でも、読みやすい。これはちゃんと言わないといけないと思った。」

 次回は、7月16日(海の日・祝日)である。
 ちょっとクセになりそうな楽しさだったので、ぜひ参加したいと思っている。
| 23:22 | 講演会 | comments(2) | trackbacks(0) |
ズッコケ三人組からのメッセージ
  大津市立図書館の開館30周年を記念して、那須正幹さんの講演会が行われた。
 「ズッコケ三人組からのメッセージ」とは、便利な題で、何を話しても良いという題です。会場で客筋を見て決めます・・・なんておっしゃって、のっけから会場の空気を鷲掴み!

 ■ズッコケ誕生秘話
 現在のポプラ社の社長、当時は編集者として仕事を始めたばかりの坂井宏先さんとのエピソード。
 当時は、文学の香り高い本をぞくぞくと出版していた、ポプラ社(ex 『くまの子ウーフ』『車のいろは空のいろ』) ズッコケの出版は、営業が「こんなふざけた話は、売れないのでは?」と危惧し、説得に一年かかったとのこと。
 『ずっこけ三銃士』というのが、学研の6年の学習での連載時の題名。それを、勝手に!?『それいけ ズッコケ三人組』に変えたのが坂井さんだった。
 名前は、
 それ行けスマート アメリカのスパイものをパロディにしたシュチュエーション・コメディ
 お笑い三人組 落語家・三遊亭小金馬などが出演したNHKの公開バラエティコメディ
  からとって名付けられたとのこと。
 ズッコケ という言葉をカタカナにしたセンスには、感謝しているということだ。
 三作目あたりから、子どもたちからファンレターがくるようになり、編集者から次作の催促がはいるようになった。ファンレターに、次はいつ? の言葉も増え、あとがきに「8ヶ月に1冊のわりあいで出します」と書いた。ところが、本が出来上がってきたら「6ヶ月に1冊」とある。誤植だと坂井さんは言うが、本当かどうか? ・・・しかし、子どもに嘘を付くわけにはいかないので、お盆と、暮れに出版するようになった。
 あとがきに、次の作品のタイトルをいれるようにしたことも、子どもたちには好評。まだストーリーを考えていないことが多かったのだが・・・とのこと。

 ■三人組にさせなかったこと
 三人組には、いろいろな体験をさせた。阪神大震災の後、神戸の子との文通の中での約束で、三年後には、震災の話を書くといって、実際に『ズッコケ脅威の大震災』を書いた。
 しかし、三人組に戦争体験だけはさせていない。
 最初は無意識だった。しかし、途中で、戦争中の小学校には通わせていないことに気付いた。
 戦時下では、ハチベエのような、ちょろちょろする子どもは先生にこっぴどく怒られるだろう。理屈屋のハカセは戦争の無意味さを口にして、特高に睨まれるに違いない。モーちゃんのようにゆっくりした子は、軍事訓練でほふく前進も出来ず、教官に蹴飛ばされるだろう。
 彼らは、元気で駆け回れるのは、日本が、平和で民主的だからだ。
 彼らこそ、民主主義の申し子ではないか。

 ■売れない本の宣伝を!と、那須さんは、ヒロシマ、原爆に関する本の話をした
 那須さんは、原爆投下時3歳であった。被爆者の自覚を持ったのは、中学生の時。
 クラスメートが白血病で死んだ。その二ヵ月後、被爆者検診で、血液の異常を指摘され、詳しい検査をした、結果がでるまでの、その間、思い悩んだ。良性の貧血で、原爆とは関係なかったが、子どもが生まれたときは気になったし、今でも、ガンの心配が頭をよぎる。この気持ちとは一生付き合うことになるのだろう。
 『折り鶴の子どもたち』美談ではなく、佐々木貞子に関わった人たちの思いを書いた。
『絵で読む広島の原爆』最初の絵、原爆が実際に投下された580m地点から撮った写真をもとに描かれた絵である。蝉の声をキーワードに、今の子どもたちと過去をつないだ。1枚の絵に30人くらいの証言が盛り込まれている。那須さんは、資料にあたり、客観的に物語を書き、画家の西村繁男さんは、広島に住み込み、多くの証言を聞き取り、とことん広島に肉薄して描いた。
『ヒロシマ 三部作』被爆者の、戦後の生き様を描きたいと思った。

 ■今回の東日本大震災 福島県の、原発、放射能被害について
 福島に講演に行ったとき、子どもたちには、この体験を語りついでほしいと伝えた。
 その後、6年生の子どもから感想が届き「自分は30歳になったら死ぬかもしれないと思ったけれど、放射能を浴びた那須さんが、70歳になっても元気でよかった」と書いてあった。
 子どもは、死ぬかもしれないとは考えない生き物だと思う。
 放射能は、身体だけでなく、心も傷つけるのだと思った。
 安全、安心という言葉がセットで使われることが嫌いだ。
 安全は、客観的基準であり、安心は主観的基準だ。
 この二つをセットにするから、矛盾が生まれ、そこから、排他的なパニックが起こる。

 ■ミーハーな私は、那須さんが時間の関係で、割愛せざるをえなかった絵本についてたずねた
 質問内容
 『ねんどの神さま』について。
 私は、この本が好きである。この本を読んだ時、ちょうど、中居正広・主演『私は貝になりたい』を見た後だった。なぜ、今、この映画が、リメイクされたのかと思って見たのだが、今、私たちは、やり場のない怒りを感じることが生活の中でなくなっている。この作品は、やり場のない怒りを思い出さそうとさせているのではないか? と、思い、那須さんの『ねんども神さま』にも、同じものを感じた。先ほどの話の中で、科学的に、歴史として、いろいろな角度で、戦争、広島、原爆をとらえておられますが、この、やり場のない怒りについて、どう考えておられますでしょうか?
 那須さんの回答
 私は、後味の悪い児童文学を書きたかった。この本を読んだ子どもたちは、このラストに怒るんです。私は、子どもたちに怒ってほしかった。
 戦後、私を含めた、大人たちは、自分の中にあった「ねんどの神さま」を壊しているのではないか、そう思っているのです。

 ・・・しっかり、持参の本にサインをいただいた。サインの行列待ちの間に、図書館員の方に『ねんどの神さま』を借りたいと申し出ている子どもを二人目撃! なんだか嬉しく見守ってしまった。
| 20:35 | 講演会 | comments(0) | trackbacks(0) |
季節風びわこ道場 冬の風

  季節風びわこ道場 冬の風(多賀町立図書館・滋賀県)に参加するため、28日29日のレビューはお休みです!

 自作生原稿を持ち寄っての実作合評会です。

 講師は、児童文学作家の越水利江子さんです。

 29日のお昼からは、越水先生のファンミも行われます。
 越水利江子ファンミーティング  越水利江子さんと『江』を読もう!
 
越水利江子さんを囲んでの読書会です。
  課題図書は『江 浅井三姉妹戦国を生きた姫たち


 天晴れくんのブログ「愛という名の孤独」に書かれた『江』の書評が、レポートとして使用されます。

 
http://mi-bookreview.jugem.jp/?eid=17

 帰りましたら、報告いたします。



  追記(2/2)
 すっかり遅くなってしまったが、びわこ道場の報告。
  
 合評会も、ファンミーティングもとても刺激的なものだった。
 
 やはり、『江』は、快作であるという感想を、自分自身新たにすることができた。
 中でも、特筆すべきは、妹たちに、秀吉との子の妊娠を、茶々がつげるシーンではないだろうか。言葉の選び方に嘘のない女の生き方を感じる。
 そんなことを、越水利江子さんにぶつけてみたら、子どもたちに、時代の言葉の解説に苦慮するとのこと。
 自作の著書の中で「側室」を、「妻の一人」と解説したことに触れ、
 「妾」でも「愛人」でも間違いではない。だけど、その時代の、役割と、ニュアンスを正確に伝える言葉を選びたかったとのこと。
 今の、常識に絡みとられない言葉選びに背筋が伸びる思いだった。
 ひとつの言葉が、時代と今の感覚を結ぶ。
 真実の言葉とは、ニュアンスをも含めるものでなくてはならない。
 そんな、言葉で出来上がっている『江』なのだから、面白くないはずがないではないか!

           江 浅井三姉妹戦国を生きた姫たち 

  季節風びわこ道場、オフィシャル・ブログの報告は、こちら!

             
http://biwako-dojo.jugem.jp/?eid=6

| 00:16 | 講演会 | comments(0) | trackbacks(0) |
今、古田足日を再読する
  今日は、私が属する彦根市児童図書研究グループの研修会でした。

 
テーマは、「今、古田足日を再読する」

 何かやりたいことはない? と、聞いもらったので、私が提案しました。
 なぜ、古田足日さんの作品を、みんなで再読しようという試みをしたかったかというと、
■ 「手渡すものとして」
 物語児童文学の歴史を知ることには意義がある。
 どんな本が、どんな風に影響し合い、現在があるのか。
 1950年代後半から始まる、社会性を帯びた物語としての児童文学は、業界的不況の中、絶版される傾向にあり、意識して残していかなければならない状況にある。
 名作を名作として語り継ぎ、きっちり残していく基盤を作るのは我々の責任であること。
 だから、定期的に、年代の古いものをしっかりと読み、語り、手渡していかなければならない。それには、まず、古田足日だろう!
■ 個人的に
 昨年、急逝された、後藤竜二さんと最後に交わした会話が、
 「『天使で大地はいっぱいだ』講談社版の、古田足日の解説を読んでるか?」
 だった。結果的に私にとっての遺言のような言葉になった。
 その解説には、『天使で大地はいっぱいだ』の文章のリズム、子どもの鼓動に呼応するような言葉のリズムに対する賛辞が描かれている。
 で、ここからは、全くの推測なのであるが、後藤竜二は、シンプルに抜き出すような文体で、晩年の勢いのある学校ものの作品を描きながらも、デビュー当時の、豊穣なる文体への回帰を望んでいたのではないか。
 後藤竜二が、児童文学の未来に求める何かが、その解説の中にあるのだと思った。その仮説を、私は、なんとか自分のものにしたかったということ。

 さて、目標は以上のように、たいへん大きなものでしたが、和気藹々とした会でした。
 まずは、
 古田作品を基軸にしたブックトーク
 『コロンブス物語』を中心に、「冒険と未知への到達」という側面と、「侵略、そしてその後」という側面から、数冊の絵本を紹介。古田足日の「発見という言葉はおかしい」という、まえがきにみんなでたどり着けるようなブックトークで、どう、今を生きる子どもたちに、つなげられるかを模索しました。
 
古田足日を再読する!
 まず、30年以上の長きにわたり、児童文学の手渡し手として活躍されている大先輩たちが、とても生き生きと、再読の楽しさを語り、「いまあるものを疑う精神」といった言葉や、その人なりに、一生懸命子どものことを考えている人を、なぜそうなったかを考えもせず「教育ママ」呼ぶことはおかしいとする記述への共感などに、自分が読書運動へ関わる、初心というか、若き日の理想を思い出すとの意見、再読して元気をもらったなどの意見があがりました。
 また、若い世代からは、組合の話や、暴力的教師など、時代を感じさせる表記があるにも関わらず、ちっとも古いと感じなかった。精神的には同じ問題を、現代も抱えている。母親として感じることも多かった。多角的なものの見方に、薄っぺらく社会を捉えていた自分を恥じたなどという意見もありました。
 また、子どもたちが、自分自身で考え、自治していく姿は、逆に、今だからこそ新しく、新鮮で、読むべきではないかという声もありました。
 
現代児童文学の課題
 多角的、重層的、何度も自分の思い込みが覆り、新しい(ちゃんと見えていなかった、知っているはずなのに見逃していた)ものの見方を示唆される。
 だから、楽しいと思う反面、だから、古田作品は、分厚いのだともいえる。
 今の子どもたちが、果たして、この分量を読みきれるか?
 もし、無理だという答えになるのだとしたら、少ない枚数で、読みやすい文字の大きさで、いかに、この厚みを伝えていくのか。それは可能なのか? この問いが、今後の児童文学の課題となっていくに違いない。
 なんていう話に突入・・・。だけど、最後は、少し楽観的に・・・。
 
古田足日の潮流として
 古田足日が、後藤竜二を「認めた」ように、
 後藤竜二が「認めた」若い作家の昨年度の力作を見ると、
 『モーグルビート』(工藤純子)は、古田が後藤の書く子どもの、生命力、生きる喜びを是としたように、一生懸命になるものに出会えた少女が、生きている輝きを描いている。
 『マジックアウト アニアの方法』(佐藤まどか)は、それぞれの方法を尊ぶという、古田作品の主張に通ずるものを感じる。
 こうやって、影響を受け、受け継がれていくものがあるということに、現代児童文学の可能性を感じる。

 今回、会員でない方もチラホラ聞きにきてくださってましたが、最後、図書館の方が用意して下さった古田足日作品を、皆さん数冊借りてかえって下さっていました。
 一人の作家を深めるのって楽しいですねというお声もあり、いっぱいしゃべった私も大満足。とても有意義な会でした。
| 19:06 | 講演会 | comments(0) | trackbacks(0) |
美作市文学祭 あさのあつこ氏・那須正幹氏対談
 同行した妹に、お姉ちゃんは、昔からミーハーだったと呆れられたが、もう、素敵♪と、目をハートにするしかない対談だった。
■『ぼくらは海へ』再版秘話
「日本のそれまでの児童文学は、出て行けば帰ってくるものだった。それをこの物語は外へとでていって終わる。それまでの児童文学への挑戦とかあったのですか?」というあさのさんに、「自分は、どちらかといえば、舟を作るプロセスを夢中で書いた」那須さんは答えた。
 「最後の読書指導まではしないんですよ。この物語のラストを、悲劇と読むか、巣立ちと読むかは読者の自由です。」
 近頃再版された、文芸春秋の文庫は、あさのさんがあとがきを書いている。その時、編集者から、「子どもの頃、この本読んだ。ずっと心にはりついて離れない物語だった。編集者になって、何よりも、この本を自分のために再版したかったんです。」という話を聞いたとのこと。
■だいたいはじめはくさされる・・・
 那須さんの本はだいたい、はじめは良く言われないことが多いらしい。『ぼくらは海へ』も10年くらいたって褒める人がでてきて、長生きはするものだと思ったと会場を笑わせた。
 『ねんどの神さま』も、子どもには読ませられない → 憲法9条のことをきっちり書いている。になったし、
 『ズッコケ三人組』も、あんな子どもに媚びた作品はダメだ といわれていたのが、解禁になり、その後は、ズッコケを読まない子どもは子どもらしくないといわれるようになった、とのこと。
■ズッコケ秘話
 ズッコケは、謎を解いたり冒険したり、子ども版三銃士を念頭に書きはじめた。挿絵には前川かずおさんをつかいたいというのは、編集者の意向ではあったが、お互いにイメージを刺激しあいながら作り上げてきたと思うとのこと。
 前川かずおさんは、55才で白血病で亡くなられ、25巻の未来報告が絶筆。
 その本に書かれたのは、教室の風景がかかれ、那須さんと前川さんが取材しているかのような絵であった。永遠に、ズッコケとともにあるという気持ちだったのだろう。
■ズッコケを50巻で辞めた理由
 子どもたちの感想に一因があるようだ。
 書き始めた頃は、ハチベエのような子がクラスにいるという感想も多く、製作者側の挑発にのって、幽霊屋敷を探検したとか、三人組の世界は、子どもたちの世界と地続きだった。しかし、90年代になって、私たちの出来ないことをしてくれる、三人組のような友人がほしいといった、代理体験や、理想化する感想が増えた。
 気配り、思いやりという言葉が教育現場で多く聞かれるようになった。ガキなんてエゴの塊なんだ。それが、ぶつかって丸くなる。相手の立場にたつなんて、子ども時代には無理なんだ。それを、相手を傷つけてしまったと、傷ついている子が多い現状は、どうなんだろう。もっと、好きなように進めばいいのにと思うと、那須さん。
■ミーハーな私は、ミーハーな質問をした。
 妹にミーハーと言われた限りは、ミーハーを貫く所存!?で、質問コーナーにも果敢に手を挙げる事にした。
私:「ヒロシマ三部作は、まさしく女性三代の大河ドラマで、ぜひぜひドラマ化してほしいと思っているのですが、女優さんとか、思い描いている方とかいらっしゃいますか?」
那須さん:「書いている時は、NHKの朝の連続ドラマにでもなればいいと思っていたのですが、てっぱんが朝ドラに、先になりましたからね。女優さんですね・・・靖子は、黒木瞳さんがいいです。和子は・・・女優さんの名前忘れたなぁ、吉永小百合さんでもいいけど、それだと、黒木瞳さんとの年齢の関係がおかしくなるか・・・志乃は、AKB48の中に可愛い子がいるのでその子がいいかなぁと思ったりしました。私は、いつも映像化するときは、作者出演が条件ですから、黒木瞳さんと競演できればいいなと思っています。」
 なるほど、確かに、靖子は黒木瞳さんががいいなと思うし、志乃をAKB48の中から選ぼうという那須さんの映像化への自由さは、なんとなく楽しい。
 岡山からの帰りの車中、自分なら誰をキャスティングするかという話で、妹と盛り上がったのだが、やっぱり最後は、那須さんが思い出せなかった女優さんって誰だろうという話になった。私と妹の結論は、松雪泰子さん。
 靖子・・・黒木瞳さん
 和子・・・松雪泰子さん
 志乃・・・AKB48の誰か(*^_^*)
 ついでに贅沢を言うと、和子の東京時代は戸田恵梨香さんで、志乃の父になる人は北村一樹さんあたりにやってもらいたいなぁ。
 近々巡ってくる夏。。。そんな楽しいことがあるよう願ってます!

 打ち上げでも、那須さんの示唆にとんだお話を聞くことができた。
 中でも、感銘を受けたのは、
「どうすれば、文章力のある子どもが育ちますか?」という教育現場の方の質問に、
「日記と手紙を書くようにすればいいですよ。日記は、自分の内面を掘り下げますし、手紙は伝える言葉を育てます。」とのこと。なるほどなぁ。
 他にも、「日本の教育は考える教育ばかりで、感じる教育が遅れている」とか、「子どもたちが文学を嫌いになってしまう理由に、文学で文法を教えている弊害があるのではないか。英語がグラマーとカンバセーション、文学を分けて教えるように、そろそろ、国語というものですべてをくくってしまうことをやめた方がいいかもしれない」等々・・・本当に楽しい時間だった!

                    
| 22:17 | 講演会 | comments(2) | trackbacks(0) |
滋賀・不戦のつどい「戦争と平和」・憲法9条を語る
 辻井喬さんの、最後の言葉は、見事に会を締めくくった。
「今、戦争に反対ということは、原発に反対するということです。
その時々の、具体的な問題にきっちりと対処していくことで、戦争を知らない世代の人々に、反戦の気持ちを伝えられるのではないかと思っています。」
 辻井さんは、民主主義を勝ち取ってきた世代とは違い、現代の若者はうまれた時から、民主主義の中で暮らしている。その民主主義に疑問を感じているという事実があって、それなのに、民主主義は大切と言葉で説明しても、それは理屈でしかないことを危惧するとおっしゃった。我々の世代が、どう感じているかを具体的に示し、日常の感性として伝えなければならない。
 そして、茨木のり子さんの詩「わたしが一番きれいだったとき」の一文
 「誰もやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
 男たちは挙手の礼しか知らなくて
 きれいな眼差だけを残し皆(みな)発っていった」
の部分を紹介され、この詩には、どこにも戦争反対と書いていないけれど、こういうものが一番強く人の心に戦争はいけないと思わせてくれるのではないか。
 それが、文学の力であると話された。

 講師は、辻井喬さん(詩人・作家)、武村正義さん(元官房長官・元滋賀県知事)、今関信子さん(児童作家)さん。
 滋賀県を愛し、自身の道でトップランナーの三方の話は、示唆にあふれていて、書きとめだしたらきりがない。

 印象に残ったことばを一言ずつ書くことにしよう。

武村正義さん 会場からの領土問題に関する質問に対する言葉
 マスコミに踊らされると、極端な政治に加担することになる。このことは、独裁者に付け入られることになる。外交に関する時は、とにかく冷静に考え対処するべきだ。

今関信子さん ご自身のイギリス滞在中の経験を語られる中での言葉
 第一次世界大戦が終わった11月11日は、戦没者の慰霊式典が開催される。
その時に、胸につけるポピーの花が、従軍した人への福祉団体によって販売されているそうだ。当時10歳だった今関さんのお子さんは、反戦の意思を込めて、ポピーを買おうとされたが第二次世界大戦中、祖父を日本軍に殺されたというクラスメイトに購入を拒否されたとのこと。そして、日本人だから、平和を一緒に願うことを許されなかったということに傷ついたご子息に、平和を願う白いポピーを教えてくれた人がいた。
 その時のことを振り返って、今関さんは言う。
「白いポピーが、赤いポピーによって埋まってしまってはならない。」


           
| 22:53 | 講演会 | comments(0) | trackbacks(0) |
杉山亮さんの「ものがたりライブ」
  お世話になっている多賀町図書館で、杉山亮さんの「ものがたりライブ」があるとのことで011-teijyuu03、場内整理等お手伝いの予定だったのだか、相変わらずの役立たずポジション。会場の下見にいらっしゃった杉山さんと立ち話をしているだけの人になってしまった。(反省)
 話は、『のっぺらぼう』ファンの私が、「日本絵本賞」と「日本絵本賞読者賞」のダブル受賞の帯が、どうしてもほしくて、複本を買った話に至る。
 最近はオバケがキャラクター化して可愛くなってしまったので、本当に怖い話が書きたかったとのこと。なるほどなぁと思う。

ライブのほうは、おなじみの「ホラ話」(失礼!)→なんでもありのストーリーテリング。
 貧乏神を祀る神社がお布施を集める秘策とは? ねずみの天ぷら(略して、ねず天)を食べたいキツネが考えた30万円奪還方法、そして、炭焼の男は、思いを残して死んだ女房に、あの世へ道連れにされないためにどうすればいいのか? の三本立て。
 あっという間の、一時間半だった。

 

                                        かっぱ
                                             
 ご存知、杉山亮&軽部武宏の「おばけばなし絵本」の最新刊(ポプラ社 201110)
 ひたひたと近寄るかっぱの怖さとかっぱ側の事情。 怖さというのは、お互いの事情が飲み込めぬままの恨みなのだと思う。最後のページの物々交換のシーンが良い。
 この後、鬼婆、化猫と続刊予定とのこと。
 特に、化猫は、陰惨な話、愛欲の世界を、どうスマートな怖さに仕上げるか考え中とのことである。油を舐める女の姿が障子に映り、キャー!!! 楽しみ♪
| 23:18 | 講演会 | comments(0) | trackbacks(0) |
第61回滋賀県文学祭
 滋賀県文学祭は、今年で61回目を迎える、日ごろの文学に関する創作活動の成果を発表する場である。
 小説・随筆・童話・詩・作詞・短歌・俳句・川柳・冠句・情歌の10部門で参加作品を募集し、芸術祭賞をはじめとした賞が渡される。
 15歳〜99歳まで、滋賀県に縁のある人々が多く参加されており、いろいろな部門間の交流も含め、楽しくも刺激的な文化祭である。

 今日は、その表彰式だった。

 基調講演は、「近江から浅井三姉妹を読み解く」 作家・畑裕子さん

 大河ドラマの影響もあって人気の浅井三姉妹だが、「浅井家の女性として」という視点から三姉妹を考えるという講演でとても興味深かった。
 「浅井三姉妹」と呼ばれるにも関わらず、どうしても、信長の姪、お市の方の娘、また秀吉の側室・秀頼の母としての茶々や、秀忠の妻としての江といった、時の権力者との結びつきの位置づけで語られることが多い。改めて言われると、確かにそうだなぁと感じ入った。
 浅井家の女性には、その時代から考えれば、驚くくらい自分をしっかり持った女性が多く排出されているとのことだ。
 跡継ぎを巡って、自己の利益より平和を願った逸話を残す蔵屋(長政のおじいさんの正室にあたる)、キリシタン信者として禁教令下布教に努めた長政の姉・京極マリアなどの話を例として話された。
 その、血脈・教育の中で、歴史に名を残す浅井三姉妹は生まれ育ったのだ。
 それが、湖国、滋賀の女性なのですよ。という、畑さんの優しくも凛とした声が胸に残った講演会だった。

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