ぜひぜひ読んでほしい本のショートreviewをUPします!
<< November 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
ともだちまねきねこ
  人を招くと言われている「左手」をあげた「まねきねこ」を手に入れたぼくは、今年の夏亡くなってしまった料理上手のおばあちゃんを招いてほしいと頼む。
 ちょっととぼけた自信満々の「まねきねこ」は、おばあちゃんの残した「らくチーン・クッキング」のノートとぼくを巡り会わせてくれるのだ。

 ぼく(原田槙雄)の気持ちの動きが良い。
 ぼくを「ハラマキ」と呼んでからかう、大場くんを、嫌だなぁと思い、大場くんを見たら、姿を隠すわけだが、連続逆上がりをする大場くんを、(すごいなあ)とも思っている。
 自分の家に「まねきねこ」を連れてきた時、これから一緒に住む親しい友人にするように、おばあちゃんが死んでしまったことと、ママが料理が得意でないことを明かす。
 
 一つ一つのことを、煎じてしまえば、物語は違う方向へ展開しそうな気がするが、事実を把握しつつも、それを、自分の日常の一部とらえ、へんに意識したり、その事象に(自己弁護的!?)名前をつけることなく、日々を過ごしているぼくは、いかにもこの年の子どもらしく、生命力に溢れている。
 大人の価値基準から言えば、おとなしく聞き分けの良い子なのであろうが、ぼくの体の中に渦巻いている数々の思いは、これから如何様にも成長可能(もちろん危うさも含め)な子どもの存在をまるごとかいているように思えて、複雑で奥深い人間の存在をみせてもらっているようにすら感じる。
 
 また、おばあちゃんのレシピを使って、大場くんと料理するシーンが良いのだ。
 エプロンをかけた大場くんを、かわいいと思ってしまう。自分のイメージから他者が逸脱することを心地よく感じ、もう一度関係性をとらえなおし、ぐっと近くなる。
 余熱で固まるたまご、お酒のアルコール分は飛ぶということ。
 一つずつ、片付けながら、次の過程に進むと、頭がごちゃごちゃしないこと。
 長年、台所にたってきたものだけが、選ぶであろう視線と価値観に溢れていて、他のHOW TOクッキングものと一線を画している。
 
 甘い卵焼きが好きだという大場くんのために、ぼくが、おばあちゃんのレシピ通りではなく、迷うことなく、砂糖を一さじ増やすシーンは、家庭料理の醍醐味を感じずにはいられない。ノートだけではなく、こういうことも、ちゃんとおばあちゃんは伝えているのだなぁと感じる。
 それは、食べる、つくる事、おかあさんにつくってあげるということ、友だちとつくり食べること、どれにも偏らず、どれをも含むシーンだ。
 昔話が、年寄りから子どもに継承されたわけは、この二者は、時間の流れ体内リズムが似ているからだという話を聞くが、まさしく、昔話を継承するように、生きるために知恵が流れ、伝わっていく感触を感じた。

 たわいもない日常の、子どもらしい物語。
 その言葉を最大の賛辞を込めて言いたいと思う。
 前述した「まねきねこ」への自己紹介のシーンも含め、上手いなぁとうならせるシーンが多くある。無駄のない、優しい平易な言葉で、ここまで、水面下に血を通わせることばできるのだと日本語の奥深さを感じずにはいられない。
 あまり大げさな褒め言葉は似合わない本だとも思うし、ぼくの存在も、気負ったところなどなく、普通の日常を切り取っているだけのようにも見える。
 しかし、八方に広がる可能性を示唆しつつ、抑制をきかせ、しかもそのことに安易な名前をつけず、今を、生きさせる。
 これは、おばあちゃんの知恵でもあり、子どもの存在そのものでもあると思う。このあたりの処理が巧いなぁと思う描き方だ。
 日本語って美しいなぁ、子どもの向日性ってパワーあるなぁ、なんだかそんなことを感じて嬉しくなってくる。
 そして、この一見、平易で単純な物語、言葉が、人間存在そのものを描いているという躍動感こそが子どもの文学というものなのだと、改めてその喜びと深さを教えてもらった一冊でもあった。
 

                ともだちまねきねこ
           書籍データ 国土社 松本 聰美・作 白土 あつこ・絵 201109
| 22:20 | 児童文学 | comments(0) | trackbacks(0) |
スポンサーサイト
| | - | - | - |









 
この記事のトラックバックURL

http://yukareview.jugem.jp/trackback/28