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マクベス
 兵庫県立芸術文化センターにて、兵庫県立ピッコロ劇団第51回公演「マクベス」を観劇。
  
「人生は歩き回る影法師、あわれな役者だ、舞台の上でおおげさにみえをきっても出場が終われば消えてしまう。
白痴のしゃべる物語だ、わめき立てる響きと怒りはすさまじいが、意味はなに一つありはしない。」の名台詞で有名な、シェークスピアの四大悲劇の一つに数えられる「マクベス」である。
 手元にあった、小田島雄志・訳のもので名台詞を紹介した。
 本公演は、喜志哲雄が訳しており、名台詞は以下のように語られる。
「人生は歩く影にすぎない、哀れな役者で出番の間だけ舞台で大騒ぎ、終われば余韻も聞かれぬ。それは白痴が語る物語、大仰に声を挙げるが何の意味もありはしない」
 もちろん、文字としてこう書けば、好みの分かれるところであろうとも思う。
 しかし、面白いのは、このマクベスは、軍服を着たマクベスなのである。
 実際のマクベスが生きた1040年頃のスコットランドではなく、どこか世紀末の退廃的な匂いのある、とある国の物語とでも言ったらいいのだろうか。
 魔女たちの不思議な台詞、マクベス、そしてマクベス夫人の、比喩と妄想を多分に含んだ長い独白。そして、それを、近代に焼直すという作業。それは、舞台という限られた面積の中では、図式化を余儀なくされる。
 奥行きがあり、少し歪んだ世界を彷彿とさせる舞台セットと、聖と俗を交互に演出するような音楽。その中で、図式化された言葉が行き交う。
 しかし、見る者の心に、より切迫感を持って届けようと近代に焼直したはずの物語が、きれいに図式化されすぎて、知性にだけ訴え、心情に訴えないというのでは元も子もない。
 その図式化を崩すのが、この、どこか、不完全な匂いのする、わかりやすい口語体のセリフの在り方ではなかったか。
 そして、もう一つ、ダンカン役の浜畑賢吉の存在である。
 冒頭、マクベスの戦功を称え、領土を与える場面で、ダンカンは、場内を見渡し、客席に視線を投げる。たったそれだけの仕草で、観客が、見る者から、経験する者へと変換された現場を目撃し、私はどきりとした。自分のことと切り離すことで得ていた、客観的知性の壁を壊す瞬間である。
 役者というのはすごいものだと思う。
 図式化される心地よさと、図式化されまいとするもののせめぎあいは、そのまま、マクベスの、日常と、非日常、野心と狂気の対立に通じ、面白い知的二律背反の楽しみを享受させてもらった。



                  
| 22:26 | 舞台 | comments(0) | trackbacks(0) |
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