ぜひぜひ読んでほしい本のショートreviewをUPします!
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太陽を盗んだ男
 沢田研二の主演映画を見てみたいと思った。
 恐ろしいことに廃盤・絶版系のものは、とんでもない高値で取引されている。本当に、こんなものがこんな値段で売れるのだろうか? という感じである・・・さながら三島由紀夫の本みたいだという感想を持ちながら、定価で入手できるものを手に入れた。
 「太陽を盗んだ男」
 題が素晴らしいと思った。
 そして、見終わった後は、ラスト、主人公の人生を、死によって完結させないところがよかった。安っぽいアイドル映画のように、主人公の人生をカッコよく終わらせなかったのだ。にも関わらず、薄笑いを浮かべ、放射能に侵され抜け落ちる髪と、出血を自覚しながらも、ただ、颯爽と前にすすむ、沢田研二の不可解な美しさは逸品だった。
 とんでもないことをやり遂げ、人を巻き込み、殺し、しかし、生きのびられた刹那的で小さな達成感しか得られない男。
 これは沢田研二のための映画ではない。しかし、沢田研二でしか演じられなかった人物像であり、美しさなのだと思う。
 沢田研二演じる城戸誠が、不可解な「新時代」の象徴として、存在している確かさがある。
 
 中学校教師の城戸誠(沢田研二)は、原子爆弾の製造に固執している。教師としての、普通の日常を暮らしながら、東海村の原子力発電所からプルトニウムを強奪し、自室での原爆製造に成功させた。
 城戸は、それを武器に、「9番」と名乗り、警察や政府を相手取り、野球中継の延長や、ローリング・ストーンズの来日公演の開催、5億円と次々に要求していく。
 国家を敵に、孤独な戦い。そして、交渉相手には、警察庁の山下(菅原文太)の指名をする。

「お前は何がしたいんだ?」

 手製の原子爆弾を愛おしそうになでながら、城戸は呟く。
 その姿は、原子爆弾の意思を確認する崇拝者のようでもあり、内的欲求の無いまま生きながらえている自分への自問であるようにも思える。

 狂気と虚無
 監督の長谷川和彦は、公開当時の雑誌のインタビューで、「俺たちは本当に要求のない時代に生きているんだと痛感した」と言っているようだが、まさしく、何が、確かな意思が無いのに国を脅迫し、生きている実感がないのに、死を選ぶこともなく、能力と、時間をもてあます城戸の姿は、あまりにも喜劇的で、悲劇的だ。

 原爆の兄ちゃんこと「9番」に興味を抱くラジオのパーソナリティー沢田零子こと「ゼロ」(池上季美子)を巻き込み、物語は、壮絶なカーアクション、ヘリコプターまで使った追跡劇に展開していく。

 冒頭の、伊藤雄之助のバスジャックで皇居向かいに手榴弾を身体に巻きつけて「天皇陛下に申し上げたいことがある」というシーンは、要求が人を狂わせる世代と、要求無き自意識が、人を狂気に駆り立てる沢田研二の新世代との対比のも感じることができ興味深かった。

 城戸が名乗った、「9番」は、 映画制作当時の核保有国は非公式のイスラエル、南アフリカを含めると8ヶ国。そして、核を個人所有している「オレ」が「9番」と言うわけだ。
 この発想に怖さを感じる。
 そして、人に情報を伝えるすべを持ちながら「ゼロ」と呼ばれ、名乗り、「9番」を崇拝し、愛する池上季美子の存在も。

 憂鬱を抱え、すぐれた能力と行動力があるにも関わらず、中身が何もない人物像。
 「9番」と「ゼロ」が対面するシーンで、ビルが倒れてくるといいながら、二人で高層ビルを押し戻そうとする場面がある。
 奇妙に心に残るシーンだ。

 死を抱えながら、城戸は今も生きている。
 そんな気がしてならない映画である。


              太陽を盗んだ男
                長谷川和彦 監督 1979 東宝映画
| 23:58 | DVDなど | comments(0) | trackbacks(0) |
エデンの東
 『エデンの東』を知らぬものはいないだろう。
 あの、ジェームス・ディーンの代表作である。

 1917年、カリフォルニア州の小都市サリナス。農場を経営するアダムには、双児の息子があった。兄のアーロンは真面目な優等生で、アブラという美しい恋人もあり、理想的な青春の時をおくっている。一方、弟のキャル(ジェームズ・ディーン)は、自己表現の上手くない閉じた感じのする青年で、父との関係も兄のように大らかなものとはいえなかった。
 アダムは、野菜を冷凍して東部へ送り込む計画に夢中になるが、予期せぬ汽車の足止めで大きな損害を抱えてしまう。
 そんな中、キャルは、死んだと聞かされていた母親が、生きており、いかがわしい酒場を経営していることを突き止める。
 キャルは父の損失を埋めるため、母に借りた金を元手に、戦争に乗じて値段が高騰するであろう豆を育て、大きなお金を得る。
 そして、それを父親にプレゼントしようとするのだが、父は、戦争で儲けた金を汚らわしいとはねつけるのであった。

「愛されないほど辛いことはありません。愛されないと心がねじけます。キャルがそうだったのです。彼を愛してます。彼を立ち直らせてあげて・・・」

 自分を捨てて、自分の道を歩んだ激しい妻に似ている息子。
 父と子、そして生きていく罪と、人はそれを償いながら生きるのだということ。
 永遠のテーマが高らかに歌い上げられる。

 私も、ご多分にもれず高校時代に、この映画を見た。その時の、印象は、女にモテそうな男の憂いっていうのは好みではないなというだけの陳腐なものだった。
 多感な年齢、たぶん、自分と同じ悩みを抱え、同じものを求めているはずのキャルの姿が、心に響かなかったのは、よっぽど好みでなかったに違いないとおかしくさえ思う。

 今回、この映画を再度見ようと思ったのは、マーロン・ブランドの若かりし日の映画を見る中で、マーロンがこの映画の主演のオファーを断ったというエピソードを知ったからである。
 当時、産主義者の疑いのある者を糾弾する「赤狩り」の時代、その疑いを晴らすために、仲間の映画人たちの名前を密告したエリア・サガンを、マーロン・ブランドが批判しての行動だったという。

 もし、この映画をマーロン・ブランドが演じていたら。
 青春時代、好みではないと一度片付けてしまった映画をそんな視線でみてみようと思い立った。

 マーロン・ブランドが演じたら、ここまで露骨に愛は乞わぬだろう。
 そして、ジェームス・デーンとは桁が違う、欲深い上目遣いは、想像するだけで、にやけてしまう。私にはたまらない映画になったに違いない。

 さりとて、ジェームス・デーンのように爽やかなはずはなく、こんなにも青春の名作として多くの人が特別な一作にあげるような作品にはならなかったのだろうというのが率直な感想である。
 
                         
                     エリア・サガン監督 1954年 アメリカ


| 23:49 | DVDなど | comments(0) | trackbacks(0) |
波止場
 波止場の利権。組合と言う名の支配。
 ニューヨークの波止場に働く沖仲士たちは、酒場を経営している悪らつなボス、ジョニイ・フレンドリイの暴力によって支配されていた。
 そこで働く、元・ボクサーのテリー(マーロン・ブランド)は、それをそれと知らぬまま、仲のよかったジョイの謀殺に加担してしまう。ジョイは、ボスの悪事を告発しようとしていたのだ。
 教師になるために、この町を出て女学校に通っているジョイの妹・イディと、バリイ神父は、ジョイの死の真相を暴き、波止場を正常な労働の場にしようと働きかける。
 しかし、その痛憤をよそに、更なる殺害、暴力事件が、ジョイの事件を、たぶんこれまでずっとそうであったように、闇から闇へ葬り去る方向へと動いていく。

 オレを責めるなよ・・・という言葉の通り、これまで、これが当たり前の日常だと思っていたテリーにとって、ジョイの妹・イディがかざす正義、バリイ神父の語る神と自分の存在についての言葉は、テリーの贖罪の気持ちをあおり、テリーの中の何かを目覚めさせていくのだ。

 テリーと、兄との関係。勝てる試合をボスの指示で、負け、ボクサーとして落ちぶれざるを得なかった過去。素直で義理堅いけれど、無知で無教養だった青年の顔に、知性が宿りだす瞬間を、マーロン・ブランドが見事に演じている。

 最後は、波止場は労働者のものになるわけだが、物語は、きれいごとだけでは終わらない。少女の正義の限界、大衆の弱さ、そして、正義の名のものとには多くの犠牲が腐葉土とならざるを得ない現実も描ききっている。

 中でも、唯一の安らぎの場であった、レース用の鳩の飼育部屋があらされ、鳩が惨殺されている中にうずくまるテリーの姿には、人間の正義とは、なんと多くのものを巻き込んで、正義を貫く人間に孤独を与えようとするのかと胸が痛くなる。
 
 監督のエリア・サガンはマーロン・ブランドの魅力について、外見のタフさと、その外見とはアンバランスな愛情や優しさへの強い欲求の表現だと言う。
 その通りだと、思う。
 もし、マーロン・ブランドの姿に、その強い要求に対しての、胸の痛むような魅力を感じなければ、この物語は、無知な青年の贖罪と正義への目覚めという、普遍的ではあるけれど、物足りない正論になっていたのではないかと思うのだ。 


         波止場 コレクターズ・エディション [DVD]
               エリア・サガン 監督 1954 アメリカ
| 23:58 | DVDなど | comments(0) | trackbacks(0) |
蛇皮の服を着た男
 原作・脚本:テネシー・ウィリアムズ 主演が若き日のマーロン・ブランド。
 否応なく期待が高まる中見たせいか、未消化な感は拭えない。好みの別れる作品だといえるのではないか。
 物語は、暗示的、思わせぶり、個性的。一貫したテーマはあるものの、装飾音符があまりに派手すぎて、物語に集中できない。マーロン・ブランドの美しさのインパクトがなければ、私は、ついていけない作品かもしれないと思いながら見た。

 蛇皮の服を着た男(マーロン・ブランド)は、アメリカ南部のある町に流れ着く。男は、ギターを相棒に、流しをやっていたが、あるパーティーで警察ざたになり、30歳という年齢のこともあり堅気になる決意をしたのだ。彼は雑貨屋で働くことになるが、雑貨屋の女主人レディーは彼に強く惹かれていく。二人の関係が、古い因習の残る、閉ざされた町の本性を再び炙りだす事になる。

 黒人に酒を売っただけで、焼き討ちにあい、命もぶどう園も失ったレディの父、レディの元恋人は、金持ちの娘と結婚し、妹の言動に苦労しながら暮らしている。一見、厳格に見えるレディの夫が隠している過去とは?
 何が狂気で、何が正常なのか?
 小さなコミュニティで、裁かれ、隠され、被害者と、加害者が、そ知らぬ顔で暮らしている恐怖。
 いろいろな意味で、なんとも宙ぶらりんな気持ちを残される映画であった。

          蛇皮の服を着た男 [DVD]
               シドニー・ルメット 監督 1960 アメリカ
| 23:09 | DVDなど | comments(0) | trackbacks(0) |
男たち
 戦争で負傷し、下半身不随になった男たちの、その後の物語。
 彼らにとって、戦争は終わらない。それは二度目の戦いだとプロローグで語られる。
 
 プライドと、疑心暗鬼。何故こんなことになったのかという思いと、生きていこうとする力。
 希望と絶望。
 口先だけの賛辞と、好奇の目。これ見よがしの同情。

 屈託を抱えながらも、誇り高く生きようとする男をマーロン・ブランドが演じる。
 マーロン・ブランドのデビュー作である。 
 
 この物語の魅力は、何と言っても台詞の妙であろう。
 善意や悪意といった一般論のベールに誤魔化されそうな事象を、個別のカップルが、本音で自分と向き合うことによって乗り越えていく話である。

 マーロン・ブランド演じるケンとの結婚を報告した時の、彼女と両親の会話がすざまじい。
 まず、子どもではないんだから自分の好きにすればいいという両親の言葉に、祝福を感じなかった彼女が、失敗だと思っているのかと問う。「結婚して専属の介護士になったと気づいても愛し続けられるのか」という両親。そして、純真に育ってくれたことを誇りに思うといった上で、本当にお前を愛しているなら、ケンは、お前のために結婚を断るべきだったのだと父親は言う。
 そこまでは、よくある、お互いの思いやりがすれ違うシーンなのかもしれないが、そこからの彼女の言葉には、心を動かされた。
「筋の通ったようなことを・・・ずいぶんと言葉巧みね。そうやって、若者の徴兵を反対してくれればよかったわ。」
 正論と、感情、そして言い訳、正論、感情。
 どこまでも続く、解決しない現実と希望、あるべき姿と、失ってしまった何か。
 
 彼らを鼓舞し、常に寄り添っている医師とのやり取りも逸品である。
 君たちの生きてやっているという態度にはうんざりだ。
 君が生きていくしかない。
  そんな言葉が、物語の中で、生きている。


 

            巨匠たちのハリウッド フレッド・ジンネマン 傑作選 男たち [DVD]
                 フレッド・ジンネマン 監督 1950 アメリカ
| 23:53 | DVDなど | comments(2) | trackbacks(0) |
落語名作選集 桂歌丸 『厩火事』『お見立て』
 生まれてはじめて、この人、もの凄く頭がいいんだろうなぁと憧れの気持ちをいだいたのは、桂歌丸さんに対してだった。中学校の時である。

 一言一句正確かどうかは確かめるすべはないのだけれど、テレビ番組の大喜利で、なぞかけをやっているのを見た。
 
 「消費税」とかけて「足の遅いランナー」ととく、そのこころは「政府(セーフ)は望めません」 
 「夏休み、小学生の宿題」とかけて「巨人阪神戦」ととく、そのこころは「30・31が勝負です」
 後は方は、もはや解説が必要になってしまっているのかもしれない。笑いというのも生き物なのだなぁと寂しく思う。
 当時、ファンが絶対多数であった野球球団・巨人と熱狂的なファン層を持つ阪神の試合は、テレビでも高視聴率だった。巨人のエースは江川卓で背番号30、阪神の四番打者は掛布雅之で背番号31。そして、小学校の夏休みは全国一律、7月の後半から8月いっぱい。つまり、8月31日までだったのである。

 私は桂歌丸さんが、たくさんの引き出しにしまってある、特別ではない知識をパズルのように組み合わせて、即興でなぞかけを考え、特別な言葉遊びにしてしまう様子に、ひどく感激してしまった。

 大人になって、一度見てみたいと思って桂歌丸さんの高座を浅草まで聞きに行ったが、残念ながら、お正月のご祝儀興行の豪華版で、歌舞伎でいう「顔見世」のようなものだったらしく、いろいろな落語家さんが15分ほど話しては入れ替わる。生で、歌丸師匠を拝見できた喜びはあれど、少し物足りないものだった。

 今回DVDで、ちゃんと落語をしている桂歌丸さんの姿をはじめて拝見したことになる。

 『厩火事』
 髪結いのお崎が、夫婦喧嘩のはてに、仲人のところにやってくる。亭主が自分を大切に思っているかわらかないというお崎に、仲人は、二つの事例(大切にしていた白馬のいる厩が火事になった時も、家来の無事を心配した中国の孔子の故事と、階段から瀬戸物と一緒に妻が落ちた時、妻より瀬戸物を心配して離縁された旦那の話)を引き合いに出して、亭主の本心を確かめるようにけしかける。

 『お見立て』
 お大尽の杢兵衛は花魁の喜瀬川目当てに吉原にやってくるが、杢兵衛嫌いの喜瀬川は、喜助に自分が死んだを嘘をついて杢兵衛を追い払おうとする。しかし、杢兵衛に恋焦がれるあまりに死んだのだと聞かされた杢兵衛は、墓を見舞ってやると言い出して・・・。

 いずれも、こちらの教養がある程度なければ笑えない箇所もあり、笑いと教養、知識と粋な捉え方と、物語を聞かせてもらっているというよりは、ゲームに参加している緊張感がある。
 これは、クセになりそうだ。

          NHK-DVD落語名作選集 桂歌丸
           NHK ソフトウェア
          『厩火事』 「落語特選」2009年6月23日放送
          『お見立て』「日本の話芸」2003年8月2日放送
| 22:30 | DVDなど | comments(0) | trackbacks(0) |
枝雀落語大全 第四集 饅頭こわい / 替り目
 1999年4月、天才の誉れ高かった桂枝雀さんが、自殺された時は、落語に傾倒しているわけではない私にとっても強い衝撃があった。
 詳しくご存知の方にとっては、天才が、完璧なまでの芸を自分に求める中での苦悩と、それゆえのうつ病との闘いを知っておられたのかもしれないが、時々NHKの高座などで、チラリと拝見したり、また、英語落語など新しいものにチャレンジされる先鋭的な取り組みを見聞きするだけだった私にとっては、楽天的な、才能豊かで、幸福な時代の寵児にしかみえていなかったのである。
 享年59歳であった。

 もちろん、ライブで見られた方にはかなわぬものだが、今という時代は恵まれたもので、おくれて関心をもったものでもDVDで、その芸を堪能させていただくことができる。
 今回、拝見したのは、『饅頭こわい』と『替り目』
 抱腹絶倒の話芸がもちろんだが、『饅頭こわい』の「怖いもの」披露の中で自殺しようとする女の話がでてくるが、その時の、すんなり肩を下げた時の妙な艶っぽさ、『替り目』の酔っ払いの酩酊具合。服装は、羽織を着るか脱ぐか、扇子とタオルだけの小道具、そして、座布団一枚のスペース、当然といえば当然なのだろうが、その表現力にあっという間の時間だった。

 今年は、落語に凝ってみようか・・・・。
 

                         桂 枝雀 落語大全 第四集 [DVD]

DVD解説より
          
『饅頭こわい』
昭和58年7月10日放送
MBS「笑いころげてたっぷり枝雀」(MBSミリカホール)より収録

枝雀落語『饅頭こわい』の楽しさは何といっても怖いもののたずね合いの場面ではないでしょうか。
この落語の原話は中国の笑話集『笑府』に「饅頭」として出ています。

『替り目』
昭和58年12月25日放送
ABC「枝雀寄席」(ABCホール)より収録

『替り目』という作品は、『銚子の代り目』『代り目』『銚子の代り』とも題します。
桂枝雀が、昭和五十年代の後半に手がけ出しました、比較的新しい方の作品です。
枝雀の個人的エッセンス、あるいは思い出がそのまま噺の世界に広がった作品であるといえるでしょう。
| 23:29 | DVDなど | comments(0) | trackbacks(0) |
わが母の記
 井上靖の自伝的小説の映画化。
 豊かで、クリエイティブ、自分らしく、そして、愛ゆえの束縛をそれなりに抱えながらもお互いに尊敬と配慮で支えあっている家族。
 その真ん中にいるのが、売れっ子作家の伊上洪作。しかし、伊上は、ある消化しきれていない、幼い頃の屈託を、今もまだ、母に対して抱えていた。

 自分は、母に、捨てられたことがある。

 だから、愛されていないと断言することもできず、かといってその思い出は、愛されていない証拠のようにも思える記憶の中の、母と自分。雨の中、道を挟んでみた、母と妹たちの姿、母の物言いたげな強い瞳を原風景に抱え、伊上は、母に接している。
 その、屈託と、その屈託ゆえ、今も、心のの根底にある孤独が、伊上の創作の原動力になっていることを家族は知っていて、あたたかく支えている。

 父が亡くなり、月日が流れる中、月日に磨耗させられるように壊れ始めた母・八重。その母の面倒を見るようになった、伊上は、自分の心に住み着いた、強い思いだけをくり返し語り始めた八重の、偽りのない生の言葉に触れるようになる。その、記憶と向き合うことになった伊上は、子どもの頃に知るすべもなかった、大人の配慮を知る。、漠然と覚えていた凝りのような記憶が、その母のやるせない配慮と、ふと重なる瞬間、伊上は、母の苦悩と、自分への愛を確かめることになるのだ。

 大きな事件が起こるわけではない。豊かな家族の平穏な日常を追いながら、伝わらなかった思い、伝えられなかった思いが静かに影を落とす様を描く。
 小説家として成功しながらも、胸の傷を抱え続ける伊上を演じた役所広司、伊上に全身でぶつかりながら成長していこうとする末娘を演じた宮崎あおい。その家族の中で、歴史と思いを残したまま、壊れていく母を樹木希林が、愛おしさと哀しさ両面から演じ、地味だといわせない迫力をみせている。
 家族は、人間の集合体である。その当たり前の事実が、胸を揺さぶる作品である。

 ペンは一本、箸は二本
 だから、小説で家族を養うのは難しいというようなことを、伊上が言うシーンがあるのだが、なんだかリアルな例えで面白かった。

          わが母の記 [DVD]
                  原田眞人 監督 2012 松竹
| 23:53 | DVDなど | comments(0) | trackbacks(0) |
アルゲリッチの音楽夜話
 アルゲリッチの名前は知らぬはずがなかった。しかし、ピアノの音が好きだというだけで、なんのこだわりもなかった私には、その世界での屈指の存在であるという漠然とした認知でしかなかった。
 そんな彼女の名前をインパクトをもって胸に刻み込んだのは、1980年の第10回ショパン国際コンクールである。
 審査員であったアルゲリッチは、イーヴォ・ポゴレリチが本選に選ばれなかったことに抗議し、審査員を辞退したのだ。アルゲリッチの「審査席に座ったことを恥じる、だって彼は天才」という言葉は、ポゴレリッチの華麗な容姿、個性的な(十代になったばかりだった私には、反逆的と思えた)演奏と共に、私の心を虜にしたのである。

 さて、前置きが長くなったが、そんなアルゲリッチのインタビューと、リハーサルも含めた演奏風景を堪能できるのが本作である。インタビュー嫌いで知られる彼女が、実にチャーミングな表情で、魅力的な言葉を奏でている。
 
 印象に残った言葉は、下記。

 成行きが多いわね。「私は、この曲を弾きたいから、この曲を弾く」という具合にはいかないの。私の中できちんと整理されていないから。それが私の生き方。

 プロコフィエフの演奏は簡単。愛されているから。一度も意地悪されたことないわ。

 コンサートをキャンセルしたら「どうなるか」を確認したくて、自らの指を傷つけた若かりし日を振り返りつつ、天才の苦悩と、幸福感を神々しく語る。
 
 見終わった時、数々の珠玉の言葉が、演奏をもっと聞きたい、見たいという渇望に変わる作品である。

           アルゲリッチの音楽夜話 [日本語解説書付輸入DVD] (Martha Argerichi Evening Talks a film by georges Gachot)
 ジョルジュ・ガショ監督 インタビューの収録日時はあかされていないが、2000年と推測されている・・・らしい。2002年イタリア賞など数々の賞を受賞したとあるので、発表はその間と言うことだろうか・・・。

 マルタ・アルゲリッチ Martha Argerich
 アルゼンチンのブエノス・アイレス生まれ。5歳からヴィンチェンツォ・スカラムッツァのもとでピアノを学び、神童ぶりを発揮。8歳でモーツァルトとベートーヴェンのピアノ協奏曲を弾いてデビューした。1955年ヨーロッパに渡り、マガロフ、グルダ、ベネデッティ=ミケランジェリなどに師事。57年にブゾーニとジュネーヴの国際ピアノ・コンクールに優勝して以来、活発なコンサート活動を開始。65年にショパン国際コンクールに優勝し、彼女の世界的な評価を決定的なものにした。
| 20:34 | DVDなど | comments(0) | trackbacks(0) |
乱暴者 あばれもの
 マーロン・ブランド主演の暴走族映画。
 バイク、ファッション、そして、反抗的でありながら、傷つきやすい若者の姿は、まさしくアイドル映画の王道というイメージだ。 

 黒い皮ジャンパーのオートバイの一団が、レースに乱入し、トロフィーをかっさらって去っていくところから物語りは始まる。
 小さな田舎町で、酒場兼カフェで狼籍をふるまう彼らのなかに、無口なヘッドのジョニー(マーロン・ブランド)がいる。はウェイトレスのキャシー(メアリー・マーフィー)を口説き、トロフィーをプレゼントしようとするがキャシーは受けつけない。
 別のオートバイ集団との争いと、警察と土地の名士の権力争いが二重構造になり、それぞれの矛盾を描き出していく。
 いつか、こんな退屈な田舎町から、誰かが自分をさらって逃げてくれる願いを持ちながらも踏み切れない何かがあるキャッシー。
 キャッシーが、その思いとほのかな好意を、ジョニーにぶつけるわけだが、そのシーンが逸品だ。
 ジョニーは、キャッシーを無理やりのシュチュエーションで抱きしめる。キャッシーは嫌がらない。「嫌がらなくてごめんなさい」というキャッシーの強い言葉に、ジョニーは戸惑う。
 無理やり手に入れたいのは何なのか? それは、愛ではなく、無理やり手に入れたという事実なのだということが白日にさらされるのだ。
 ジョニーは、彼がキャッシーによからぬ振舞をしたと誤解した目撃者に通報され、群集のリンチに会い、警察に捕まってしまう。
 誤解は解け、釈放され、仲間とともにオートバイにのって去って行くジョニー。
 しかし、最後、キャッシーの店にジョニー1人が帰ってくる。キャシーの傍に座って、コーヒーを飲みながら、表を見つめる。
 振り向きざま、彼はキャシーにはじめて笑顔を見せた。キャシーもつられて微笑む。
 笑顔の余韻だけを残し、ジョニーはまたオートバイの轟音とともに去っていくのだった。

 マーロン・ブランドの最後の笑顔。その魅力だけで、見る価値のある映画だと思う。

                ブロマイド写真★『乱暴者』マーロン・ブランド/カラー/バイクに乗る
                      ラズロ・ベネディック 監督 アメリカ映画 1953
| 01:17 | DVDなど | comments(0) | trackbacks(0) |