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紙の月
 わかば銀行から契約社員・梅澤梨花(41歳)が一億円を横領した。若い男に貢いだらしい。

 そんな新聞記事に出会ったとしたら、私はけして、梅澤梨花に興味は持たないだろう。そして、どんな理由を聞いたところで、共感もしなければ同情もしないに違いない。

 落ちていく女の話を読んでやろうと思った。たぶん、ほとんどの女性が、共感しないと自信を持つであろう女を角田光代がどう料理するのか興味があった。



 梅澤梨花は、どちらかといえば綺麗だと言われるグループに属する女だ。

 そんな女にありがちな人生を歩んできた。どちらかといえば人から羨まれる収入をもつ優しい男と結婚し、どちらかといえば豊かな生活を送る。子どもがいないということに少しの屈託はあるが、責められることもなく、夫婦の不仲の原因になることもなく、だからこそ仕事ももち、どちらかといえば優秀な人材として銀行に勤めている。

 どちらかといえば有能な美人の、どこか凡庸な優越感も劣等感もない愛想の良さが、年寄りにうけるというのもよくある話で、梨花は外回り先のお年寄りたちに可愛がられ、多くの現金を自分の成績として預かっていた。

 夫は優しく梨花を支配している。暗黙に、夫の収入の中で、養われているという身の程さえ自覚していれば居心地のいい毎日。梨花はその違和感に素直になれない。そして、夫は四年も自分の身体に触れようともしない。

 そんな時、得意先の老人・平林の家で、梨花は光太という青年に会う。光太は、授業料にも困る苦学生で、平林は多額の現金を持つのに孫に援助をしようとはしない。



「最初に会ったとき、いいなって思ったから」



 光太のこの一言から梨花の人生は狂いだす。

 自主映画を作っている光太たちの、夜中じゅう続く映画談議。祖父の金を、孫に融通しているだけだという奇妙な正義感。そんななか、少し痴呆の始まった顧客が梨花に泥棒から守ってくれと通帳と印鑑を預ける。贅沢は何も知らない光太へ贅沢を教える楽しみ。光太の前で、ありたい自分であるためにかける洋服代、化粧品代。二人で過ごすスイートルーム。光太が金銭的援助を受けることに罪悪感を感じないように、梨花は、途方もない金持ちを演じ続ける。そのことで得る、優越感と万能感。はじめは、戸惑うような憧れの目で梨花を見ていた光太が、映画祭に行きたいからアムステルダムまでの旅行費を出してくれと言い始めるまでに時間はかからなかった。

 万能感から逃れられなくなった、凡庸な女の末路は、バブルがはじけるように終焉を迎えるしかない。



 説得力のある物語であった。こんな風に、思考が働き、偶然に導かれたら、そうなるかもしれない怖さがあった。

 梨花の逃亡劇につきあった疲労感と、気が滅入るこの感じは、確かに梨花に共感してしまった証拠なのだろうと思う。



 何より巧いと思ったのは、梨花は法に裁かれるかもしれないが、物語が裁いたのは亜紀であったことだ。

 この物語は、梨花の目線で描かれる章と、梨花と関わった人間から見た梨花を描く章に分かれていて、梨花の人格、人生が複合的に描かれている。

 亜紀は、ある時期、料理教室で梨花と時間を共にした人間だ。その後離婚して、子どもは夫のもとにいる。半年に一度ほど娘と会うが、年ごろになるにつれ、生活感のない亜紀に娘は憧れるようになる。その憧れに応えようと、身を飾り、自分にお金をかける亜紀。そして、そんな自分にふさわしい高価なプレゼントを娘に渡す。それが、元夫への優越感だという自覚も亜紀にはある。

 最後の章で、亜紀の娘・沙織がねだろうとした洋服は、合計で八万九千円。ここで、亜紀は我に返るのだ。

 買ってもらえないと知って、離れていく娘。



「沙織、ごめん」亜紀の口から言葉が漏れる。「ごめん」言いながら自分が何に謝っているのかわからない。



 鏡の中にいる豪華な服を着たみすぼらしい自分。娘をこんな風にしてしまったのは、お金の力を借りて万能感に酔った自分の罪。なんともやるせない思いが残るが、このくだりが、梨花とて、けして、刹那的な肉欲に負けたのではなく、平凡と日常に押し込めていた自我に負けたのだという主題を際立たせているのではないだろうか。






                

            書籍データ 角田光代 角川春樹事務所 201203
| 22:03 | 一般書 | comments(0) | trackbacks(0) |
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