ぜひぜひ読んでほしい本のショートreviewをUPします!
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悲しみよこんにちは
 言わずと知れたフランソワーズ・サガンが書いたベストセラー小説の映画化。
 当時、19歳だったジーン・セバーグを「セシルカット」という言葉と共に一躍スターダムにのし上げた映画でもある。
         
 南フランス、リビエラの別荘で、セシール(ジーン・セバーグ)は17歳の夏を、魅力的で自信家、金持ちで、誰よりも自分を愛している父のレイモン(デビッド・ニーヴン)と、その愛人エルザ(ミレーヌ・ドモンジョ)と三人で過ごしている。
 ところが、そこへ亡き母の親友でもあるデザイナーの「お高い」アンヌ(デボラ・カー)がやってくることになり・・・。
 父と、アンヌの恋。今までの、父の愛人とは全く違う、アンヌの知性と真っ当さ。そして結婚の約束。
 セシールは、自由な父を変えようとし、自分にも母親気取りで干渉してくるアンヌに反発を感じ、その衝突の場面で、アンヌを選ぶ父の様子に激しいジェラシーを感じる。
 セシールの、少女らしい気持ちの動きと残酷さ。
 アンヌのキャリアと強さに似合わぬ、傷つきやすさ、そしてプライド。
 立場も、年齢も違う二人の「少女」が、夏の太陽の下で、一人の男を巡ってぶつかった時、それは、死によってしか幕がおろせない、結末の無いドラマになるしかなかった。
 
 再び、セシールは、父の暇つぶしのような愛人と、今を過ごしている。
 父は、今の愛人に飽きたと、セシールに言い。あの夏、アンヌに出会うまでに言っていたように、セシールこそ最愛だという。
 だけど、時は戻らない。
 二人の間には、けっして言葉にされることのない、あの夏がある。

 別荘での様子が、カラーで、現在が、白黒の映像・・・セシールの心情が表れている。
 後悔にも、達成感にも、なにものにも昇華しなかった、あの夏の、引きちぎられたような思いがある限り、セシールは、意味のない日常を刹那的に過ごし、もう誰も愛せないのかもしれない。
           
 「BONJOUR TRISTESSE」

            悲しみよこんにちは [DVD]
              オットー・プレミンジャー監督  1958年 アメリカ
| 21:43 | DVDなど | comments(0) | trackbacks(0) |
サガン   悲しみよ こんにちは
 「自由を定義したら、それはもう自由ではないわ」

 シルヴィ・テステューが、サガンの人生を演じている。
 それは、自分の人生に何の規制ももうけず、しかし、孤独で、不自由に生きたフランソワーズ・サガンという生き方に対する、愛をもったアプローチともいえる。

 処女作『悲しみよ こんにちは』がベストセラーになり、億万長者になったサガン。彼女のお金を、文字通り湯水のように使うトリマキたち。ギャンブル、コカイン、二度の結婚と離婚、借金、同性愛、生死をさまよう自動車事故。
 その疾走感、危うさ、孤独は、見るものに、極めてピュアな、哀れみと、ジェラシーという相反する感情を抱かせる。

 私は、サガンを、小説とポートレートでしか知らないが、内気そうに微笑む立ち姿や、神経質そうに髪を触る姿。嫌われることがわかっていても、言ってしまう言葉。強いと思われることへの自負と恐怖。彼女の小説を読んでいないファン。そして、小曲だという評価。サガンは、自分の作品の小さな評価に傷つき心を乱す。
 波乱と虚飾に彩られた、孤独に満ちた映画だ。

 深い共感や自己投影ができるようにはつくられていない。
 サガンの生き方を眺めながら、自分を感じるしかない。

「 書くことは 危険な情事に似ている
 官能的な衝動だ
 妥協を知らない魅力的な男と−
 関係を持つのと同じだ
 時にためらい 時に勇気をもって近づく
 自分を裸にして 登場人物と1つになり−
 考えを共有する
 それを書くために−
 部屋で白い紙に向かう
 想像力が奔馬のように 頭を駆けめぐる
 駄馬でもいい 調子外れの曲でもいい 」

 書くこと・・・その行為さえ、サガンを幸福にはしてくれない。
 



              サガン-悲しみよ こんにちは- [DVD]
                 ディアーヌ・キュリス 監督 2008年 フランス


         
           こちらは、実際の。フランソワーズ・サガンの肖像☆
      
| 23:26 | DVDなど | comments(0) | trackbacks(0) |
チャンピオン伝説 世界ヘビー級を制した5人の王者たち
 モハメド・アリ、ジョー・フレージャー、ジョージ・フォアマン、ケン・ノートン、ラリー・ホームズ。
 世界ヘビー級を制した5人の偉大なる王者たちの闘いの軌跡を追った傑作ドキュメンタリー。

 同じ階級に、これだけのボクサーが、揃っているのだ。
 その時代のボクシングが面白くないはずはない。
 
 私がリアルタイムで知っているのは、全盛期を過ぎたアリの姿だ。最強という言葉にふさわしいのは、ジョージ・フォアマンだという思いが強い。
 アリは、すでに伝説だった。
 ハワイでの、信号待ち、横につけたオープンカー、褐色のハンサムガイ。父の思い出話の華やぎとともに、アリは、私にとって、一人のボクサーという存在を超えて、伝説だった。

 すべてダイジェストではあるが、キンシャサの奇跡をはじめ、多くの試合が収録されている。
 アリのボクサーとしての経歴を堪能するにも、一人のボクサーとしての存在を超えた波乱の人生を振り返るのにも、少し物足りない142分。
 
 しかし、カリスマという言葉が安易に使われすぎる現代。
 本当のカリスマとは、アリのことを言うのだと思い知るには充分な映像。
 そして、時代とアリの戦いにも心魅かれる。

 オレほどハンサムだと、謙虚にはなれない。 

 5人の王者が再会し語り合う「王者たちの晩餐会」は、やんちゃ坊主然とした大人たちの、じゃれあいが感動的ですらある。 



              チャンピオン伝説 超完全版 ~世界ヘビー級を制した5人の王者たち~ [DVD]

   明記はされていないが、アリが47歳と語るシーンがあり、1989年頃の映像と思われる。  
| 21:59 | DVDなど | comments(0) | trackbacks(0) |
快傑ジュリーの冒険
 よくわからない題名と、けっして素敵とは言えないジャケット。
 しかし、インターネットの時代とは便利なものである。
 これが何かを瞬時に知ることができる。

 古いCDを引っ張り出して歌を聞き、その勢いで、「太陽を盗んだ男」(参考 
http://yukareview.jugem.jp/?eid=487 ) という映画をみて、今更ながら、沢田研二というアーティストの表現力にホレボレしてしまった。
 沢田研二といえば、衣装の美しさや振りの奇抜さが印象深くあるが、当時のステージを、今見たらどんな感想を抱くのであろうか? そんな好奇心から手に入れたのが、このDVDだ。
 バラエティー番組の歌のコーナーをつなぎ合わせただけの、極めて乱暴で粗雑なものである。
 
 しかし、この乱暴で粗雑な映像が、どにかく凄い!
 1976-1987年(28-39歳)の沢田研二のライブの様子をフルコーラスで見ることができるのだが、1曲5分に満たないドラマは圧巻である。
 沢田研二という主人公、素材、表現力もさることながら、スターをスターとして魅せようとする映像、カメラワークも興味深かった。
 映像美とは言わない。
 多分、美しさだけを競うとするなら、技術の問題として、現在に勝てようはずがない。しかし、沢田研二という大スターを被写体としながら、執拗に、手袋をぬいでポケットにねじ込む手だけを追いかけたり、少し汗ばんだ耳を横から大写しにする度胸は丁寧なコミュニケーションあったればこそではないか。
 なんとも美しく色っぽい。視線に、指先に、身体の動きに、リズムを添わせながら、ただただ感心するしかない映像である。
 
 

                  快傑ジュリーの冒険 [DVD]
    2002 DVD発売  テレビ番組「ドレミファドン」の歌の部分をつなぎ合わせたもの。

1. コバルトの季節の中で 1976
2. さよならをいう気もない 1977
3. 勝手にしやがれ 1977
4. 憎みきれないろくでなし 1977
5. サムライ 1978
6. ダーリング 1978
7. LOVE(抱きしめたい 1978
8. カサブランカ・ダンディ 1979
9. OH!ギャル 1979
10. ロンリー・ウルフ 1979
11. TOKIO 1980
12. 恋のバッド・チューニング 1980
13. 酒場でDABADA 1980
14. おまえがパラダイス 1981
15. 渚のラブレター 1981
16. ス・ト・リ・ッ・パ・ー 1981
17. 麗人 1981
18. おまえにチェックイン 1982
19. 6番目のユ・ウ・ウ・ツ 1982
20. 背中まで45分 1983
21. 晴れのちBLUE BOY 1983
22. きめてやる今夜 1983
23. どん底 1984
24. 渡り鳥 はぐれ鳥 1984
25. アリフ・ライラ・ウィ・ライラ 1986
26. きわどい季節 1987
27. STEPPIN’ STONES 1987
28. CHANCE 1987

   以上、全28曲

         
          
| 22:34 | DVDなど | comments(0) | trackbacks(0) |
太陽を盗んだ男
 沢田研二の主演映画を見てみたいと思った。
 恐ろしいことに廃盤・絶版系のものは、とんでもない高値で取引されている。本当に、こんなものがこんな値段で売れるのだろうか? という感じである・・・さながら三島由紀夫の本みたいだという感想を持ちながら、定価で入手できるものを手に入れた。
 「太陽を盗んだ男」
 題が素晴らしいと思った。
 そして、見終わった後は、ラスト、主人公の人生を、死によって完結させないところがよかった。安っぽいアイドル映画のように、主人公の人生をカッコよく終わらせなかったのだ。にも関わらず、薄笑いを浮かべ、放射能に侵され抜け落ちる髪と、出血を自覚しながらも、ただ、颯爽と前にすすむ、沢田研二の不可解な美しさは逸品だった。
 とんでもないことをやり遂げ、人を巻き込み、殺し、しかし、生きのびられた刹那的で小さな達成感しか得られない男。
 これは沢田研二のための映画ではない。しかし、沢田研二でしか演じられなかった人物像であり、美しさなのだと思う。
 沢田研二演じる城戸誠が、不可解な「新時代」の象徴として、存在している確かさがある。
 
 中学校教師の城戸誠(沢田研二)は、原子爆弾の製造に固執している。教師としての、普通の日常を暮らしながら、東海村の原子力発電所からプルトニウムを強奪し、自室での原爆製造に成功させた。
 城戸は、それを武器に、「9番」と名乗り、警察や政府を相手取り、野球中継の延長や、ローリング・ストーンズの来日公演の開催、5億円と次々に要求していく。
 国家を敵に、孤独な戦い。そして、交渉相手には、警察庁の山下(菅原文太)の指名をする。

「お前は何がしたいんだ?」

 手製の原子爆弾を愛おしそうになでながら、城戸は呟く。
 その姿は、原子爆弾の意思を確認する崇拝者のようでもあり、内的欲求の無いまま生きながらえている自分への自問であるようにも思える。

 狂気と虚無
 監督の長谷川和彦は、公開当時の雑誌のインタビューで、「俺たちは本当に要求のない時代に生きているんだと痛感した」と言っているようだが、まさしく、何が、確かな意思が無いのに国を脅迫し、生きている実感がないのに、死を選ぶこともなく、能力と、時間をもてあます城戸の姿は、あまりにも喜劇的で、悲劇的だ。

 原爆の兄ちゃんこと「9番」に興味を抱くラジオのパーソナリティー沢田零子こと「ゼロ」(池上季美子)を巻き込み、物語は、壮絶なカーアクション、ヘリコプターまで使った追跡劇に展開していく。

 冒頭の、伊藤雄之助のバスジャックで皇居向かいに手榴弾を身体に巻きつけて「天皇陛下に申し上げたいことがある」というシーンは、要求が人を狂わせる世代と、要求無き自意識が、人を狂気に駆り立てる沢田研二の新世代との対比のも感じることができ興味深かった。

 城戸が名乗った、「9番」は、 映画制作当時の核保有国は非公式のイスラエル、南アフリカを含めると8ヶ国。そして、核を個人所有している「オレ」が「9番」と言うわけだ。
 この発想に怖さを感じる。
 そして、人に情報を伝えるすべを持ちながら「ゼロ」と呼ばれ、名乗り、「9番」を崇拝し、愛する池上季美子の存在も。

 憂鬱を抱え、すぐれた能力と行動力があるにも関わらず、中身が何もない人物像。
 「9番」と「ゼロ」が対面するシーンで、ビルが倒れてくるといいながら、二人で高層ビルを押し戻そうとする場面がある。
 奇妙に心に残るシーンだ。

 死を抱えながら、城戸は今も生きている。
 そんな気がしてならない映画である。


              太陽を盗んだ男
                長谷川和彦 監督 1979 東宝映画
| 23:58 | DVDなど | comments(0) | trackbacks(0) |
エデンの東
 『エデンの東』を知らぬものはいないだろう。
 あの、ジェームス・ディーンの代表作である。

 1917年、カリフォルニア州の小都市サリナス。農場を経営するアダムには、双児の息子があった。兄のアーロンは真面目な優等生で、アブラという美しい恋人もあり、理想的な青春の時をおくっている。一方、弟のキャル(ジェームズ・ディーン)は、自己表現の上手くない閉じた感じのする青年で、父との関係も兄のように大らかなものとはいえなかった。
 アダムは、野菜を冷凍して東部へ送り込む計画に夢中になるが、予期せぬ汽車の足止めで大きな損害を抱えてしまう。
 そんな中、キャルは、死んだと聞かされていた母親が、生きており、いかがわしい酒場を経営していることを突き止める。
 キャルは父の損失を埋めるため、母に借りた金を元手に、戦争に乗じて値段が高騰するであろう豆を育て、大きなお金を得る。
 そして、それを父親にプレゼントしようとするのだが、父は、戦争で儲けた金を汚らわしいとはねつけるのであった。

「愛されないほど辛いことはありません。愛されないと心がねじけます。キャルがそうだったのです。彼を愛してます。彼を立ち直らせてあげて・・・」

 自分を捨てて、自分の道を歩んだ激しい妻に似ている息子。
 父と子、そして生きていく罪と、人はそれを償いながら生きるのだということ。
 永遠のテーマが高らかに歌い上げられる。

 私も、ご多分にもれず高校時代に、この映画を見た。その時の、印象は、女にモテそうな男の憂いっていうのは好みではないなというだけの陳腐なものだった。
 多感な年齢、たぶん、自分と同じ悩みを抱え、同じものを求めているはずのキャルの姿が、心に響かなかったのは、よっぽど好みでなかったに違いないとおかしくさえ思う。

 今回、この映画を再度見ようと思ったのは、マーロン・ブランドの若かりし日の映画を見る中で、マーロンがこの映画の主演のオファーを断ったというエピソードを知ったからである。
 当時、産主義者の疑いのある者を糾弾する「赤狩り」の時代、その疑いを晴らすために、仲間の映画人たちの名前を密告したエリア・サガンを、マーロン・ブランドが批判しての行動だったという。

 もし、この映画をマーロン・ブランドが演じていたら。
 青春時代、好みではないと一度片付けてしまった映画をそんな視線でみてみようと思い立った。

 マーロン・ブランドが演じたら、ここまで露骨に愛は乞わぬだろう。
 そして、ジェームス・デーンとは桁が違う、欲深い上目遣いは、想像するだけで、にやけてしまう。私にはたまらない映画になったに違いない。

 さりとて、ジェームス・デーンのように爽やかなはずはなく、こんなにも青春の名作として多くの人が特別な一作にあげるような作品にはならなかったのだろうというのが率直な感想である。
 
                         
                     エリア・サガン監督 1954年 アメリカ


| 23:49 | DVDなど | comments(0) | trackbacks(0) |
波止場
 波止場の利権。組合と言う名の支配。
 ニューヨークの波止場に働く沖仲士たちは、酒場を経営している悪らつなボス、ジョニイ・フレンドリイの暴力によって支配されていた。
 そこで働く、元・ボクサーのテリー(マーロン・ブランド)は、それをそれと知らぬまま、仲のよかったジョイの謀殺に加担してしまう。ジョイは、ボスの悪事を告発しようとしていたのだ。
 教師になるために、この町を出て女学校に通っているジョイの妹・イディと、バリイ神父は、ジョイの死の真相を暴き、波止場を正常な労働の場にしようと働きかける。
 しかし、その痛憤をよそに、更なる殺害、暴力事件が、ジョイの事件を、たぶんこれまでずっとそうであったように、闇から闇へ葬り去る方向へと動いていく。

 オレを責めるなよ・・・という言葉の通り、これまで、これが当たり前の日常だと思っていたテリーにとって、ジョイの妹・イディがかざす正義、バリイ神父の語る神と自分の存在についての言葉は、テリーの贖罪の気持ちをあおり、テリーの中の何かを目覚めさせていくのだ。

 テリーと、兄との関係。勝てる試合をボスの指示で、負け、ボクサーとして落ちぶれざるを得なかった過去。素直で義理堅いけれど、無知で無教養だった青年の顔に、知性が宿りだす瞬間を、マーロン・ブランドが見事に演じている。

 最後は、波止場は労働者のものになるわけだが、物語は、きれいごとだけでは終わらない。少女の正義の限界、大衆の弱さ、そして、正義の名のものとには多くの犠牲が腐葉土とならざるを得ない現実も描ききっている。

 中でも、唯一の安らぎの場であった、レース用の鳩の飼育部屋があらされ、鳩が惨殺されている中にうずくまるテリーの姿には、人間の正義とは、なんと多くのものを巻き込んで、正義を貫く人間に孤独を与えようとするのかと胸が痛くなる。
 
 監督のエリア・サガンはマーロン・ブランドの魅力について、外見のタフさと、その外見とはアンバランスな愛情や優しさへの強い欲求の表現だと言う。
 その通りだと、思う。
 もし、マーロン・ブランドの姿に、その強い要求に対しての、胸の痛むような魅力を感じなければ、この物語は、無知な青年の贖罪と正義への目覚めという、普遍的ではあるけれど、物足りない正論になっていたのではないかと思うのだ。 


         波止場 コレクターズ・エディション [DVD]
               エリア・サガン 監督 1954 アメリカ
| 23:58 | DVDなど | comments(0) | trackbacks(0) |
蛇皮の服を着た男
 原作・脚本:テネシー・ウィリアムズ 主演が若き日のマーロン・ブランド。
 否応なく期待が高まる中見たせいか、未消化な感は拭えない。好みの別れる作品だといえるのではないか。
 物語は、暗示的、思わせぶり、個性的。一貫したテーマはあるものの、装飾音符があまりに派手すぎて、物語に集中できない。マーロン・ブランドの美しさのインパクトがなければ、私は、ついていけない作品かもしれないと思いながら見た。

 蛇皮の服を着た男(マーロン・ブランド)は、アメリカ南部のある町に流れ着く。男は、ギターを相棒に、流しをやっていたが、あるパーティーで警察ざたになり、30歳という年齢のこともあり堅気になる決意をしたのだ。彼は雑貨屋で働くことになるが、雑貨屋の女主人レディーは彼に強く惹かれていく。二人の関係が、古い因習の残る、閉ざされた町の本性を再び炙りだす事になる。

 黒人に酒を売っただけで、焼き討ちにあい、命もぶどう園も失ったレディの父、レディの元恋人は、金持ちの娘と結婚し、妹の言動に苦労しながら暮らしている。一見、厳格に見えるレディの夫が隠している過去とは?
 何が狂気で、何が正常なのか?
 小さなコミュニティで、裁かれ、隠され、被害者と、加害者が、そ知らぬ顔で暮らしている恐怖。
 いろいろな意味で、なんとも宙ぶらりんな気持ちを残される映画であった。

          蛇皮の服を着た男 [DVD]
               シドニー・ルメット 監督 1960 アメリカ
| 23:09 | DVDなど | comments(0) | trackbacks(0) |
男たち
 戦争で負傷し、下半身不随になった男たちの、その後の物語。
 彼らにとって、戦争は終わらない。それは二度目の戦いだとプロローグで語られる。
 
 プライドと、疑心暗鬼。何故こんなことになったのかという思いと、生きていこうとする力。
 希望と絶望。
 口先だけの賛辞と、好奇の目。これ見よがしの同情。

 屈託を抱えながらも、誇り高く生きようとする男をマーロン・ブランドが演じる。
 マーロン・ブランドのデビュー作である。 
 
 この物語の魅力は、何と言っても台詞の妙であろう。
 善意や悪意といった一般論のベールに誤魔化されそうな事象を、個別のカップルが、本音で自分と向き合うことによって乗り越えていく話である。

 マーロン・ブランド演じるケンとの結婚を報告した時の、彼女と両親の会話がすざまじい。
 まず、子どもではないんだから自分の好きにすればいいという両親の言葉に、祝福を感じなかった彼女が、失敗だと思っているのかと問う。「結婚して専属の介護士になったと気づいても愛し続けられるのか」という両親。そして、純真に育ってくれたことを誇りに思うといった上で、本当にお前を愛しているなら、ケンは、お前のために結婚を断るべきだったのだと父親は言う。
 そこまでは、よくある、お互いの思いやりがすれ違うシーンなのかもしれないが、そこからの彼女の言葉には、心を動かされた。
「筋の通ったようなことを・・・ずいぶんと言葉巧みね。そうやって、若者の徴兵を反対してくれればよかったわ。」
 正論と、感情、そして言い訳、正論、感情。
 どこまでも続く、解決しない現実と希望、あるべき姿と、失ってしまった何か。
 
 彼らを鼓舞し、常に寄り添っている医師とのやり取りも逸品である。
 君たちの生きてやっているという態度にはうんざりだ。
 君が生きていくしかない。
  そんな言葉が、物語の中で、生きている。


 

            巨匠たちのハリウッド フレッド・ジンネマン 傑作選 男たち [DVD]
                 フレッド・ジンネマン 監督 1950 アメリカ
| 23:53 | DVDなど | comments(2) | trackbacks(0) |
落語名作選集 桂歌丸 『厩火事』『お見立て』
 生まれてはじめて、この人、もの凄く頭がいいんだろうなぁと憧れの気持ちをいだいたのは、桂歌丸さんに対してだった。中学校の時である。

 一言一句正確かどうかは確かめるすべはないのだけれど、テレビ番組の大喜利で、なぞかけをやっているのを見た。
 
 「消費税」とかけて「足の遅いランナー」ととく、そのこころは「政府(セーフ)は望めません」 
 「夏休み、小学生の宿題」とかけて「巨人阪神戦」ととく、そのこころは「30・31が勝負です」
 後は方は、もはや解説が必要になってしまっているのかもしれない。笑いというのも生き物なのだなぁと寂しく思う。
 当時、ファンが絶対多数であった野球球団・巨人と熱狂的なファン層を持つ阪神の試合は、テレビでも高視聴率だった。巨人のエースは江川卓で背番号30、阪神の四番打者は掛布雅之で背番号31。そして、小学校の夏休みは全国一律、7月の後半から8月いっぱい。つまり、8月31日までだったのである。

 私は桂歌丸さんが、たくさんの引き出しにしまってある、特別ではない知識をパズルのように組み合わせて、即興でなぞかけを考え、特別な言葉遊びにしてしまう様子に、ひどく感激してしまった。

 大人になって、一度見てみたいと思って桂歌丸さんの高座を浅草まで聞きに行ったが、残念ながら、お正月のご祝儀興行の豪華版で、歌舞伎でいう「顔見世」のようなものだったらしく、いろいろな落語家さんが15分ほど話しては入れ替わる。生で、歌丸師匠を拝見できた喜びはあれど、少し物足りないものだった。

 今回DVDで、ちゃんと落語をしている桂歌丸さんの姿をはじめて拝見したことになる。

 『厩火事』
 髪結いのお崎が、夫婦喧嘩のはてに、仲人のところにやってくる。亭主が自分を大切に思っているかわらかないというお崎に、仲人は、二つの事例(大切にしていた白馬のいる厩が火事になった時も、家来の無事を心配した中国の孔子の故事と、階段から瀬戸物と一緒に妻が落ちた時、妻より瀬戸物を心配して離縁された旦那の話)を引き合いに出して、亭主の本心を確かめるようにけしかける。

 『お見立て』
 お大尽の杢兵衛は花魁の喜瀬川目当てに吉原にやってくるが、杢兵衛嫌いの喜瀬川は、喜助に自分が死んだを嘘をついて杢兵衛を追い払おうとする。しかし、杢兵衛に恋焦がれるあまりに死んだのだと聞かされた杢兵衛は、墓を見舞ってやると言い出して・・・。

 いずれも、こちらの教養がある程度なければ笑えない箇所もあり、笑いと教養、知識と粋な捉え方と、物語を聞かせてもらっているというよりは、ゲームに参加している緊張感がある。
 これは、クセになりそうだ。

          NHK-DVD落語名作選集 桂歌丸
           NHK ソフトウェア
          『厩火事』 「落語特選」2009年6月23日放送
          『お見立て』「日本の話芸」2003年8月2日放送
| 22:30 | DVDなど | comments(0) | trackbacks(0) |