ぜひぜひ読んでほしい本のショートreviewをUPします!
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黄いろのトマト

博物館の大きなガラスの戸棚にいる4匹の剥製の雀蜂が語るペムペルとネリの物語。

色彩豊かな宮沢賢治の文章に、降矢ななが言葉に負けない美しい絵で応え、世界を広げている。

黄金のような黄いろのトマトとサーカスの群像、夢心地の物語が一転、日常に汚される瞬間が見事に描かれている。

 

              

           書籍データ 宮沢賢治 作 降矢なな 絵 三起商行  2013

| 19:12 | 絵本 | comments(0) | trackbacks(0) |
イーストンと春の風

 読書の楽しみと言えば、物語の大きなうねりに身を任せる喜びと、ディティールの小さな共感とか発見とか、くすぐったいような愛着が積み重なる感じの喜びと、大きく二つの楽しみがあると思う。

 たいていの本は、どっちかか、もしくはどっちかが強いものだと思うのだが、このイーストンのシリーズには、どちらの楽しみも存分にあって、なんだか困ってしまう。

 

 ここは、かぐわしの森。歩けばたちまちお腹がすいてくる。

 なぜなら、森のパン屋イーストンの焼くパンの匂いが、木々の間からしてくるからだ。

 ところがある日、イーストンのパンがうまく焼けなくなる。一緒に、ずっと仕事をしてきた小さなはね火のアチネが、動けけなくなってしまったからだ。

 

 かなしそうに、ひとつ、ほおっとけむりをはいた。

「だめなんだ。けさ、気がついたら、おいら、おどれなくなってた」

 

 仲間のため、そして自分の使命であるパンを焼く仕事を復活させるため、イーストンは森一番のものしり・ノムさんのところへ相談に行く。そして、アチネがおどれなくなったのは、春一番のせいではないかということになる。

 春一番を探すイーストン。そして、とうとう春一番を捕まえるのだが・・・・。

 

 アチネはやっぱりおどれない。

 イーストンは、自分の力を取り戻せないアチネと木の根元に黙って座る。

 

「夜の森がこわいのかい?」

 

 イーストンは、アチネを理解しているとは言えないのかもしれない。仕事のパートナーとはそういうものだ。しかし、共に時間を過ごし、同じものを見つめる。そして、仕事がうまくいくことを願い、相手を労わり気にかける。

 

 面白いのは、アチネが再び、おどりだせるのは、アチネ自身が、自分で自分をのせながら、おどってみることにチャレンジしかたらであって、わかりやすい環境も、わかりやすいきっかけも、ましてや、春一番をつかまえて何かが解決したわけでもないことだ。

 

 そんなものかもしれないと思う。アチネを救ったのは、すべての過程であり、物語であり、自分自身の思いなのだと思う。

 

 アチネというネーミングも好きだし、アチネの仕事を踊ると表現するセンスも好きだ。

「夜の森がこわいのかい?」というセリフも好きだし、イーストンとアチネの距離感、そしてこの物語の展開が好きだ。

 

 なんだか、これだけの好きが、絵物語の短い物語の中に詰まっているのだから、やっぱり好きだよなとしか言いようがない。

 是非多くの人に読んでほしい。                                            

 

 

 

 

 

                

     書籍データ 発行 出版ワークス 発売 河出書房新社 巣山ひろみ・文 佐竹美保・絵 2017.03

| 19:35 | 絵本 | comments(0) | trackbacks(0) |
ネコヅメのよる

 猫が何かを察知する。

 全身を、その気配にそばだてている。

 町中の猫が、集まってくる。

 

 今日は、気まぐれなネコヅメのよる。

 

 猫にしかわからない、空気と、コミュニティ。

 秘密は秘密のまま幕を閉じる。

 その不可思議さ、自由さが猫の魅力であり、人は、そんな猫の姿に、もしかしたら意味のない行動と形状の中に、何かしらの意味を感じてしまうのかもしれない。

 

 がらんと空洞のような屋内。外に出たら密集市街地。なにやら空間の伸び縮みも猫がいる所以かもしれない。

猫の不思議を全身に感じ、ふとこちらも見えるような感じるような気になる絵本である。

 

 

              

              書籍データ 町田尚子 WAVE出版 201605

| 12:07 | 絵本 | comments(0) | trackbacks(0) |
あなたこそたからもの けんぽうのえほん
 憲法の絵本である。
 憲法の条文を子ども向きにやさしく説明した本でも、可愛い挿絵で導入しやすくした本でもない。
 「憲法」というものの根幹と存在を平易な言葉で説き、そして間違いなく芸術的「絵本」として描かれている。
 学生時代、憲法前文を暗記した記憶がある人も多いだろうし、憲法9条の意味は、教えられなくてもわかっているという人は多いだろう。しかし、私は、憲法がある意味を、自分に及ぼす力を、これほど端的に語り掛けられたことがない。
 この絵本は、理解出来るを超えて、静かに、冷静に、そして理論的に、胸に迫る方法で、憲法について描いているのである。
 印象的な表現が並ぶ。

 「つよくて、ちからのあるひとたちにつけたブレーキ
  それが、けんぽう。いちばんつよいルール。」

 「ひとびとは、たたかってきた。
  そして、けんぽうをてにいれた。」


  我々を「ひとりもみすてない」憲法を、なぜ我々は、理屈の世界に追いやろうとしているのか?

  この絵本を読んで、そんなことを感じた。
  
  ぼんやりとした美しい色が、花へと変わる。その花たちが顔と身体を持つ、そして、それぞれの価値観で、それぞれに動き出し、戦争や見えない大人の論理といった灰色の世界にも目を凝らしだす。

  文と絵で私たちは憲法を、体感する。

  「わすれないで」と、絵本は言う。
  知らなかったかもしれないと私は思った。
 
 

  

              
          書籍データ 大月書店 いとうまこと・ぶん たるいしまこ・え 201505
| 21:59 | 絵本 | comments(0) | trackbacks(0) |
へぇこいたのだれだ?
 読書ボランティアの方から紹介してもらった絵本。
 確かに、声にだして、子どもの反応をライブに感じて楽しいセッション型の絵本であろう。

 暗闇の中、鬼が三人。
 そこに響く音 「ぷ〜う」
 くさいぞ、くさいぞ。
 犯人は誰だ。

 「へぇ」の視覚化が何とも言えない。
 犯人は、想像通りだけど、文字通り「疑心暗鬼」の世界である。



                  
            書籍データ くもん出版 平田昌広・さく 野村たかあき・え 201412
| 07:56 | 絵本 | comments(0) | trackbacks(0) |
フェリシモ出版 おはなしのたからばこ ミニ版
「おはなしを持ってお出かけしよう♪」がコンセプトの小さな絵本である。
明らかに大人向きというもののあり、子どもも楽しめるというものもあり、そして子どもも楽しめると思うけどちょっとシュールすぎるのではないかいなぁというものもある。

今回手に入れたのは7冊

『児雷也 がまにのって』飯野和好 2008
パラパラめくる感触を十二分に楽しめる。話がとんでいくところも、活字の大きさでなにやら押しつけがましく語ってくるところも、大衆的な講談の良さがある。

『くぎのスープ』菱木晃子 / スズキコージ 2008
ケチケチばあさんが、旅人の知恵にしてやられるスウェーデン民話。してやられたのに、ばあさんが得をしたと思って心躍っている姿は、どこか滑稽でもあり、人の幸せなんてそんなもんかもなと思わせてくれる。コラージュと絵本の大きさが、小さな世界とシンプルで平板な物語を表し、そのことが不思議な奥深さを感じさせる。スズキコージ好きにはたまらない目が回るような世界。7

『おいしいおかゆ』富安陽子 / 尾崎幸 2008
ふしぎなお鍋の呪文を知らないために、おかゆがとまらなくなる、あの有名なグリム童話。
静かで陰気な絵と少し笑いを含んだ大真面目な文章とが相乗効果が面白い。

『犬の目』桂米平 / いとうひろし 2008
上方落語。目が痛むと言って病院を訪れた男の目を取り外して、医師は、洗ったり乾かしたり。ところがどうもサイズが合わなくなって、犬の目をかりてはめ込むという話。いとうひろしの絵は、面白いのか怖いのか。なんとも魅力的。

『三枚のカード』 谷川俊太郎 / 下谷二助 2008
日本の昔話「三枚のお札」のアレンジメント。一人遊びにたけた男の子が、鬼婆に会いたいと、おじさんの財布からカードを三枚抜き取り夜の街に飛び出していく。そこであった、高層ビルに住む女、そして、鬼婆。なんだか、ゲームの世界へのリモコンの扱いや、最後がバスのカードでおじさんのもとへ帰ってくる感じも魅力と言えば魅力なんだけど、こうしてあらすじとして提示するのが一番面白そうかもしれないなぁと思う。辻褄の合わないどこか危うい世界観、そして自由さは楽しめるけれど、谷川俊太郎ということで期待しすぎたか・・・。

『白雪姫』 岩瀬成子 / 荒井良二 2008
岩瀬成子の文章に、荒井良二が絵をつけるとは! それだけで、なにか新しいことが始まりそうで気持ちが躍る。物語はスタンダードなグリム童話の白雪姫ではあるが、その期待に応える魅力がある。岩瀬成子の美しい湿度のある文章と、荒井良二のおもちゃ箱の中の秩序が定番の物語に新しい可能性と新鮮さをもたらしている。

『赤ずきん』 いしいしんじ / ほしよりこ 2008
もはや赤ずきんではない物語。「あたい赤ずきん」という女の子、マグロ船に乗って海のどこにいるかわからないジローと付き合っている。「おおかみ」という名前の透明な犬がいる。赤ずきんは、ジローと自分にしか見えない。なんとも、ハスッパで脈略のない赤ずきんだ。そこが魅力ともいえるのかもしれないが、哲学としては食い足りない。ともあれ、1970年代の世界観が楽しめる。
ダウン・タウン・ブギウギ・バンドではないけれど、あんた、あの子のなんなのさ♪ という感じである。


| 16:38 | 絵本 | comments(0) | trackbacks(0) |
ポインセチアは まほうの花 メキシコのクリスマスのおはなし
 明日はクリスマス。
 メキシコの山あいの村にすむファニータは、父親が失業し弟たちにプレゼントを買ってあげるお金もない。周りの浮き立った空気かから取り残されていくファニータの気持ちが、変わらない友だちの言葉への小さな屈託と、周りの大人たちの変化によって描き出されていく。
 メキシコでは、クリスマス前の九日間、夜になるとみんなで歌いながら近所の家を訪ねて回るウポサダのお祝いがある。そして、クリスマスの日には、イエスさまに贈り物を持って教会に行くのだ。
 イエスさまに贈り物もないのに、教会に行くことは出来ないというファニータに、母親はその心こそがイエスさまへの贈り物だという。しかし、教会まで行ったファニータは、やっぱり気後れして教会の中に入ることができないでいる。
 教会の石の天使像が、自分の羽の周りにある葉をイエスさまへの贈り物にすればいいと語り掛けてくる。
 ファニータが、教会の中に入っていくと、いつの間にかそれは、真っ赤な花束に変わり・・・。

 それが、クリスマスとポインセチアの結びつきの始まりとのことだ。ポインセチアがメキシコ原産だとも知らなかった私にとって、この、クリスマスにはポインセチアというあたり前の風景の起源がメキシコにあったということに驚いた。
 もちろん、メキシコでは雑草のようにポインセチアが生えていたと作者が語るように、風景としてある花なのだろうと思う。ポインセチアを語るための物語だと思ってしまえば、元も子もないわけだが、信仰を語るのなら、安直に美しい心が、美しい花になったというものでも良いだろうにと思う。
 天使の羽根の周りにあったのは葉っぱであった。クリスマスの奇跡は、その葉っぱを美しい赤に染めたのだ。葉っぱの形状のまま、血のように激しい赤に・・・。その色と形に、ファニータの強い気持ちが現れているようでドギマギする。
 ポインセチアは、花の代替ではないのだなぁと今更ながらに思う。この伝承を知ったせいで、ポインセチアの空恐ろしいほど清らかで強い赤に特別な情念を感じずに見ることは出来なくなりそうである。


             
        書籍データ ジョアンヌ・オッペンハイム 文 ファビアン・ネグリン 絵
              宇野和美 訳 光村教育図書 201009
| 23:49 | 絵本 | comments(2) | trackbacks(0) |
おねしょのせんせい
りすのむっくはおねしょの名人。
毎日のように干されている布団の、楽しげで開放的な絵にみんなが惹かれておねしょの仕方について教えを乞いに集まってくる。
そこで、むっくが語りだす。

すてきな おねしょの しかた その1
ゆうがた、みずや ジュースを いっぱい のむ こと。

自慢げなむっくの様子と、素敵なおねしょの仕方として語られる、怖い絵本を見るのも有意義だとか、親に抱っこしてトイレに連れていかれてしまった場合は、その日のおねしょは諦めてほしいといった大真面目な生徒たちとのやり取りが面白い。

おねしょをするのはいけないとも、おねしょはしてもいいのだとも物語は主張しない。
おねしょしてしまう子も大変なんだろうけど、おねしょをする子は繊細で多くの才能があるような言われ方も、しない子どもにとって劣等感を煽るものだと気付ける人は少ない。
この本は、おねしょする子に、してもいいんだと安直な回答を与える本ではない。
りすのむっくはおねしょの名人で、みんなが羨ましがる存在なのだ。それは、けして何かの象徴ではなく、むっくというりすの個別の物語。その自由さが心地よい絵本。



                
             書籍データ 正道かほる 作 橋本聡 絵 フレーベル館 201111
| 23:40 | 絵本 | comments(0) | trackbacks(0) |
おじぎをした なつめやしの木
 おばあちゃんのおはなし と、ある。
 出版社の本の紹介には、新約聖書「エジプトくだり」の挿話を、砂漠にたたずむ、なつめやしのまなざしで描く、イエス民話。と、ある。
 しかし、絵本の中にはそんな情報はなく、静かな世界が広がっているだけだ。

 男女の旅人が、砂漠を歩く。
 太陽の光と、夜の闇、飢えを抱え、のどを乾かせ・・・そして、その旅人は二人ではなく、三人であることが明かされる。女の腕には、赤ちゃんが抱かれているのだ。
 毒蛇、獅子、盗賊、彼らは様々な危険に出会うが、不思議な力に守られているかのように、危険は彼らを避けて、通り過ぎていく。しかし、彼らの旅は終わらず、飢えも渇きも続いていく。

 最後に現れる、なつめやし。
 なつめやしは、彼らをずっと待っていたのだ。
 彼らの存在に気付いたなつめやしは、頭を垂れ、やしの実を彼らに与える。

 彼らの旅は続く。
 そして、彼らを待っていたなつめやしは、枯れ、朽ちていく。

 なんとも不思議な話である。その子がイエスだと語られない物語は、不思議さだけを読者の胸に残す。
 司修の、静けさを湛えた絵だけが、人生そのもののように静かに彼らの旅を描写する。

 それでも良いのではないかと私は思う。
 信仰というものは、おばあちゃんが、語る、伝え聞いた、説明できない不思議の中にこそあるのかもしれない。
 この、静けさと奇跡が、そういうことであったと気付くのは、大人になってからでも良いのではないだろうか。

 

                 
                書籍データ 司修 文と絵 ぷねうま舎 201410
| 23:09 | 絵本 | comments(0) | trackbacks(0) |
マリアンは歌う
 かの世界的な指揮者・アルトゥーロ・トスカニーニに「あなたのような声は、100年に一度しかきけない」と称えられた、マリアン・アンダーソンの伝記絵本。

  三オクターブの声が出せ、歌うことの大好きなマリアンは、教会の聖歌隊として活躍していた。しかし、黒人という理由で正式な音楽教育を受けることもできない。

 黒人に生まれたら、プロの歌手にはなれないのだろうか、オペラは、けっして手の届かない、はるかな夢でしかないのか。

 揺るがぬ信仰を持つ母親と、マリアンを支える教会の人々は、マリアンに教育を受けさせ、黒人差別のないヨーロッパへマリアンを送り出す。

 そして、マリアンはとうとう歌手として成功するのだ。しかし、アメリカへ凱旋したマリアンを待っていたのは、「白人しかステージにはあげない方針だ」と、使用を断る大ホール。
 生まれた国の首都には、未だ、マリアンにふさわしいコンサート会場は無かったのだ。

 そのニュースは、差別への怒りのデモ行進に発展する。

 マリアンは、人種差別に対して強い態度をとらないことを批判されることもあったという。
 しかし、自分の才能と、最後は受け入れられるに違いないという、マリアンの神の意思を信じて疑わない歩みには計り知れない勇気と希望を感じる。

 マリアンの才能は人々を動かした。
 白人しか歌えなかった場所で歌うことを成し得、客席とて分かれていたものを区別のない座席でないと歌わないという方針を貫いていくのだ。 

 すべてのことに、才能と信仰が勝利した瞬間を、迫力のある美しい絵と、必要最低限の言葉が語る素晴らしい絵本である。


            マリアンは歌う
      書籍データ パム・ムニョス・ライアン 文 ブライアン・セルズニック 絵
                    もりうちすみこ 訳 光村教育図書 201301
| 23:06 | 絵本 | comments(0) | trackbacks(0) |