ぜひぜひ読んでほしい本のショートreviewをUPします!
<< June 2018 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| | - | - | - |
五輪メダリストから学ぶ 「スポーツと子育てと地域デザイン」

就任時初の民間出身者として話題になった滋賀県彦根市の前教育長・前川恒廣氏がマーク・トウェインの言葉を紹介し、開会されたこのイベントは、前川氏の教育とスポーツ発展への熱い気持ちに、子供服ブランド「MIKI HOUSE」の社長で、彦根出身の木村皓一氏が呼応し今回の講演会が実現した。

 

「 今から20年後、あなたはやったことよりもやらなかったことに失望する。

 だから、綱を解き 安全な港から船を出せ。風を帆にとらえよ。

 探検せよ。夢を持ち、発見せよ。 」

 

木村氏は、創業者特有のと表現していいのか言葉に迷うが、直感と自分の思いの交差点を逃がさず大切にし、社会貢献を考え実行されており、子どもたちの健全育成、スポーツ選手への後援を行っている。オリンピック三連覇を成し遂げた柔道の野村忠宏を見れるという軽い気持ちで出かけた私にとって、企業のイメージアップなどという言葉を口にすることが下品で申し訳なく思うほどの、真摯で情熱的な話だった。木村氏の話が、この彦根で聞けただけでも、今回講演会を聞きに来た意味があると感じるほどの熱気ある話だった。

 

さて、五輪柔道史上、前人未到の三連覇を成し遂げ、「天才」といわれる野村忠宏さんの話で印象に残った部分抜粋。

 

・父からの教え「きちんと組んで、一本を取る柔道」

・努力しても結果がでないことはある。しかし、努力と続けた先にある未来の自分を信じよう。結果は出なくても、投げる瞬間に感じる爽快感、その瞬間を大切にしようと思い努力と続けて来た。

・悔しさを知っている人間は強くなれる。悔しさをばねに自分を変えられる人間が強くなれる。

 

最後に、司会進行者から、「一流のアスリートに共通していることはなんですか?」という質問があった。ロンドンオリンピック卓球競技・女子団体銀メダリスト平野早矢香さんの言葉と共に紹介したい。

 

平野早矢香さん

「長い競技人生、勝てない時期、うまくいかない時期がある。そんな時、どれだけそのことに向き合えるか。積極的に続けられるか。前向きに生活できるか。が、できる人がだと思います。」

 

野村忠宏さん

「まず、当然、本気であること。努力の仕方を知っている。目標がある以上、努力して当たり前。それにプラス、自分にとって正しい努力、意味のある努力をつくり、続けて行ける人。」

 

 

                 

 

 

| 23:47 | 講演会 | comments(0) | trackbacks(0) |
自分の頭で考える・考えたことを言葉にする
 昨年に引き続き、地元小学校で授業をさせていただいた。低学年、中学年、高学年にわかれて、三時間である。
(昨年の模様はこちら → http://yukareview.jugem.jp/?eid=729 )

 今年は、すべての時間に、古田足日さんの『おしいれのぼうけん』(童心社)のことを冒頭に話した。
幼稚園、保育園の現場で読み語られ、また、家にあるという声も多い本作であるが、彼らにとっては、すでに、年齢とともに卒業した本。それを、再度、スピーカーである私のような児童文学を学ぶものにとってどれだけ大切な一冊であるかを語ることによって、登場人物の年齢と、読者の年齢とは同じである必要はなく、精神的成長とともにより深く読めるということを伝えたいと思った。
 古田足日さんのプロフィールとともに、思春期と終戦、敗戦の記憶から、「自分の頭で考える」ということを常々いっておられたことを紹介し、そのためには、考えたことや感じたことを言葉として捕まえ、人に伝えることも訓練していかなければならないという話をした。


                  

 紹介した本を抜粋して紹介すると、
 『おまたせクッキー』 参考 http://yukareview.jugem.jp/?eid=365
 『ぜつぼうの濁点』 参考 http://yukareview.jugem.jp/?eid=299
 『いるのいないの』 参考 http://yukareview.jugem.jp/?eid=213 

『いるのいないの』は、装丁自体が、子どもたちの気持ちをダイレクトにつかむようで、「それ、読んで〜!!」と叫ぶのを聞くのは、なかなか良い気分だった。

 手ごたえとして感じたのは、少し背伸びする読書。
 高学年への紹介の本として、『なないろレインボウ』 参考 http://yukareview.jugem.jp/?eid=791 をリストに加えてみた。中学生の女の子の入学から一年を追った物語だが、すでに中学校に行く自分を意識している高学年の子どもたちには、どんな中学生になるのかな? すてきな先輩はいるのかな? 違う小学校から来た人たちと友達になれるのかな? といった悩みや憧れは自分のものとして響いたようで、紹介後、手に取る子供たちが多かった。
 また、『逢魔が時のものがたり』(GAKKEN 巣山ひろみ・作 後日レビュー予定)については。中学年では、少しむつかしいかもしれないと躊躇したが、不思議な世界への入り口と、身近なだれかが抱えている闇の描かれ方の魅力は十二分に伝わり、子どもたちの反応が一番よく、「その本、ほしい!」「図書室にあるのか教えて」などという声が多かった。
 「私ね、逢魔が時って言葉、知ってるよ」と言ってくれた子もいたりして、小説世界の楽しみのみならず、美しい日本語の言葉と意味についても共有することができた。

 三時間続けての授業は、少し疲れるけれど、とても刺激的で勉強になる。
 うれしい時間をいただけたと感謝している。
 
| 23:27 | 講演会 | comments(0) | trackbacks(0) |
土着の魂 旅人の目
 今日は、ある小学校で、本の紹介。
 手渡し手の方々へは、よく講演会のような形式で本の紹介をさせていただく私ではあるが、なかなか、授業として話させていただくチャンスはない。
 子どもたちに、ダイレクトにおすすめの本を語れる喜びを感じながら、低学年、中学年、高学年にわかれて、三時間の授業をさせていただいた。

 今回、どんなコンセプトで話をしようかと考えていた時、『もののけ温泉 滝の湯へいらっしゃい』 (参考 →  
http://yukareview.jugem.jp/?eid=723 )を読んだ。
 作者の佐々木ひとみさんの、創作指針が「土着の魂 旅人の目」であることを知り、とても感銘を受けた。この言葉は、書き手だけのものではなく、読者としても、そういう気持ちで本と向き合えば、きっと素晴らしい出会いが出来るはずだと思った。
 いろいろ考えてはみたが、とても大きな意味と深さを持った言葉だ。なかなか咀嚼するには手ごわい。そこで、率直に、子どもたちにこの言葉をぶつけることにした。
 
 三時間とも、すべての授業を、『もののけ温泉 滝の湯へいらっしゃい』の説明と、作者がどんな気持ちでこの本を書いているかを話した。
 今、ここにいる自分、自分につながる何か、そして、ありきたりの風景が、好奇心と想像力を働かせれば、新しい発見に満ちたものになるということ。
 そんな思いで、本を選んだと伝えた。
 
 各授業とも、だいたい十冊強。
 絵本は、なるべく全て読んで、物語は一部を読んだり、紹介したりした。

 何を紹介したかは、最近のブログの内容と重なるので省略するが、最後の〆に読んだのは、

 低学年が、『いっちゃん』 (参考 → 
http://yukareview.jugem.jp/?eid=634 )
 中学年は、『たからもの』 (参考 → 
http://yukareview.jugem.jp/?eid=279 )

 高学年は、星新一の『ボッコちゃん』(新潮文庫)の中から、 「おーい でてこーい」 を朗読した。
 「おーい でてこーい」はテレビドラマ化もしているので、ご存知の方も多いショートショートであろうと思うが、地震で村の社が崩壊し、得体の知れない穴が現れるというもの。
 最初は、きつねの穴かと思い「おーい でてこーい」と叫ぶが、反響もない。石を投げ込んでも反応がない。この穴は、報道され、学者にも研究されるが、どうやら底なしの様子で、それに目をつけた利権屋が穴を買い取り、産業廃棄物を投棄し始める。原子力のカス、機密書類。人々は、全てこの穴に廃棄物を任せ、どんどん世の中を美しく開発していく。
 ところがある日、突然、天から、「おーい でてこーい」という声が聞こえて・・・。
 恐るべき事実は、この今日を予言するような作品が書かれたのが1958年、今から55年も前だということだ。

 その学年に応じた、足元が揺らされる本を選んだつもり。

 視聴覚室での授業だったため、子どもたちは、授業が終わるとすぐに教室に帰らなければならない。そのわずかな時間に、前に押し寄せてきてくれて、本を手に取ってくれたのは嬉しかった。

 子どもたちの気持ちを捉えたのは、読んだ本ではなく、紹介だけした、分厚い本の方が多かったのが意外だった。
 『もののけ温泉 滝の湯へいらっしゃい』は、どの学年の子にも好評だった。低学年には少し難しいかもしれないと、迷ったのだが。無駄な悩みだった。
 中学年では、難しい本も読めるようになった学年だからこそ、こういう文字のない絵本も読んで欲しい。小さい頃とは、絶対違う何かを受け止められるはずだといって紹介した絵本、『かようびのよる』 (参考 → 
http://yukareview.jugem.jp/?eid=262 )に男子たちが5人くらいで集まってくれた。そして、女の子が駆け寄ってきて、
「この本好きなの?」
と、聞いてくれたのが、『魔女じゃないもん!』 (参考 → 
http://yukareview.jugem.jp/?eid=713 )
「うん、好きだよ!」
と、答えたら、
「私、こういう本大好き。学校の図書室にあるといいけど、ないかもしれない。でも、絶対読む!」
と、言ってくれた。
「読んで。絶対読んで、面白いから。」
 授業内容を反復できた貴重な時間。
 高学年には、やはり、『マジックアウト』 (参考 → 
http://yukareview.jugem.jp/?eid=720 )のインパクトは絶大だ。表紙に力がある本というのは、こういう本を言うのだと思う。女の子の二人組みが、宝物のようにずっと抱えていた。
「ママに、図書館連れて行ってもらうんだ。」
 本当に至福の時としか言いようがない。

 高学年の授業が終わった後、中学年で授業を受けてくれた男の子が、再び、視聴覚室に登場。片付けをする間だけでいいから本を見せて欲しいとのこと。
 彼らのご執心は、
 一人が、『オバケの長七郎』 (参考 → 
http://yukareview.jugem.jp/?eid=728 )
 もう一人が『いえでででんしゃ』(新日本出版社 あさのあつこ&佐藤真紀子)
 片づけが終わっても、かえしてくれなくて、とうとう教員の方が、明日図書館で借りてきてあげると約束してくださったほど・・・。

 貴重な時間をいただいて感謝している。
 本当に、楽しかった。

 
              ボッコちゃん (新潮文庫)
| 22:59 | 講演会 | comments(0) | trackbacks(0) |
☆ 秋は、物語の海で泳ごう ☆
 今日は、彦根市立図書館にて、私が属する彦根市児童図書研究グループの研修会。
 小学校中学年・高学年へのおすすめの本を話してもらいたいというオファーだった。

 
表題は ☆ 秋は、物語の海で泳ごう ☆

 常日頃から、子どもたちに本を手渡すことに取り組んでおられる皆さまなので、絵本は数多く読まれているわけだが、なかなか、中学年・高学年になると読み漁って選別する時間がない。と、いう訳で、誰かにおすすめをもらって、取っ掛かりを作ろうということで、白羽の矢を立てていただいた次第。(たぶん)

 リスト作りは、自分の最近の読書傾向を振り返る意味でもたいへん刺激的な作業。
 翻訳モノの数が少ないことに反省。
 また、「中学年・高学年」向けと申し出に、自分の感覚と、一般論をすりあわせるために、リストの備考にインターネット書店などでどのような層向けの販売になっているかを記入。
 しかし、この分類には違和感があった。
 まず、中学年向きと呼ばれる書籍の狭さである。
 もちろん、出てくる子どもが、高学年なら高学年読み物、中学年なら中学年読み物と安直に振り分けられてしまうのだろうが、
 『ともだちまねきねこ』 (参考 
http://yukareview.jugem.jp/?eid=28 )なら、充分中学年でも読めそうなものだが、高学年に分類されている。
 逆に、というか、中学年の狭さゆえに、高学年の本の分類はあまりに広い。個人差がある年齢であることはもちろん承知していてもこの広さは不安を感じる。
 そして、翻訳モノの分類も不可思議である。『リーコとオスカーともと深い影』 (参考 
http://yukareview.jugem.jp/?eid=722 )は中学年に分類されている。日本作家の分類に比べると、文字の量といい、深さといい高学年に分類されそうなものだと思う。もちろん、中学年で出会ってもらいたい本であるにはちがいないし、読める本だと思う。こちらの感覚は翻訳モノの分類に近い感触を受けた。
 どんな基準で振り分けているのか気になる。分類に振り回されても仕方ないわけだが、ある以上気になるのも人情というもの。
 しかし、考えても基準がわからないので、自分の体内リズムを最後は信じるしかなさそうだという安直な結論に至る。

 どんな本を紹介したかという話は、最近ブログで紹介した本に重なるため割愛したい。
 
 最近、きっちり本を勉強しておられる集団にお話させていただくときは、『魔女じゃないもん!』 (参考 
http://yukareview.jugem.jp/?eid=713 )を熱く薦める事を常としている。
 こういう装丁の本を、軽い・子どもに媚びた作品だと判断できる時代は終わったことを認識しなければ、これから我々は本を手渡す人間としての機能が正当に発揮できないと考えているからだ。もちろん、そういう本もある。良い作品を書く作家でも、こういう装丁の本は、手を抜いているわけではなかろうが、自分の主軸からはずれたものとして書いているとしか思えない作品もある。だから判断はムツカシイ。
 でも、この本を、読書への窓口などという橋渡し的な役割として扱わないでほしいという思いがある。使い捨てられるべきでない物語を、使い捨てるように扱うべきではない。だから、私が、この本をどんなに好きで、どんなに凄い物語世界を持っていると思っているかを語る。
 固定概念は、私が思っているほど根強いものではないというのが率直な感想。
 ソフトカバー文庫はたくさん出ているから、どれから読んでいいのか分からない。おすすめしてもらえると嬉しいというノーマルな言葉が返ってくる。

 たくさん読んだ中で三十冊弱の本を選ぶのだから、紹介する私も熱弁になる。
 今日は、図書館側が用意してくれた、講演会後借りていける紹介本は、全て誰かの手に渡った。
 熱が伝えられた安堵感。私は、手渡すものとして機能したということだ。満足、満足。
 
  
| 22:17 | 講演会 | comments(0) | trackbacks(0) |
第三の目を持とう!

某中学校で二年生全クラスで授業をさせていただきました。
  自分自身、たいへん楽しい経験でしたので、忘備録的に記録しておきたいと思います。

今日は、第三の目を持とうという題で話をします。

第三の目って、何やねんと思われるかもしれません。

皆さんは、中学二年生という「今」を生きておられます。

中学二年生っていうと、まぁ、今、世の中にころがっていることの、嘘、とか、欺瞞に気づく年です。世の中とか、誰かが言っていることについてちゃんと批判できる年齢です。

「うそつけ」とか「キレイ事やろっ」ってヤツですね。

でも、もう一歩、すすんで、何で、自分は、そう思ったかを深めてもらいたい。

正しいかとか、正しくないかとかいうことではない。

自分というフィルターの存在を意識してもらいたい。

私は、読書というものは、そういうものだと思っています。

正解なんかない。ただ、自分が面白いか、面白くないか。そして、なぜ、そう思ったか。極論すれば、「なぜ」っていうのも分析しないでいい。そう、感じた、「今」の自分を大切にしてほしい。それは、もしかしたら、「今」しか感じられないことかもしれない。その、危うい出会いが、今、読書をする意味です。

 

とはいえ、具体的にどうなんや? と、わかりやすいので、絵本を実例に、例えば、動物の命のことを考えてみることにしましょう。

◎  『Brother EagleSister Sky 酋長シアトルからのメッセージ』
            スーザン・ジェファーズ絵 JULA出版社
 白人に血みどろの戦いを仕掛けられ、土地を奪われる契約書にサインをさせたれるテーブルにつかされたインディアンの偉大なる酋長シアトルの演説の絵本化。
 空が金で買えるだろう? と、酋長シアトルは話し始めた。
 という言葉で始まるメッセージ性の高い演説。

 

    『黄色いボール』 立松和平・文 長新太・絵 河出書房新社

  これは物語なので、ただ聞いてもらえれば。
 東京に転勤になり、動物が変えないマンションに引っ越すため、タロウは、投げられたボールを拾いに走っている間に飼い主に捨てられる。長い放浪の末、新しい飼い主を得るまでの話。
 
小屋のなかには 黄色いボールが いれてある。
 ケンちゃんか パパに あえたら、ほくは ボールを
 もどさなければ ならない。ずいぶん よごれて
 しまったが、このボールは パパの ものだ。
  みんなは ぼくを ポチと よぶ。
 ポチと よばれて、
 ぼくも ワンと へんじを するようになった。

     『動物の死は、かなしい?』 あべ弘士 河出書房新社

 旭山動物園で、長年飼育係をされていた、絵本作家あべ弘士さんの、なぜ飼育係になったか、そこでどんな体験をした書いた本。 
 
野生動物は弱っていることろを見られると、狙われてすぐに食べられたり、攻撃されたりする。弱みは死を意味する。動物園の動物も同じで、なかなか弱みを見せない。気づいたときには手遅れの場合がほとんどだ。

 
どの本に魅かれでしょうか?
 
同じ、動物の命は大切だといっても、演説で直接的な言葉で語る本、物語、体験談と、いろいろなアプローチの本があるという例です。
 
ではここで、もう一冊読んでみます。有名な絵本なので、知っている人もいるかもしれません。

 

     100万回生きたねこ』 佐野洋子 講談社


 この流れで読まれると、動物の命の話だと、脅迫観念が生まれるのでは?
 それに騙されてはいけない。
 実際、この本を、「動物愛護」の観点から読む人もいる。間違っては、いないと思う。本は、どう読もうが自由だから。だけど、私は、その読み方が大嫌いです。もっと言えば、この本は、こう読めみたいな解説書も大嫌い。ほっといてくれと言いたくなる。
 私は、この本は、いくら、いろいろな人に好きでいてもらったとしても、自分が自分のことを本当に好きになって、誰かを愛して、その誰かのことを失った時本気の涙を流せるくらいにならないと、人って、本当に死ぬことすらできない生き物なんだって、ちょっと哲学的に読みたいと思うわけです。
 どんなに有名な人や、偉い人が、こう読むといっても、違うんじゃない? って思ったり、ムカッとしたり、逆に、その読み方面白いなって思う気持ち。それが、今の自分のそのもの。それが、第三の目なわけです。

 では、その第三の目をどうやって育てようか? と、言うのがこれからの話です。

 

 

 私自身、中学生のときに運命の物語と出会いました。

 ヘルマン・ヘッセの『少年の日の思い出』です。今も、中学一年の教科書に載っているらしいですね。覚えていますか?

◎  『ヘッセ全集 2 車輪の下』新潮社 より 「少年の日の思い出」
 「非の打ち所がない」ことが欠点だという優等生の少年が珍しい蝶を標本にしたと聞いて彼の部屋に見にいったら、人がいなくて、蝶が置きっ放しになっている。ぼくは、その蝶を持って飛び出す。ところが、途中、人に会ってびっくりして蝶をポケットにねじ込んで、羽を壊してしまう。夜、罪の意識に母親に告白したら、ちゃんと謝りに行けといわれる話です。
 この物語を読んで、私はある一文に痺れた。ぼくが、優等生に謝りに行ったところでのシーンです。
 
すると、エーミールは激したり、ぼくをどなりつけたりしないで、低く、ちぇっと舌を鳴らし、しばらくじっとぼくを見つめていたが、それから『そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな』と言った。 
 私は、この『そうか、そうか、つまり君はそんなやつなんだな』に痺れた。なんで? って思うでしょう。 

 なんでもない言葉だけど、二人の関係、その少年の性格を、その何でもない言葉にビタっと当てはめていて、凄いなって思った。ここに物語がある、これが、物語なんだと感動したわけです。こんな物語が書けたら、私は死んでも良いと思った。

  その感動を追い求めて今がある。

  では、私は、どんな仕事をしているか?
  こういう本を読んでいます。

     『魔女じゃないもん!  リセ&バンビ、危機一髪!!』
           宮下恵茉 集英社みらい文庫

 参考    http://yukareview.jugem.jp/?eid=489
 どうか、バンビの願いがかないますように
 という言葉は、友情を描く上で正しいと私は思う。みんな、日常生活では意識せずに選んでいる言葉。そんな、だれも意識していないことを、なんでもない言葉で、きっちり描ける作家は凄いと思う。そんな一文に会えた時、あぁ、これが物語だって、私は痺れる。
 
 皆さんは、もう、自分のお小遣いで、好きな本を買ったり、図書館で好きな本を借りることができる。でも、もう少し小さい人たちには、どうしても、この本を読みなさいとか、面白いって言ってくれる大人の存在が必要。
 児童書っていうのはリスキーなジャンルで、こういう、大人から「漫画みたいな本読んで」って眉をしかめられるような装丁の本に、もの凄く文学の喜びが溢れている本がいっぱいある。そして、逆に、先生の前でなんだけど、先生がすすめてくれそうな立派な装丁で、内容の無いスッカスカの本もある。
 だから、私は、とにかく、児童書っていわれるジャンルの本をたくさん読んで、本当に面白い本のことを、これが面白いってじゃべることを仕事にしている。

 
 他にも、一文に痺れたのは、この本。

     『マジックアウト 1 アニアの方法』
     佐藤まどか 著 丹地陽子 画 フレーベル館

  そしてこのプロジェクトは「アニアの方法」とよばれた。
 参考 
 http://yukareview.jugem.jp/?eid=19

 この本は、内容も素敵なんですけど、本の装丁も素敵でしょう? 
 この本を書いた、佐藤まどかさんは、イタリアで時計や、椅子のデザイナーをしている人。だから、表紙のデザインなんかは、かなりこだわる。

 本作りというのは、いろいろなところに、作り手の人生が浮かび上がってくるから面白い。


 じゃぁ、私は? と、聞かれたら、残念ながら、一文に痺れているだけで、食べていけるほど、世の中は甘くない。だから、私は、常日頃は、普通に企業に勤めている。そんな自分が、どんなものを面白いかと思うかと聞かれたら、企業人として、職業意識や組織が描かれた本に興味がある。
 

     『マスカレード・ホテル』 東野圭吾 集英社

 あるホテルで事件が起こると予告がはいる。その情報を得た警察がホテルマンに身をやつして、潜入捜査をする。
 警察は、人を疑い、人を裁きの場に引きずり出すのが仕事。ホテルの人は、お客さんの無理難題をすべて受け入れて、すべてお客様が正しいという観点から、ホテルにいる間、心地よく過ごしてもらうという仕事。
 全く違う価値観と常識で仕事をしている人たちが、お客様の安全を守る、犯人をつかまえるという一点を共通の目的に協力しなければならない状況になる。その時の、お互いのプロ意識のぶつかり合いが面白い。

 この本は、どちらが良いとも言っていないところが良い。
 お互いの仕事に対するプライドで、事件を明るみに出していくし、そこにはお互いへの尊敬がある。

     『出口のない海』 横山秀夫 講談社

 横山秀夫も刑事モノを書く作家。横山秀夫の作品には、所謂《はみ出し者》の視点は存在しない。組織に所属し、基本的にその組織に順応している人間像が描かれる。組織にはまっている人間が、その限られた、役職権限と、組織人として求められる制限の中で、身の幅三センチの自由さを最大限に生かし、いかに人間として、個人として、誠実に、理屈を通した生き方ができるか? どれだけ、自分らしくカッコよくいられるか? この緊張感が横山作品の魅力だと思う。

  この物語は、そんな刑事モノとはちょっと違った作品で、甲子園の優勝投手が、戦争が激化するなかで「回天」という、海の特攻機(命を落とすことを前提に、片道燃料で、敵機につっ込む)に乗り込む作品。
 私は、組織というものが一番悪い形で機能したのが戦争だと思っている。上に逆らえないとか、監視するとか。では、その悪の組織に、野球という生の組織を重ねた時、こんな時代でも、こんな生き方を余儀なくされても、人は、与えられた三センチの自由の中で、自分らしく生きられるのか?
 そんなことを問うてくる本です。ぜひ、読んでください。

  では、生活を離れたところで、どう読書を広げていくか?

 これは、自分が、好きな人、面白いと思った人の、面白がることを追いかけるのが一番ではないでしょうか?

 私が、今、一番興味を持っているのは、平野啓一郎という作家です。
 なぜ、興味を持ったかと言うと、講演会に行って、
僕は文学は、やはりマイノリティの声だと思っています。
という、言葉に痺れたから。 

     『世界は文学でできている』 沼野充義・編著 光文社

  その講演会の模様は、この本に収録されています。

 参考 → http://yukareview.jugem.jp/?eid=158

 で、その、平野啓一郎さんの興味を私も追いかけています。

果てしなく美しい日本 ドナルド・キーン×平野啓一郎スペシャル対談
     http://yukareview.jugem.jp/?eid=442

細江英公 × 平野啓一郎 トークイベント
     http://yukareview.jugem.jp/?eid=315  

 細江英公さんが撮影された、写真の中に、阪東玉三郎さんが化粧台に向かっておられる写真がある。同じ時期に、発売された写真集に、こんなものもあります。

◎  『細江英公人間写真集 創世記 若き日の芸術家たち』国書刊行会
     『亀治郎の肖像』  齋藤芳弘・写真 文化出版局

 同じように、化粧台に向かう歌舞伎役者。写真でもいろいろあると思うでしょう? たぶん、図書館での分類は、同じ有名人を撮影しても、細江英公さんのは、「写真」のところで、亀治郎さんのは「芸能」のことろに置かれていると思う。そんなことは、ある意味、自分の感性とは関係ない。
 そちらが好きか、どちらが好みか、それで良い。
 好きだって気持ちは、今の等身大の自分からしか生まれない。


 最後は、やっぱり生活の中から物語は生まれるという話をしますね。

     『神様 2011』 川上弘美 講談社

  参考  http://yukareview.jugem.jp/?eid=491
 東日本大震災の後、作家が自分のデビュー作を書き直す作業をしている。変わらない文体と物語世界を持ちながら、決定的に何かが変わっている。二つの物語を並べる意味を感じさせる

 

     『林業少年』 堀米薫・作 スカイエマ・絵 新日本出版社

  生活から文学が生まれることの見本のような作品。

 生活者であることが物語を深めている。

 宮城県で、農家、酪農、林業をしている作者。

 小学校五年生の少年が、はじめて、百年杉の伐採と荷出し、それに関わる人々のありようを知る物語だが、大学進学で、自分の人生を考え出した姉の楓が、楓とは、木に風 だということを実感する物語でもある。


 ちょっと戻って、先ほどの市川亀治郎さんが、写真集の中で書いている言葉を最後に紹介したいと思います。

 
役者たるもの、
 一人でも多くの人々に
 感動を与え続けることが、
 その使命だと
 私は考えています。
 観客の心を打つには、
 やはり誰よりも
 自分自身がときめいて
 いなければならない
 のではないでしょうか。
 自分の心が輝いていれば、
 自然とそれが観る者の
 心に伝わってゆく。
 そう、どこまでも自然に。
 それこそ最高の
 境地ではないかと考えます。
 
 表現者の思いがある。読者の思いと重なった時、何かを受け取ることができる。表現する方も、受け取る方も面白がっていないと、何も始まらないし、何も生まれない。
 生活から、物語は生まれる。そして、それを読む人が、判断するのも、その読者の生活があってこそ。その本と、今出会う意味がある。

 よく、大人は、本を読むと豊かな心が育つといいます。それは、半分本当で、本文嘘だって私は思う、けっして、本の中に豊かな心になれるネタが詰まっているわけではない。

 今、こうやって、生きている皆さん。

 面白くないとか、面白いとか、そう強く感じて、何でそんなことを思ったのか考えて、今、そう考えている自分を、漠然とでいい「大切」だと感じることが、人生を豊かにしてくれるということです。

 みなさん、勉強とか、部活とか、友だちとか、好きな人とか、毎日、忙しいでしょ。

 だから、その毎日を大切にしてください。

 そのことが、皆さんを良い読者し、もしかしたら、良い書き手にしてくれます。生活という基盤がなくては、何も面白くないし、何も生み出すことはできない。

 そして、時々、本も読んで・・・絵本でもいいんです。絵本は、子どもの読み物とかいう人もいるけど、小さな物語にも、始まりがあって終わりがある。けっして、小学生のときは感じられなかったことを感じることができるはずです。

 それは、みなさなんの、たぶん、みなさんにとっては、なんでもない毎日を積み重ねているからです。

 しっかり、生きて、たまには、本を読んでください。 

 そして、どう感じたかを大切に、してください。その、「どう」が、第三の目です。

 そこに自分の「今」があるはずです!
 これで私の授業を終わります。

 

| 22:34 | 講演会 | comments(4) | trackbacks(0) |
第62回滋賀県文学祭
 滋賀県が主催している、滋賀文学祭が今年も行われた。
 小説・随筆・童話・詩・作詞・短歌・俳句・川柳・冠句・情歌と各界で活躍されている講師の方と出会える面白さはもちろん、公募入選作の方々の表彰、交流もあり、楽しい集まりである。

 本年度の、基調講演は
    「書くこと・生きること −作品に編んだ作家の思い−」
                    今関信子(児童文学作家)

 常識的にとらえるという安心感の中からは物語は生まれない。
 心が躍ってないと、作品は熱を持たない。
 発見が物語をつくる。障害を一つ入れることで、物語は、いろいろな方向へ展開する。
 
 といった、作品作りの基礎や手法の話から、自身が父親を看取った経験を『さよならの日のねずみ花火』(国土社 1995)という作品に昇華させるまでのプロセスの話まで、生活、日常の緩急と物語の展開の違いなども含め創作の舞台裏の話を聞いた。

 自分の創作の基盤として、最後に紹介された井上ひさしさんの言葉は印象的であったので引用しておく。

 むずかしいことを やさしく
 やさしいことを ふかく
 ふかいことを おもしろく
 おもしろいことを まじめに
 まじめなことを ゆかいに
 ゆかいなことを いっそうゆかいに

                井上ひさし

 そんな話を聞きながら、私は、芥川賞作家の藤沢周さんと話したことを思い出していた。
 作家というフィルターを、いかに魅せるか、いかに消すかというような話をしていた時だ。酒席だった。自身が個性的な色気のある文体で独特の世界を描いているにも関わらず、「消す」に傾いた発言をされる藤沢さんに、私は、率直に疑問をぶつけた。
「白黒映画の時代に、女優の情熱的な赤い口紅の色は、実際には黒を塗ったのだそうです。黒が、白黒フィルムというフィルターを通すと、赤い扇情的なものとしてみるものに伝わる。作家のフィルターを通すということは、そういう虚構を真実よりも真実として魅せるということだと思うのですが。」
 その時、藤沢さんがいった言葉は印象的だった。
「だけど、黒が赤に見えるでしょう? 白黒映画ってそういうものでしょう? と、いう作家の手つきが、見えたら興ざめでしょう。」
 どう魅せるか? そこに作家の手つきがあってはならない。その潔さが、藤沢文学の根幹であるようにも思えた。
 その作家が、書かねばらならい衝動と、その作家が書く意味と、そして、手つきが見えない物語。
 創作のテーマと、テクニックは、複雑に絡み合っている。
 
 結局、どう生きるかだな。
 そんなことを感じながら聞いた講演会だった。
| 23:15 | 講演会 | comments(0) | trackbacks(0) |
細江英公 × 平野啓一郎 トークイベント
 私は、肖像写真が好きだ。ある一瞬の人の顔に、その人の生き様が象徴される。
 スナップでも、ポートレートでもいいのだが、そんな写真に出会うと心が騒ぐ。
 写真は、生き様も写す。そんな単純な事実が、恐ろしく、そして尊いと思う。肖像写真は、撮影者の被写体への思いも写しこむ。愛や妄想、尊敬、憧れ。撮影者が思い描く、被写体のイメージ、そして生き様でもあるのだ。その視線の交流が、たまらなく親密であると私は思う。

 東京・青山ブックセンターで、「細江英公 × 平野啓一郎トークイベント」が行われた。

 細江英公人間写真集『創世記 若き日の芸術家たち』の刊行を記念して、著者である写真家の細江英公さんから、平野啓一郎さんがエピソードを引き出す趣向だ。
 
 三島由紀夫を被写体とした『薔薇刑』を送り出したことで知られている、細江英公さんが、『薔薇刑』未収録作品を含め、主に知人の芸術家を撮影したポートレイトを集大成した写真集を真ん中に置いての話なので、被写体とのエピソードが、細江さんの芸術論に近く、その形成過程を象徴しているので、興味深い講演となった。
 (お目当ての、平野啓一郎さんの広く深い知識に裏打ちされた、聞き手ぶりも絶品!)

 中でも、心に残ったのは、自分は、被写体が嫌がるような写真は撮らないという細江英公さんの言葉。
 アーティストには作られたイメージがある場合がある。それに則して写真を撮られることを望むアーティストもいる。だから、そういう写真を撮ることもある。しかし、
「世間に知れ渡っているものを撮るのは自分の仕事ではないと思っている。」
 とは言っても、被写体がイヤなものを撮って面白いとは思わないし、それは礼儀だとも思っている、だから、自分の知らない自分を被写体に見つけてもらうために、言葉を尽くし、その場でのせながら、自分の撮りたいところに入ってもらうように雰囲気を作る。アーティストの、内側が表に出る瞬間を逃さず、シュチュエーションをつくるとのこと。
 忙しい人を撮るには、待つことも大切。松下幸之助さんを撮るには四年待った。待っただけの写真が撮れた。
 写真と言うのは、写真であるというだけではなく、写真家の被写体による表現でもある。

 ハイティーンの時から交流のあった、画家の瑛九さんや、哲学者の加藤正さんとのエピソードのなかで、
「作品や出来事を論じる。大人の真剣な議論を聞く、それは凄いことであった。」
と、細江さんは言った。本当にその通りだと思う。

 ポートレイトには、名前しか知らない人や、恥ずかしながら私の人生ではじめて拝見するお名前もあり・・・。細江英公さんの写真で、魅かれた姿の方の仕事を追ってみよう! と、お二人の話を聞きながら思っていた。

 蛇足的感想(でも大事☆)
 講演終了後、お二人のサイン会があった。一流の人は本当に優しく気づかいをされるものだなぁと感じ入った。ミーハーな私は、ウキウキとちゃっかりサインをいただきました。
 

                                         

| 23:15 | 講演会 | comments(0) | trackbacks(0) |
本を読む楽しさを伝える読書活動

 教育委員会から「本を読む楽しさを伝える読書活動」と題し話すようご依頼いただいた。45人もの教員の方のご参加いただき嬉しく思う。

 忙しい先生方に、少しでも多くの実質的なキーワードを持って帰っていただこうと、一冊でも多くの本を紹介することをコンセプトにお話させていただいたわけだが、実際に取り上げた本は、最近気になっている本、読んで面白かった本であるから、このブログに掲載されている本と多くが重複するので割愛する。

 私は、学校教育を信じている。
 大好きな先生から、すすめてもらった本は、どんな名作にも勝る。
 
  簡単に言えば、そんな話をした。


 このブログで、自分自身のことを語る機会もないかもしれないので、少し、詳しく、論旨を書いておきたいと思う。
 
 まずは、現在の学校現場とのかかわりとして、朝の10分間読書のお手伝いをさせていただいている話をした。受け入れ手の先生方にはご苦労があると思うが、大人と子どもの感じ方の違いをライブに感じられ、気付くことがいっぱいで楽しい。
読書は、「背伸び」と「確認」の両面が必要だといわれる。
実感 『とうさんのたこはせかいいち』
1
4年生の教室で、この本を読んだ。
神さまが、とうさんのたこと、お菓子やおもちゃと交換してくれと頼むシーン
1
2年 こだぬきたちが、神さまに声をそろえてくり返し言う言葉、「だめ」の大合唱
3
4年 オレなら変えるかもな〜といいながら、作中の頑張っているチビたちを見守っている。
その年でしかない反応がある。
ちなみに、私の感想 →  http://yukareview.jugem.jp/?eid=228
 反応の違いを目の当たりにしながら、少し、幼いかもしれないと思う本を、あえて上の学年で読む大切さも感じさせてもらっている。

 私は、 母が読書運動をしていて、小さい頃から本の世界とともに育ってきた。 椋鳩十さんやあまんきみこさんといった一流の作家と、子どもの頃で会えたことは私の人生に大きな影響を与えてくれたと思う。
   
後藤竜二さんの作品との出会いで児童文学の世界へ深く進むことになる。
 親が、子どもの本の普及活動に深く関わっている多くの子どもがそうであるように、早熟な読書環境を持つがゆえに、反抗期には、子どもの本を読まない子どもになっていた私。こ難しい本を読んで、もっともらしく論じることがプライドだった中学生だったが、後藤竜二さんの『少年たち』に出会い、自分のことを言い当てられるような、いっぱいいっぱいの自分と等身大の世界に強く魅かれ、人生が一転する。

 私にとって、子どもの本に関わる意味は、人生をかえるかもしれない瞬間に立ち会うということである。

 身近な大人が、すすめる本は、世界一!
 特に先生からもらった言葉と言うのは、人生の宝物だと思う。
 限られた期間で成果を出すことが求められているお仕事でらっしゃるので、こんな話は、ちょっとわかっているけど、どうかと首を傾げられるかもしれないけれど、もらった宝物が意識化されるのは、いくつの時かなんて誰にもわからないのではないか?

 今は、時代としてそんなことをしなくなったと思うが、私が子どものころ、読んだ本の冊数をシールにして張り出すことをしていた。
 私は、読書が得意でない子から、どうすれば本を読めるか、聞かれたことがある。その時、私は、絵本なら、短いし、絵もたくさんあるし、すぐ一冊が読み終わるから、シールも増えるし楽しいと思うと答えた。その子の、読書冊数が話題になったとき、クラスメートから、私の進言が「ズル」だと攻撃を受けたことがある。
 その時、先生からももらった言葉、「絵本も本だ。はじめがあって、終わりがある。一冊を閉じて、物語が終わる。だから本だ。」は、衝撃だった。
 私は、少し「ズル」を考えていた。だけど、絵本も本だという、先生の言葉に支えられて、今の自分のライフワークがある。

 先生に、私が一流の文学者になったら、先生のおかげだけど、ただの風流人で終わったら先生のせいだからなって、今も言ってる。教師と言うのはそれだけの影響を子どもに与える。

 その先生には、「その反面」という言葉がわからない私のために、休み時間中付き合っていただいたこともあった。例文をいっぱい言い合いっこした。それは違う、そう、そんな風に使う。そうやって本を読み解いてきた。
 先生にとって、それは、長い教員生活の、たった一日のたった10分の休み時間での出来事で、思い出すこともないエピソードかもしれないけれど、それが本当の教育の時間だったのではないか。
 私は、母が、ずっと読書運動をやってきていたので、本好きな子どもだったし、そういう素地はあったと思う。
 だけど、豊かなものをもっていても、それは茫洋と広がる何かでしかない。
 それを、言葉として立ち上げるのは、やっぱり学校教育だなと思っている。

 私は、文字通り学校教育によって「文明」を与えられた。


 豊穣な大地だけでは、いかんともしがたい。

 もちろん、その年なりに、いろいろあった。毎日が楽しくて楽しくて仕方なかったわけではない。

 だけど、学校のおかげで、私は、自分を表現する言葉を手に入れた。
 それは、読書、評論、すべての基盤だ。
 日々本業雑務に忙殺される中、現場の先生方はいろいろな悩みを抱えてらっしゃると思うけど、とにかく、私は自分の経験から、学校教育を信じているというエールをお送りしたつもりである。

| 23:34 | 講演会 | comments(0) | trackbacks(0) |
室井滋&長谷川義史 絵本ライブ
  滋賀県犬上郡豊郷町吉田にある、金亀・大星醸造元 株式会社岡村本家さんで行われた、室井滋さんと、長谷川義史さんのライブに行ってきました。
 室井滋さん初の絵本『しげちゃん』で(参照 
http://yukareview.jugem.jp/?eid=148 )話題の二人だが、実は、エッセイストでも知られる室井滋さん、長谷川さんとは、週刊文春で12年間挿絵を描いていただいた間柄だとか。(帰宅してから、室井滋さんのエッセイを開いてみれば、当然だけど、長谷川さんの絵でした・・・気付かないものだなぁ。)

 室井滋さんと、長谷川義史さんという二人のエンターテイナーの舞台が面白くないはずがなく、歌あり、コント的打ち明け話あり、即興お絵かきあり、読み語りありと楽しかったです。
 特に、室井滋さんの朗読は、その表現力に、女優さんって凄いなぁと感心するしかない状態。
 普段は、感情過多な読み語りが好きではない私なのですが・・・そんな問題などちっぽけなこだわりだといわんばかりに、その魅力にときめきました。
 カテゴリーを講演会したけれど、ちょっと、文字通り、ライブ・・・というか、ファンの集いっぽかったかもしれないなぁ。飛び入りゲストとして、ピアノ奏者の大友剛さんも来られ、酒造二階の「蔵しっく館ホール」に生演奏が響く贅沢も味あわせてもらいました。

 岡村本家さんの「蔵しっく館ホール」は、クラシックコンサートを始め、映画の上映など文化の発信を熱心にされていることで地元では有名。一度、訪問したかったので、舞台としても嬉しかったです。
(クーラーがきかないエコ環境・・・団扇がちらちらする〜という長谷川さんのツッコミにめげず、みんな、ぱたぱた。飲んでも飲んでも汗になる(泣))

 酒造での開催とあって、入場料は、前売 5,000円(金亀特製お弁当+コップ酒が一杯付き)。
 残念ながら、私は下戸ちゃんなので、お茶だったのだけれど、その後も、お酒のおかわりが購入できるシステムで、雰囲気も素敵でした。(舞台のお二人も飲んでらしたし〜)
 お弁当も、とても美味しかったです。(金亀のお酒は、飲んでいる人に、どれが美味しいか取材!?して、ちゃっかり、家人のためにお土産購入しました。もの凄く美味しいと、家人にも大好評☆)

 16:30開場 お弁当食べて、飲みながら、18:00ライブ開演。
 子どもさんもたくさん来てらっしゃいましたけど、大人が楽しむ絵本ライブを堪能した気分です。
 もちろん、ミーハーな私は、お二人にサインもいただき、握手もしていただき、飲んでないのに酔っ払い状態でした(笑)
| 23:49 | 講演会 | comments(2) | trackbacks(0) |
あまんきみこさん講演会「おはなしが生まれるとき」
 滋賀県の多賀町立図書館で行われた、あまんきみこさんの講演会に参加してきた。
 
 ご婦人に年齢のことを言うのははばかられるが、あまんさんは、1931年生まれ。今年81歳。
 その、優しさのなかに凛と貫く強さと美しさに、知性というのは老いないものだと、今更ながら思い知らされる。

 印象に残ったのは、最後の質問コーナーで、今後の仕事について聞かせていただいた際の一言。
 進行形のお仕事は詳細を明かせないことも多いだろうと、もし、いえなければ、仕事をしてみたい画家さんのお名前でも結構ですと逃げ道を作ったつもりの私の浅知恵木っ端微塵!

 仕事をしてみたい画家さんというのは考えたこともなく、自分は、自分が描きたい物語を書くだけだとキッパリとおっしゃった。

 自分が書きたい物語のことをずっと思っている、それは恋のようなものだと。
 あぁ、ステキだなぁ。

 講演会の詳細報告は、季節風びわこ道場オフィシャルブログでどうぞ!


           こちら →   
http://biwako-dojo.jugem.jp/?eid=9
| 23:55 | 講演会 | comments(0) | trackbacks(0) |