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太陽を盗んだ男
 沢田研二の主演映画を見てみたいと思った。
 恐ろしいことに廃盤・絶版系のものは、とんでもない高値で取引されている。本当に、こんなものがこんな値段で売れるのだろうか? という感じである・・・さながら三島由紀夫の本みたいだという感想を持ちながら、定価で入手できるものを手に入れた。
 「太陽を盗んだ男」
 題が素晴らしいと思った。
 そして、見終わった後は、ラスト、主人公の人生を、死によって完結させないところがよかった。安っぽいアイドル映画のように、主人公の人生をカッコよく終わらせなかったのだ。にも関わらず、薄笑いを浮かべ、放射能に侵され抜け落ちる髪と、出血を自覚しながらも、ただ、颯爽と前にすすむ、沢田研二の不可解な美しさは逸品だった。
 とんでもないことをやり遂げ、人を巻き込み、殺し、しかし、生きのびられた刹那的で小さな達成感しか得られない男。
 これは沢田研二のための映画ではない。しかし、沢田研二でしか演じられなかった人物像であり、美しさなのだと思う。
 沢田研二演じる城戸誠が、不可解な「新時代」の象徴として、存在している確かさがある。
 
 中学校教師の城戸誠(沢田研二)は、原子爆弾の製造に固執している。教師としての、普通の日常を暮らしながら、東海村の原子力発電所からプルトニウムを強奪し、自室での原爆製造に成功させた。
 城戸は、それを武器に、「9番」と名乗り、警察や政府を相手取り、野球中継の延長や、ローリング・ストーンズの来日公演の開催、5億円と次々に要求していく。
 国家を敵に、孤独な戦い。そして、交渉相手には、警察庁の山下(菅原文太)の指名をする。

「お前は何がしたいんだ?」

 手製の原子爆弾を愛おしそうになでながら、城戸は呟く。
 その姿は、原子爆弾の意思を確認する崇拝者のようでもあり、内的欲求の無いまま生きながらえている自分への自問であるようにも思える。

 狂気と虚無
 監督の長谷川和彦は、公開当時の雑誌のインタビューで、「俺たちは本当に要求のない時代に生きているんだと痛感した」と言っているようだが、まさしく、何が、確かな意思が無いのに国を脅迫し、生きている実感がないのに、死を選ぶこともなく、能力と、時間をもてあます城戸の姿は、あまりにも喜劇的で、悲劇的だ。

 原爆の兄ちゃんこと「9番」に興味を抱くラジオのパーソナリティー沢田零子こと「ゼロ」(池上季美子)を巻き込み、物語は、壮絶なカーアクション、ヘリコプターまで使った追跡劇に展開していく。

 冒頭の、伊藤雄之助のバスジャックで皇居向かいに手榴弾を身体に巻きつけて「天皇陛下に申し上げたいことがある」というシーンは、要求が人を狂わせる世代と、要求無き自意識が、人を狂気に駆り立てる沢田研二の新世代との対比のも感じることができ興味深かった。

 城戸が名乗った、「9番」は、 映画制作当時の核保有国は非公式のイスラエル、南アフリカを含めると8ヶ国。そして、核を個人所有している「オレ」が「9番」と言うわけだ。
 この発想に怖さを感じる。
 そして、人に情報を伝えるすべを持ちながら「ゼロ」と呼ばれ、名乗り、「9番」を崇拝し、愛する池上季美子の存在も。

 憂鬱を抱え、すぐれた能力と行動力があるにも関わらず、中身が何もない人物像。
 「9番」と「ゼロ」が対面するシーンで、ビルが倒れてくるといいながら、二人で高層ビルを押し戻そうとする場面がある。
 奇妙に心に残るシーンだ。

 死を抱えながら、城戸は今も生きている。
 そんな気がしてならない映画である。


              太陽を盗んだ男
                長谷川和彦 監督 1979 東宝映画
| 23:58 | DVDなど | comments(0) | trackbacks(0) |
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