ぜひぜひ読んでほしい本のショートreviewをUPします!
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あかりさん、どこへ行くの?

  なぜ本を読むのかという問いがあるとする。

 本を読むのが好きなのはなぜだろう。

 読んでいる間は、違う自分になれるから。

 経験、知識の補完。刺激がほしい。いろいろな言葉で表現できるだろう。

 本の目利きだと自分を信じレビューなど行っていると、ふと、本の選択肢が前のめりで、大切な何かを見失っているのではないかと反省する瞬間がある。この作品などは、まさしくそんな思いを感じさせてくれる物語だ。

 

 大好きなおばあちゃんが壊れていく。どうやら認知症という病気らしい。

 五年生のタケシは、靴が冷蔵庫にしまわれていた事件から、おばあちゃんの様子を不審に思うのだが、、普通のような普通でないような不思議な感覚でおばあちゃんと向き合っている。ところがそうこうしているうちにやっぱりおかしいが積み重なり、そうでない時の様子とのギャップに日常がかき乱されるようになる。

 家族の心労と、進んでいく認知症への恐怖、傷つきながらも日常は流れ、それが気がかりなタケシは、友だちともギクシャクしてしまう。

 おばあちゃんの認知症を受け止め、おばあちゃんのこれからの人生を未来あるものととらえ、自分たちの日常を大切にしながら、家族の在り方を再構築する。自分にできること。あかりさんと、どう向き合うのか。この物語のパワーは、タケシは、おばあちゃんの認知症を、例えば、おかあさんがたいへんになる等の観察的立場ではなく、どう、自分の大好きなおばあちゃんを自分が好きなままでいられるか、おばあちゃんのために、おばあちゃんと向き合う家族のために、自分にできることは何なのかという視点でのみ考えるところにあるだろう。そして、今、現状の苦しみのみにとらわれず、これまでの思い出を振り返り、自分とその人の関係をけして貶めないところにあるのだろう。

 人の老いを、沈んでゆく夕陽のように受け止められたら。老い行く者も、残されるものも幸せな最後を迎えられるに違いない。

 この物語は、間違えない家族の物語だ。

 だからこそ、物語には特別で大きな事件は起こらない。ここの描かれている認知症の姿も、誰もが知っている、見聞きしたことのある姿であろう。その話が、誰かが語るような、とつとつとした平易で誠実な言葉で描かれている。

 

 その平易さと日常性から、きっとこの本は、論じられることが少ない物語なのだとも思う。

 しかし、この本は、ある年齢、子どもたちが読むべき本なのだ。

 愛おしい誰かの老いと死に向き合わないといけなくなったとき、近しい誰かの老いと死と自分の日常を共にしなくてはいけなくなった時、この本を読んでいる子どもと、読んでいない子どもでは、うまく受け止める力が格段に違ってくるだろう。

 それは、何世代もの人間が一緒に暮らしていた時には、当たり前に体験していた訓練なのだと思う。一番近しい人の死を間違うことなく受け止める準備。それは、自分の心のためでもあるのだ。

 

 老いや死はけして待ってくれない。経験がなければ、少しの間違いを引き起こし、そのことで大きくすれ違い、自分自身に一生の傷と後悔を残す。謝りたくても相手がいなくなってしまったあとでは、何もできやしない。頭でわかっていても日常とは残酷なものなのだと思う。

 だから、間違えなかったこの家族の物語は、きっと自分の力になってくれるに違いない。

 

 おすすめの本と呼ぶには、少し地味な本である。

 だからこそ、私は、この本をすすめてほしいと、手渡し手の方に言いたい。

 作品論などという小さな話ではない、これは、子どもたちが来るべき時のためにすましておくべき経験なのだと思う。

 

                 

              書籍データ 近藤尚子・作 江頭路子・絵 フレーベル館 201610

| 18:36 | 児童文学 | comments(0) | trackbacks(0) |
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