ぜひぜひ読んでほしい本のショートreviewをUPします!
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SHUTO ダンサー首藤康之の世界

 「振付は二人でするものだ、恋と同じく。他者の身体という迷路を通って、私は形でありリズムであり、感情であり感動である、私自身の思考の歩みを見いだす」  モーリス・ベジャール

 

 私にとって、首藤康之は、東京バレエ団のベジャールダンサーというイメージのまま止まってしまっていた。

 ところが最近、TBSドラマ 99.9−刑事専門弁護士− で松本潤演じる深山の亡くなった父親というフラッシュバック気味のある種幾何学模様のような存在で見かけ、直感で見に行った舞台、長塚圭史作・演出【かがみのかなたはたなかのなかに】でも拝見することになり・・・ふと、首藤康之のその後に興味を持った。

 

 小学校五年生で単身ニューヨークに渡ったという、ミュージカルが好きで、舞台が好きで仕方なかった首藤少年の、恵まれているという言葉では表現しきれない一途で純粋な人生を知ることができる本だ。

 

 ダンサーへのインタビューは面白いものだと思う。

 彼らは、音楽を独特の経験として語る。それは、普遍的でありながら、ダンサーとしての体験であり、感性でも理屈でもない不思議な言葉が紡ぎだされる。                                

 

 

 

                             

 

                                                書籍データ ダンスマガジン 編 新書館 201201

| 19:08 | 一般書 | comments(0) | trackbacks(0) |
広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?

 SNSというのは、面倒なことも多いが、時々私にとてつもない楽しみをもたらしてくれる。この人面白い事いっているなぁというつぶやきに出会ったりするのだ。マエダショータというちょっとふざけ気味のアカウント、「元電通コピーライター/カウボーイ見習い」なんていうプロフィール。コメントもノリツッコミが激しくて、どこまで本気かわからない。なのに、どこか真剣で、張り詰めている感じが好きで、読んでしまう。そんな、マエダショータさんが本を出されたということで早速読んでみることにした。(知らん人やけど → マエダショータ風ノリツッコミ)

 

 まず、電通の新入社員自殺が社会問題となっている。彼女が若く東大卒で美人であったこと、長時間労働とパワハラが労働基準監督署に認められ、電通はおそらく、億単位の賠償金を遺族に支払い、電通の社長が辞任したということ。彼女がSNSでつぶやいたコメントで、電通はブラック企業だと世間から攻め立てられた。そして、また、あまりにも選民的で人をバカにした差別的な彼女の発言が存在している事実もある。社会の尻馬にのって、ブラック企業だ、長時間労働は悪いと、大企業=悪、若い女性=被害者と図式化し、社会を論じている優越感に浸るのは安易で落ち着きの良い正義感だが、そんな単純なものではないことは想像がつく。誰しも釈然としない、もしかしたら、自分に引き寄せて深く思考を働かせているのではないかと思う。しかしながら、人が一人亡くなっている以上、軽く思いは口にできない。

 

 そんな社会背景の中、ブログが注目を集め出版された本である。電通の暴露本を期待する人もマーケットに含まれているのだろうが、そんな出版側の思惑はとりあえず目をつぶることにしよう。

 この本は、元電通マンが綴る、愛と青春と、そして「元」だからこそ言える、一歩間違えればそうなってしまうことへの問題提起、そしてそうならないのは、そこに、そうしない人がいたからだろいう話である。

 原因は一つではない。だから、問題を単純化すべきではない。しかし、何かが救われる時、結構、たった一つの単純なエピソードや、存在や言葉のおかげだったりするのではないか。

 長時間労働をなくすという単純なスローガンで、企業という場所での、自由と裁量がなくならないことを祈っている一人として、この本をとても面白く共感して読んだ。

 

 作者が、自分の新人時代のエピソードを紹介している。生意気だった作者が、突然の夜間の打ち合わせをデートを理由に断った話。先輩が、そっちを優先しろと言ったというのだ。

「お前は仕事を覚えるよりもまず、大阪を好きになれ」

 この言葉は、電通という無形のものを販売する企業の根幹であり、生意気だった作者の価値観を揺さぶったものであり、先輩のカッコいい背中だったに違いない。この単純ではない影響を作者に与えた、単純なエピソードが働くという事なのだと私は思う。

 仕事場で、こんな人やこんな言葉に出会える人は幸せだ。

 

 作者の、この言葉には、企業で働くものとして共感する。

 

「オフィスで今日もカタカタとパソコンを打っているだけでは、SNSに愚痴を書き込みだけでは、何も変わらないんだ。誰も、あなたの望むようなかたちに社会を変えてはくれないんだ。

 嬉しい時は笑え、ムカついたら怒れ、悲しいと時は独りで泣け。助けてほしい時は、差し伸べられた手を握れ。

 厳しさを増す一方のこの社会においては、あなたが人間らしく振舞わないと、人として扱われないんだぞ。」

 

 仕事ができるできないなんて二の次だ。人として、この場に立つ気持ちがなければ、なにもはじまらないのだ。

 

 

 

 

 

                                               

 

                                                     

                                                書籍データ 前田将多 毎日新聞社 201702

| 12:34 | 一般書 | comments(0) | trackbacks(0) |
後妻業

 大竹しのぶ主演で映画化されると聞き、読んでみることにした。

 

 もはや仏に近づいているのではないかと思っても良い年齢の女性が、さらに年上の男性を色がらみで掌握し、時には、殺人さえ絡み、財産を奪うという話。人間の欲望は、死ぬまで現役なのかと思いながら、その逞しさよりも、何か、人生の最後をそんな風に迎えてしまうことへ言葉にはならない寂しさを感じる。そんな事件が時々起き、そんな事件が報道される。

 目も眩むほど、美しいわけではない犯罪者たちの姿は、何か、得体のしれない闇を見せられているようで、憤りでも、あざけりでもない、かといって他人事とは思えない後味の悪さがある。

 

 「後妻業」とは何か。結婚相談所で、高齢者を高齢者が騙し、その遺産を食いつぶす家業だ。

 騙される爺には、世間的にはごく普通の家族がおり、世間的には豊かな生活をしている。その爺が、婆に言い寄られ、遺言を書き、殺される。したたかでありながら、大事な神経が欠落している婆と、丁々発止彼女を食い物にしている男たち。すべてが刹那的で、罪悪感のかけらもない。父親の財産を取り戻そうとする姉妹と、それに協力する弁護士、そしてその委託を受けた警察あがりの探偵は、結婚相談所を強請ることを考えている。

 

 最後は後味が悪い。

 悪人は消え、正義は勝利しない。誰も何も得をせず、消化しない事実だけがポツンと読者の前に残り、また時間が流れていくのを感じる。それがこの種の犯罪の真実なのだと思いつつも、なんとも言えない思いが残る。

 これが逃げないリアリティなのだろうと思う。

 

 本の感想として書くには余談なのだが、入り口が、映画かだったものだから、映画についても言及しておこう。

 映画でも、ラストは同じだろうか。

 このラストで、テロップなのだとすれば、俳優陣はとてつもない演技力を試される場になるに違いない。

 どうしても映画が見たくなった。楽しみである。

 

 

                                                 

                                                書籍データ 黒川博行 文藝春秋 201408 

| 15:23 | 一般書 | comments(0) | trackbacks(0) |
怒り 上・下
 世間が忘れ去ろうとしている未解決事件。殺人現場に残された「怒」の血文字。
 警察は、世間が忘れ去らないためにメディアに訴え、手がかりを求める。

 その中で揺れ動く人と人の関わり。

 大手企業に勤めるゲイの優馬。彼の家に転がり込んでいる直人がその犯人なのか。
 知的ボーダーと言われ、家出して風俗に勤めていた娘を持つ中小企業の社長の家の従業員田代。真面目なだけが取り柄で、娘のすべてを知っていながら一緒に暮らすと言ったこの男が犯人なのか。
 ふしだらな母が、男関係でしくじる度に、夜逃げのような転居を繰り返す母娘が流れ着いた沖縄。そこで知り合ったバックパッカーの田中と名乗る男。彼が、犯人なのか。

 人が人を信じるのは、人が人を好きになるのは、いったい、どんな感情が動くのか。
 そして人が人を疑い、人を正義の名の下で裏切るのは、いったい、どんな感情が動くのか。
 訳アリだとわかっていたはずの相手。殺人犯に似ているというシグナルを受け取ってしまった時、人は何を疑い、どう行動すべきなのか。

 人を疑う時、人は自分の弱さを突きつけられる。ゲイであることを公表しながら、家族や幼馴染には知られたくないと思う弱さ。自分と娘の期待できそうにない未来。大好きなあの子を助けられなかったふがいなさ。

 するりとそこの入り込むように、闇は訪れる。
 向かい合っていたはずの人間が知らない何かに見える。

 狂気が、殺人鬼によって「怒り」と名付けられ、大衆によって「怒り」と認識された時、その得体のしれないエネルギーは、薄っぺらい事件や世相になる。
 その中で、確かに生きた、そして試された人々の気持ちをよそに・・・。

 そんな物語である。



         

               書籍データ 吉田修一 中公文庫 201601
| 18:16 | 一般書 | comments(0) | trackbacks(0) |
ことのは 北村麻衣奈作品集
 19歳で亡くなられた娘さんの作品を、お母さんが一冊の本にした。

 そんな作品集である。

 小学校、中学校、高校のそれぞれの時代に書いた、詩、俳句、短歌、歌のようなもの。

 

 この、作者と編み手が適切な距離を失っているはずの本を、その情報を得て適切な距離を失っているはずの読者である私は、どう感じるのだろうか。そんなことを思いながら読み始めた。



 そこには、感傷的な匂いは一切なかった。

 今を生きる少女の、その瞬間の言葉があって、感傷などという言葉を持ち出した自分を恥じなければいけないくらいのリズムと生命力があふれていた。



 「ごめん」って 言えなかった

 わかってたのに

 わたしが わるいって




 少女にしか拾えない言葉がある。

 どんなに巧みになっても、どんなに理論構築ができるようになっても、我々は、あの一瞬にしかものにできなかった言葉と、表現に出会った時、憧れにも似た嫉妬を覚える。

 無防備でストレートなその言葉と表現に、どんなに手練手管をつくしても届かないから。

 ここにある少女の言葉は、私に、過去となった若さを突きつける。さかのぼれない時間の流れを感じさせる。

 しかし、この詩に感じるのは、敗北でもノスタルジーでもない。失ったはずの若さに、なぜか追いつきたくなるようなこの感触は、この作品群が持つ、瑞々しい生命力の影響なのだろう。この表現を、この言葉をどうしたら手にすることができるのだろうと私は頭を悩ませる。その瞬間、私は紛れもなく、あの時間を再体験しているのだ。






     書籍データ 北村麻衣奈 どりむ社 201212
| 23:12 | 一般書 | comments(0) | trackbacks(0) |
人生はニャンとかなる!
 副題に、「明日に幸福をまねく68の方法」とある。
 猫の何とも言えない表情豊かな写真に、洒落たコメントが記してあり、その裏は、そのコメントを深める古今東西の有名人のエピソードと名言がまとめてある。
 ポストカード集のようなつくりになってあり、切り離してデスクマットに敷いたり、手帳にはさんだり、壁に貼り付けられる趣向だ。

 例えば、「まかせとけ」が似合う人 では、
 映画「ボディーガード」のオファーで、演技したことがないとしり込みするホイットニー・ヒューストンに、ケビン・コスナーがどんな言葉で出演を決意させたかというエピソードを紹介し、その下には下記の名言が並ぶ。
 偉人の勝は責務にある。(ウィンストン・チャーチル イギリスの政治家)
 上司の権威をつけるための最良の方法は、部下が困っている仕事を解決してあげることである。(バルザック フランスの小説家)
 リーダーとは「希望を配る人」のことだ。(ナポレオン・ボナパルト フランスの軍人)

 これだけ多岐にわたる良い言葉や素敵なエピソードを並べられたら、どんな人でも、一つは心に響くはず。そして、猫の哲学的でありながら、愛らしい姿を楽しめる写真を見せられたら、癒されながらやる気になれるのではなかろうか。
 
 ちなみに本書は、書店で衝動買いをしてしまった一冊。私に衝動買いさせたのは、この猫とコメントである。


            

 小声ではなく、叫んでいこうと思う。


                
             書籍データ 水野敬也+長沼直樹 文響社 201310
| 16:17 | 一般書 | comments(0) | trackbacks(0) |
紙の月
 わかば銀行から契約社員・梅澤梨花(41歳)が一億円を横領した。若い男に貢いだらしい。

 そんな新聞記事に出会ったとしたら、私はけして、梅澤梨花に興味は持たないだろう。そして、どんな理由を聞いたところで、共感もしなければ同情もしないに違いない。

 落ちていく女の話を読んでやろうと思った。たぶん、ほとんどの女性が、共感しないと自信を持つであろう女を角田光代がどう料理するのか興味があった。



 梅澤梨花は、どちらかといえば綺麗だと言われるグループに属する女だ。

 そんな女にありがちな人生を歩んできた。どちらかといえば人から羨まれる収入をもつ優しい男と結婚し、どちらかといえば豊かな生活を送る。子どもがいないということに少しの屈託はあるが、責められることもなく、夫婦の不仲の原因になることもなく、だからこそ仕事ももち、どちらかといえば優秀な人材として銀行に勤めている。

 どちらかといえば有能な美人の、どこか凡庸な優越感も劣等感もない愛想の良さが、年寄りにうけるというのもよくある話で、梨花は外回り先のお年寄りたちに可愛がられ、多くの現金を自分の成績として預かっていた。

 夫は優しく梨花を支配している。暗黙に、夫の収入の中で、養われているという身の程さえ自覚していれば居心地のいい毎日。梨花はその違和感に素直になれない。そして、夫は四年も自分の身体に触れようともしない。

 そんな時、得意先の老人・平林の家で、梨花は光太という青年に会う。光太は、授業料にも困る苦学生で、平林は多額の現金を持つのに孫に援助をしようとはしない。



「最初に会ったとき、いいなって思ったから」



 光太のこの一言から梨花の人生は狂いだす。

 自主映画を作っている光太たちの、夜中じゅう続く映画談議。祖父の金を、孫に融通しているだけだという奇妙な正義感。そんななか、少し痴呆の始まった顧客が梨花に泥棒から守ってくれと通帳と印鑑を預ける。贅沢は何も知らない光太へ贅沢を教える楽しみ。光太の前で、ありたい自分であるためにかける洋服代、化粧品代。二人で過ごすスイートルーム。光太が金銭的援助を受けることに罪悪感を感じないように、梨花は、途方もない金持ちを演じ続ける。そのことで得る、優越感と万能感。はじめは、戸惑うような憧れの目で梨花を見ていた光太が、映画祭に行きたいからアムステルダムまでの旅行費を出してくれと言い始めるまでに時間はかからなかった。

 万能感から逃れられなくなった、凡庸な女の末路は、バブルがはじけるように終焉を迎えるしかない。



 説得力のある物語であった。こんな風に、思考が働き、偶然に導かれたら、そうなるかもしれない怖さがあった。

 梨花の逃亡劇につきあった疲労感と、気が滅入るこの感じは、確かに梨花に共感してしまった証拠なのだろうと思う。



 何より巧いと思ったのは、梨花は法に裁かれるかもしれないが、物語が裁いたのは亜紀であったことだ。

 この物語は、梨花の目線で描かれる章と、梨花と関わった人間から見た梨花を描く章に分かれていて、梨花の人格、人生が複合的に描かれている。

 亜紀は、ある時期、料理教室で梨花と時間を共にした人間だ。その後離婚して、子どもは夫のもとにいる。半年に一度ほど娘と会うが、年ごろになるにつれ、生活感のない亜紀に娘は憧れるようになる。その憧れに応えようと、身を飾り、自分にお金をかける亜紀。そして、そんな自分にふさわしい高価なプレゼントを娘に渡す。それが、元夫への優越感だという自覚も亜紀にはある。

 最後の章で、亜紀の娘・沙織がねだろうとした洋服は、合計で八万九千円。ここで、亜紀は我に返るのだ。

 買ってもらえないと知って、離れていく娘。



「沙織、ごめん」亜紀の口から言葉が漏れる。「ごめん」言いながら自分が何に謝っているのかわからない。



 鏡の中にいる豪華な服を着たみすぼらしい自分。娘をこんな風にしてしまったのは、お金の力を借りて万能感に酔った自分の罪。なんともやるせない思いが残るが、このくだりが、梨花とて、けして、刹那的な肉欲に負けたのではなく、平凡と日常に押し込めていた自我に負けたのだという主題を際立たせているのではないだろうか。






                

            書籍データ 角田光代 角川春樹事務所 201203
| 22:03 | 一般書 | comments(0) | trackbacks(0) |
けだらけ
 2014年のクリスマス、京都伊勢丹で私は運命の出会いとも言うべき、一目惚れをした。
 近くの店員さんを呼び止め、ディプレイの絵の作者を尋ねる。
 それが、ミロコマチコであった。

 魅力的な形状、獣の匂いがしそうな筆づかい、そして哲学的ともいえる目、そこに存在するいきものたち。
 ジャン・コクトーの絵を彷彿とさせる、即興性の強い絵。紙面からはみ出しそうな勢いと、にも関わらず静かな空間は、こちらの想像を掻き立て、物語の世界へ誘ってくれる。

 一目惚れが、確かな愛に変わろうとしている。



                               

           
           書籍データ ミロコマチコ 筑摩書房 201410
                       上が初回限定カバー 下は通常版
| 23:50 | 一般書 | comments(0) | trackbacks(0) |
憤死
 綿矢りさの短編集。雰囲気も長さもまったく違う作品が収納されたおもちゃ箱である。
 良くも悪くも俗っぽい。
 でも、読者の側の俗悪さを引き出して、インパクトに変えているような計算も感じられて、意識してやっているなら、凄いなとも思う。
 どんな崇高な研究をしている人も、昼の食事時、名前しか知らない女優の不倫騒動のワイドショーに見入ったりしてしまうものではないだろうか。そして、そのくだらない受け答え、ありがちなフラッシュや涙が、興味も無いのに胸を離れないこともあるのではないだろうか。
 自分の中の、いったい何に響いたというのか。
 その事実自体が、ちょっと恐ろしく、何かがひそんでいるような気さえする。
 そんな作品群である。

おとな
トイレの懺悔室
憤死
人生ゲーム

 の4編が収録。
 私が一番気に入ったのは、表題作でもある「憤死」
 
 
小中学校時代の女友達が、自殺未遂をして入院していると噂に聞いたので、興味本位で見舞いに行くことにした。

 と、はじまるこの作品は、この一文に集約されている「え? それを友達と呼んでいいの? 」というあるべき論を超えた、女の子特有の友達の概念を見事に書ききっている。
 蔑みと、羨ましさ。自分に関係のない、相手の人生。劇場型の恋を、どこか絵空事のようにバカにしながら、それでも、好奇心から観察し、観察者である自分に赤裸々に手の内を見せる事実に対しての、相手への奇妙な尊敬。
 生命力と、意地の悪さ。天然の女の子を突きつけられて、こちらも居心地が悪くなる。なのに、どこか爽やかにさえ感じるのは、やっぱり、それが女子ってものではないの? と、こちらも、観察者としての喜びを享受できるからではないか。そして、飛び降りでもしなければおさまらなかったという、相手の、失恋への、もの凄いパワーを持った怒りそのものが、なんだか愉快だからではないか。
 結局、この作品は、このわけのわからない二人の、大真面目に向かい合っている、友情という名の自己愛と優越感を、あたたかく受け止めているのだ。

 とても読みやすい短編集なので是非読んでほしい。
 この俗っぽさの中の、確かな人間模様は、どんな有名女優のスキャンダルにも負けていないと私は思う。
 
 

        憤死
            書籍データ 綿矢りさ 201303 河出書房新社
| 23:43 | 一般書 | comments(0) | trackbacks(0) |
田中慎弥の掌劇場
 田中慎弥の本を読んでみたいと思っていた。
どんな作品を書く人だろうか? そう思いつつ、なかなか縁がなかったのは、逆に、定期的に存在を確認するチャンスを得ていたからだろうかなどと考えたりする。
 今回、自作をご本人が朗読し語る姿をみて、本作を購入した。
 「聞こえなかった声」である。
 もともとが新聞に掲載されていたというショートショートということもあり、イメージよりは大衆的なものを書くのだなと思った。しかし、「オチ」という概念に頼らない、おもねることのない創作姿勢に対しての語りは興味深く、他の作品も読んでみたいという気持ちに駆り立てられた。

 芥川賞受賞の席で「もらってやる」と、やや感情的な発言をされた印象が強かった。気持ちは理解できると思いながら、それでも、私は、その矛先にいたであろう石原慎太郎を、文学者としてではなく、政治家として揶揄したことが不満で、どう収拾がつける気だろうかと思っていた。しかし、石原慎太郎が、ちょっと困惑したように、自分は、田中慎弥の小説は評価していたのだがというような発言をしたことで 私の気持ちは収まった。
 もっと大騒ぎになれば良いと煽りたてるマスコミに水を差す、石原慎太郎の「大人の対応」とも言えるのだろうが、私には、才能というのはそういうふうに扱うものだという思いが強かったので、善悪や事象なんてどうでもよく、石原慎太郎は、田中慎弥の才能に敬意を払うという正しい行動をしたのだとひとりごちた。

 単純な物言いをしてしまえば、石原慎太郎が、芥川賞作品としてどう評したか、どんな風にその他の場所で語っているかなどは二次的な問題で、不遜な若い作家の態度を許した。石原慎太郎は、「論」ではなく「行動」で田中慎弥の才能を認めたように私には思えたのだ。

 それが、評論家ではなく、作家が作家を評するということではないだろうか。

 前置きが長くなった。
 一言でいえば、田中慎弥が語った、オチになってはいけないという自制心と曖昧さが、人間と言う存在に届き、深めている作品群である。
 いかにショートショートの名手といわれる人のものでも、単行本で読めば読むにつれ食傷気味になるものだ。同じ論や見せ場を繰り返させられる感じに振り回されている気がして、早く読み終えてしまいたいような気持ちになってしまう。新聞、週刊誌、月刊誌で、時折読めば面白かったかもしれないという後悔に襲われながら、起承転結の決められたリズムに憎しみさえ感じ出す。結局、好きな本、好きな作家として自分の胸に食い込んではこない物足りなさを感じずにはいられない経験をしてきた。

 面白かった。最後まで飽きなかった。
 色が、理屈が、思いが、一編一編に溢れていて、一気に読む読者にさせ、毎日、週、月の時間の流れを与えて、一作一作に向かい合う空間と引力を持っている作品が多かった。

 評しにくい本だ。
 好きな作品について語るしかない。

 
「色」
 
桃色の雨が降っている。
 そんな風にはじまる。色を持つ女と、色を持たない私の愛の顛末だ。
 
色のない私は、女の持つ色が自分に移ってくれることを祈った。そうなってこそ、二人は本当に愛し合えるだろう。色にならない気持ちなど、本物ではない。
 そんな文章の妙に最緒まで、恋のようなときめきと切なさが滲み、なぜか諦めの静けさを感じる作品。

 
「肩車」
 父親との折り合いが悪く、長らく実家に帰ったことのなかった男が、父親が介護状態になったことで妻に進言され実家に家族で帰省する話である。男にも変哲もない日常があり、実家での日々は、実家を継ぐつもりはないと言った時の父の怒りに封印されたうすっぺらい過去になっている。
 不在の時間などなかったように、妻と子は一般的な風景として実家に馴染み、母も姉も男を迎え入れる。病のせいで上手く言葉を発することのできなくなった父は、ただただ存在としてそこにある。姉の言葉と姉の夫の存在に、自分の不在を強く感じながらも、実家に帰ったからこそ思い出した、父に肩車してもらった思い出。行き交う時間の複雑さ。なんのドラマもつくらない描写に、多くのドラマがあり、読み終わったあと、不意に泣き出したくなる作品だ。

            田中慎弥の掌劇場
             書籍データ 田中慎弥 毎日新聞社 201203
| 00:58 | 一般書 | comments(0) | trackbacks(0) |