ぜひぜひ読んでほしい本のショートreviewをUPします!
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本を読む楽しさを伝える読書活動

 教育委員会から「本を読む楽しさを伝える読書活動」と題し話すようご依頼いただいた。45人もの教員の方のご参加いただき嬉しく思う。

 忙しい先生方に、少しでも多くの実質的なキーワードを持って帰っていただこうと、一冊でも多くの本を紹介することをコンセプトにお話させていただいたわけだが、実際に取り上げた本は、最近気になっている本、読んで面白かった本であるから、このブログに掲載されている本と多くが重複するので割愛する。

 私は、学校教育を信じている。
 大好きな先生から、すすめてもらった本は、どんな名作にも勝る。
 
  簡単に言えば、そんな話をした。


 このブログで、自分自身のことを語る機会もないかもしれないので、少し、詳しく、論旨を書いておきたいと思う。
 
 まずは、現在の学校現場とのかかわりとして、朝の10分間読書のお手伝いをさせていただいている話をした。受け入れ手の先生方にはご苦労があると思うが、大人と子どもの感じ方の違いをライブに感じられ、気付くことがいっぱいで楽しい。
読書は、「背伸び」と「確認」の両面が必要だといわれる。
実感 『とうさんのたこはせかいいち』
1
4年生の教室で、この本を読んだ。
神さまが、とうさんのたこと、お菓子やおもちゃと交換してくれと頼むシーン
1
2年 こだぬきたちが、神さまに声をそろえてくり返し言う言葉、「だめ」の大合唱
3
4年 オレなら変えるかもな〜といいながら、作中の頑張っているチビたちを見守っている。
その年でしかない反応がある。
ちなみに、私の感想 →  http://yukareview.jugem.jp/?eid=228
 反応の違いを目の当たりにしながら、少し、幼いかもしれないと思う本を、あえて上の学年で読む大切さも感じさせてもらっている。

 私は、 母が読書運動をしていて、小さい頃から本の世界とともに育ってきた。 椋鳩十さんやあまんきみこさんといった一流の作家と、子どもの頃で会えたことは私の人生に大きな影響を与えてくれたと思う。
   
後藤竜二さんの作品との出会いで児童文学の世界へ深く進むことになる。
 親が、子どもの本の普及活動に深く関わっている多くの子どもがそうであるように、早熟な読書環境を持つがゆえに、反抗期には、子どもの本を読まない子どもになっていた私。こ難しい本を読んで、もっともらしく論じることがプライドだった中学生だったが、後藤竜二さんの『少年たち』に出会い、自分のことを言い当てられるような、いっぱいいっぱいの自分と等身大の世界に強く魅かれ、人生が一転する。

 私にとって、子どもの本に関わる意味は、人生をかえるかもしれない瞬間に立ち会うということである。

 身近な大人が、すすめる本は、世界一!
 特に先生からもらった言葉と言うのは、人生の宝物だと思う。
 限られた期間で成果を出すことが求められているお仕事でらっしゃるので、こんな話は、ちょっとわかっているけど、どうかと首を傾げられるかもしれないけれど、もらった宝物が意識化されるのは、いくつの時かなんて誰にもわからないのではないか?

 今は、時代としてそんなことをしなくなったと思うが、私が子どものころ、読んだ本の冊数をシールにして張り出すことをしていた。
 私は、読書が得意でない子から、どうすれば本を読めるか、聞かれたことがある。その時、私は、絵本なら、短いし、絵もたくさんあるし、すぐ一冊が読み終わるから、シールも増えるし楽しいと思うと答えた。その子の、読書冊数が話題になったとき、クラスメートから、私の進言が「ズル」だと攻撃を受けたことがある。
 その時、先生からももらった言葉、「絵本も本だ。はじめがあって、終わりがある。一冊を閉じて、物語が終わる。だから本だ。」は、衝撃だった。
 私は、少し「ズル」を考えていた。だけど、絵本も本だという、先生の言葉に支えられて、今の自分のライフワークがある。

 先生に、私が一流の文学者になったら、先生のおかげだけど、ただの風流人で終わったら先生のせいだからなって、今も言ってる。教師と言うのはそれだけの影響を子どもに与える。

 その先生には、「その反面」という言葉がわからない私のために、休み時間中付き合っていただいたこともあった。例文をいっぱい言い合いっこした。それは違う、そう、そんな風に使う。そうやって本を読み解いてきた。
 先生にとって、それは、長い教員生活の、たった一日のたった10分の休み時間での出来事で、思い出すこともないエピソードかもしれないけれど、それが本当の教育の時間だったのではないか。
 私は、母が、ずっと読書運動をやってきていたので、本好きな子どもだったし、そういう素地はあったと思う。
 だけど、豊かなものをもっていても、それは茫洋と広がる何かでしかない。
 それを、言葉として立ち上げるのは、やっぱり学校教育だなと思っている。

 私は、文字通り学校教育によって「文明」を与えられた。


 豊穣な大地だけでは、いかんともしがたい。

 もちろん、その年なりに、いろいろあった。毎日が楽しくて楽しくて仕方なかったわけではない。

 だけど、学校のおかげで、私は、自分を表現する言葉を手に入れた。
 それは、読書、評論、すべての基盤だ。
 日々本業雑務に忙殺される中、現場の先生方はいろいろな悩みを抱えてらっしゃると思うけど、とにかく、私は自分の経験から、学校教育を信じているというエールをお送りしたつもりである。

| 23:34 | 講演会 | comments(0) | trackbacks(0) |
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