ぜひぜひ読んでほしい本のショートreviewをUPします!
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マザーレイク

どんな映画だったのか? と問われれば、良い映画だったと答えよう。

琵琶湖の景色はどこまでも美しく、その風景を背景に、初恋と家族への思い、友情が交錯する。

関西弁とひとくくりにされて、出来の悪い大阪弁で代替されることの多い、滋賀弁が、きっちり滋賀弁として物語を盛り上げていた。

鶴田真由演じる主人公の伯母が、地元では有名なスーパー平和堂で働いており、見慣れた制服、ハトのマークが使われている。自然だけでなく、暮らす者が目にする風景、滋賀のすべてを映画は映し出していた。

滋賀への愛を存分に感じる映画。

とはいえ、つまらないという人にも共感してしまうのも事実。

最後の結論が、極めて前時代的。

琵琶湖の恐竜びわっしーを見た男の子は、夭折した母の才能を受け継ぎ写真家になるわけだが、大きな賞をもらって、ヨーロッパで数年暮らすと言う。東京に引っ越していった初恋の女の子は、滋賀に戻ってきて小学校の先生になる。

男は、才能を認められ外国へ、女は、地元で教師。

なんで、外国に行く必要があるのか? 亮介、お前の地元への愛はどこに行ったんだ?

なんと、型通りでつまらない成功が頂点として描かれていることだろう。

爽やかで、琵琶湖の風景の邪魔にならないという利点はあれど、なんだか、なんのポリシーも感じない。

私の一番の不満は、父のその後が描かれていなかったことだ。

写真家として認められていた妻が早く死に、夢のない自分が生き残った。その負い目の中で、妻に少しでも近づきたいと、会社を辞めテレビ局に勤め、姉に食べさせてもらっている。妻の見たもの、子どもの見たもの、それを感じ、突きつけられたた父はその後どうなったのか。映画にはヒントもない。

よくあるストーリーを寄せ集めているから、みんなそれぞれの経験と既視感で補てんして、物語が破たんしないのだろうなと思う。

それでも、やっぱり琵琶湖は美しい。

そんな映画である。

 

          

          

           2016 日本 監督 瀬木直貴 キャスト 内田朝陽 鶴田真由 別所哲也

| 15:22 | 映画 | comments(0) | trackbacks(0) |
ラスト・ナイツ

賛否いろいろあった映画だが、見てみたかった。

「忠臣蔵」を題材に、紀里谷和明が、ハリウッドで撮った映画である。しかも、名優 モーガン・フリーマンがでているとあらば、興味を持たない方がおかしいと思う。

さて、この映画を観て感じた、興味深さをなんと表現すれば良いのか。

映像極めて美しく、俳優たちの演技も申し分なかった。ストーリーに破たんもない。

しかし、ある意味で完璧なこの映画に、動かない私の感情はなんだろうか。

それは、たぶん、日本人として「忠臣蔵」に求める、大切な何かがこの映画には欠けているのだろう。冒頭、忠臣ライデン(クライヴ・オーウェン)大石内蔵助か? が、バルトーク卿(モーガン・フリーマン)浅野内匠頭か? に意見するシーンがあるのだが、そこですでに私の心は離れてしまう。天に向けた刃を、若い怒りではなく、余命を感じた老人の良心の叫びとして描いたのは巧い展化だとは思うが、いずれにせよ、主君に訳知り顔で意見できる男は、日本では忠臣ではないからだ。思いをぶつける、思いを伝えるは、日本では、身分の隔たりがある場合、「言葉ではない何か」でなくてはならず、受け止めるべき宿命であるところからしか物語は生まれないからだ。

伊原剛志の演技が光っていた。

伊原演じるイトーは、所謂吉良上野介(ギザ・モット大臣・・・アクセル・ヘニー)の家臣の役だが、人としての気持ちの動きと、家臣としてのあるべき姿という二律背反を包括する良い表情をしていた。

これが日本人なんだと感慨を覚えた。

これは、映画の出来ではなく、文化の違いなのだ。

そう思えば、この多様な国籍の人間が集まってできた「忠臣蔵」は、ことさらに、日本人の美意識とは何かを私に考えさせてくいれる。

 

                

               

                 2015 アメリカ  監督 紀里谷和明

            キャスト クライヴ・オーウェン モーガン・フリーマン 伊原剛志

| 17:48 | DVDなど | comments(0) | trackbacks(0) |
春風亭一之輔落語集 雛鍔 明烏

やる気なさそうな、気のなさそうな導入なのに、いつのまにか引き込まれている。

これが話術というものかと不思議な躍動感。

 

下ネタの中のインテリジェンス。

雑多な感情がうごめく中、憑依するように登場人物が語りだす。

 

          

              春風亭一之輔落語集 雛鍔 明烏 2013 コロムビア

           

| 16:01 | DVDなど | comments(0) | trackbacks(0) |
華麗なワルツ

アムステルダムのコンセルトヘボウで演奏を聞いて、ハンサムだったから、若い頃のジャケットのCDを買ってみた。

ジャン=イヴ・ティボーデ 20歳の演奏。

ショパンと、リスト。

難しいことはわからないけれど、華やかっていうのはこういう音をいうんだろうなって響き。

 

 

                

 

              ディボーデ DENON 200403

              1981年11月浦安市文化会館での録音

 

| 22:50 | CD | comments(0) | trackbacks(0) |
英雄ポロネーズ ショパン・リサイタル

1968年6月&7月に録音されたとされるCDである。

マウリツィオ・ポリーニがショパン・コンクールで優勝したのは、1960年18歳の時。

「若い私には音楽以外に勉強しなければいけないことがたくさんあるのです」といって、ミラノ大学で物理学を学び、多忙な音楽活動を避けること10年近く。そのブランクのあとの録音だ。

 

20代後半のポリーニ。

ポロネーズの5番にはじまり6番「英雄」に終わる。

力強くクリアな音。

 

             

             ポリーニ EMI 200406

 

| 19:51 | CD | comments(0) | trackbacks(0) |
へうげもの(1)

歴史を語る切り口として、こんなに面白いものを見逃していたのかと後悔している。

武士として生きるか、自分の中に絶えずこみ上げる茶器への愛に生きるか、古田織部の迷いと視点で描かれ新鮮だ。

武将としての信長ではなく、傾いた服装と、茶器への固執といった側面からも、その天才性をとらえられるものなのだなぁと信長好きの私には新鮮だった。

同様に、 茶器を中心に、時代の清新、秀吉、光秀の性格や生き様を浮き彫りにしている。

まだ一巻目なので、なんとも言い難いが、少し、章と章がばらついており、全体大きくうねらないのが残念。

しかしながら、純粋な生き方への問いと迷いは心地よい。

 

 

              

                 書籍データ 山田 芳裕 講談社 200512

| 08:17 | 漫画 | comments(0) | trackbacks(0) |
モルダウ 〜水に寄せて歌う

ラ・フォル・ジュルネびわ湖2016で福間洸太朗の演奏を聞き、 福間洸太朗自身の編曲による スメタナのモルダウを再度聞きたくて購入。

本来、弦楽合奏であるものをピアノで聞かせる。

作曲家が、弦楽合奏で聞かせたかったのだから、何も編曲までしてピアノで聞かせなくてもいいのではないかという思考に陥りそうな私を感動させてくれた曲である。

CDで聞いても、やっぱり良いなと思う。

ドラマチックな波のうねりと、何かを求めるような旋律。一台のピアノとは思えない奥行きを感じる。

またライブで聞きたいな。

 

             

          

            「モルダウ 〜水に寄せて歌う」 福間洸太朗 日本コロムビア 201510 

          2014年6月15日〜18日 小出郷文化会館大ホールで録音されたCDである。

 

              

 

| 01:47 | CD | comments(0) | trackbacks(0) |
ガラスの壁のむこうがわ

他人とコミュニケーションをとろうとするとガラスの豆がぶつかってくる感触がする。そんな少女が、友だちを求め、普通とはどうあるべきかを考え迷い、友だちを得るまでの物語。

 

世間からはぐれていく由香の心情を、排他的な優越感や、激しい自意識として描かなかった点が、この物語の魅力だと思う。

傷つける方も無意識なら、傷つけられる方も無意識。

切実な思いだけがある。どちらにも。

この構図が面白かった。

母の弟が、由香と共感する相手として現れるが、弟を理解していないと場面ばかり描かれる母が、弟の描いた絵を飾ろうとするシーンがある。理解されない思いを、この常識と普通の代表のようにしか描かれない母も抱えているのだということを感じる瞬間だ。

 

やわらかい由香の、必死に求める姿に、この世代の少女、そしてこの世代を確かに過ごしたことのある元少女は激しく共感するだろう。しかし、どこか、この物語は、読者を共感の安住だけに押し込めない。

 

絵を飾る母の姿に、感じる、大きな世界。

何かここにある問題が解決しても、自分の必死のあがきがかたちをなしても、人の複雑で深いかかわりには際限がない。

 

感性豊かな筆致で、特別な世界をつくりあげ、その世界観を美化せずに美しく描いた作品。

 

                                                 

                                              書籍データ せいのあつこ 国土社 201603

| 22:39 | 児童文学 | comments(0) | trackbacks(0) |
怒り 上・下
 世間が忘れ去ろうとしている未解決事件。殺人現場に残された「怒」の血文字。
 警察は、世間が忘れ去らないためにメディアに訴え、手がかりを求める。

 その中で揺れ動く人と人の関わり。

 大手企業に勤めるゲイの優馬。彼の家に転がり込んでいる直人がその犯人なのか。
 知的ボーダーと言われ、家出して風俗に勤めていた娘を持つ中小企業の社長の家の従業員田代。真面目なだけが取り柄で、娘のすべてを知っていながら一緒に暮らすと言ったこの男が犯人なのか。
 ふしだらな母が、男関係でしくじる度に、夜逃げのような転居を繰り返す母娘が流れ着いた沖縄。そこで知り合ったバックパッカーの田中と名乗る男。彼が、犯人なのか。

 人が人を信じるのは、人が人を好きになるのは、いったい、どんな感情が動くのか。
 そして人が人を疑い、人を正義の名の下で裏切るのは、いったい、どんな感情が動くのか。
 訳アリだとわかっていたはずの相手。殺人犯に似ているというシグナルを受け取ってしまった時、人は何を疑い、どう行動すべきなのか。

 人を疑う時、人は自分の弱さを突きつけられる。ゲイであることを公表しながら、家族や幼馴染には知られたくないと思う弱さ。自分と娘の期待できそうにない未来。大好きなあの子を助けられなかったふがいなさ。

 するりとそこの入り込むように、闇は訪れる。
 向かい合っていたはずの人間が知らない何かに見える。

 狂気が、殺人鬼によって「怒り」と名付けられ、大衆によって「怒り」と認識された時、その得体のしれないエネルギーは、薄っぺらい事件や世相になる。
 その中で、確かに生きた、そして試された人々の気持ちをよそに・・・。

 そんな物語である。



         

               書籍データ 吉田修一 中公文庫 201601
| 18:16 | 一般書 | comments(0) | trackbacks(0) |
ここは妖怪おたすけ委員会 〕轍スーパースターズがやってきた☆
  好みの絵柄なら仕方もないが、そうでもないのに、最近、表紙を見てピンとくることがある。
 この本はいいぞ・・・と、なんだか占い師にでもなった気分である。良い本は、なぜか表紙に力がある。何がと言われれば困るのだけれど、文字の力が、画家に良い絵を描かせ、それが読者にも伝わるのかもしれないと思う。
 
 なんだかピンときてしまった本。

 五年生のみずきは、誕生日にほしいものを問われ、亡きおじいちゃんがつかっていた、古びた離れを両親にねだる。みずきは、妖怪をこの上なく愛していて、民俗学の学者だったおじいちゃんの書物などがそのままにしてある離れに魅力を感じていたのだ。
 そして、そこでみたものは、コスプレかと見紛う妖怪たちの姿。妖怪たちも現代風に自分たちをアレンジし、または代替わりし、浮世の辛さを感じながら、信じてもらえない生きにくい現代を生き抜いていたのだった。
 妖怪スーパースターズの副題通り、有名な妖怪たちの登場に心躍らせるみずき。
 
 そんななか、神社の御神木に、クラスメイトの名前が書かれ、釘で打ち付けられているぬいぐるみが発見される。そして、そのクラスメイトは体調が悪くなり学校を休んでいるというのだ。
 犯人は誰なのか?
 お洒落な女の子グループで、いつも、利用されているような立場で、みずきが気になっていた柳田さんの名前が犯人としてあがる。ほっておけなくなった、みずきは、天井下がりに調査を依頼するのだが・・・。

 妖怪オタクの変わり者の女の子みずき。ちょっとチャラい天邪鬼に、ツンデレスイーツ男子の妖太。こう書いてしまうと、子どもの好きそうなエンターテイメントとくくられてしまいそうだが、そんなことを言わせない、説得力がこの本にはある。人の不安や心の隙が妖怪をうみだすのだとすれば、妖怪だって現代の世相を反映する。SNSで自分の存在をアピールしてたっていいはずだ。小さな発見と、存在感に身をゆだねながら物語を読み進めれば、あらすじとキャラクターの紹介では、よくある子どもの好きな妖怪話としか思えないであろうこの本に、好きで好きでたまらない高揚を感じるのだ。
 不思議の世界を一括りにせず、「妖怪」「怨霊」「ネオ・クリーチャー」としっかり分類しながら物語は進んでいく。
 
 この物語がなぜ、こんなに私の気持ちをとらえるのだろうと考えて、導かれる言葉を書くと、やっぱり陳腐な表現になってしまう。お互いへの愛と尊敬が、この本には溢れているからなのだと思う。

 みずきのおじいちゃんは、民俗学の学者で、その内向きの仕事に反発を感じていたらしいママは、ファッション雑誌の編集者。そのパートナーであるパパは銀行員だ。羨ましさを含めた否定も肯定もあって、こういう職業と興味をもった人たちが家族として成り立っている。その家の娘であるみずきは、妖怪が大好きだ。家族の設定そのものが、設定をこえて、人のかかわりの含みを感じさせる。

・中からカギをかけないこと
・こもりっきりにならないこと
・たまには、鏡で自分の顔をみること
 
 これは、離れのカギをもらったみずきへの、パパからの言葉だ。
 人との付き合いというものは、この三つのアドバイスに尽きるのかもしれない。

 人と人とか関われば、心が動き、隙や光、そして影がうまれる。そこに妖怪は棲みつくのだろう。

 みずきと妖怪の関係は始まったばかりだ。11歳とはそんな年齢かもしれないと思いつつ、心が動くからできる模様を、どう妖怪たちと分かち合っていくのか。
 今後のシリーズが楽しみである。


  

                                                           

                                    書籍データ 角川つばさ文庫 宮下恵茉・作 いちごイチエ・絵 201602 
| 17:25 | 児童文学 | comments(0) | trackbacks(0) |