ぜひぜひ読んでほしい本のショートreviewをUPします!
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ぼくのネコがロボットになった

 ポロがいなくなるかもしれない。飼い猫の死に際に直面し、ぼくは、学校を休むほど何も手につかない。

 とうさんは、ポロの心のデータを開発中のネコ型ロボットに移しよみがえらせることができると言った。

 よみがえったネコと、ぼくが、リアルネコ時代の、思い込みと思い入れを乗り越え、ロボットネコと再び友情を育てる物語。

 永遠の命を得ることは本当にいいことなのか? いやいや、命は限りあるからこそいいなんて、愛するものを目の前に言えるセリフなのか? 読者の心は何度も揺らされながら、もう一度出会えた幸せの先の、やっぱり再び来るであろう別れを予感する。

 そして、動物と人間の、お互いに感じていたことが、はっきりと言葉になった時、そのシーンが全く違うニュアンスであったこと突きつけられる。はっきり知らなくたって、ふんわり慮っていた方がうまくいくことってあるじゃない? すべて理解し伝え合うことは本当にいい事なのか? 

 ロボットになったって、それは心に着るものがかわっただけで、変わらないってことではないの?

 コミュニケーション能力をみにつけましょう。大切なのは心です。スローガンのように唱えられる、教育上獲得が求められる到達点に、作者は、ことごとく疑問を投げかける。

 それでも、うまくいかないのが、人と向き合うってことじゃないの?

 心が同じなら何も変わらないのか? すべて言葉にできることはいい事なのか? 死なないことをどう受け止めればいいのか? これらの問いに明確な答えはない。

 ひとつだけ確かなことがあるとすれば、ポロはぼくが、ぼくはポロが大好きだってことだけだ。

 この本は、文明批判でも、そうなればいいなというファンタジーでもない。

 愛するネコとぼくの漂泊の物語だ。

 二人(ひとりと一匹?)は、傷つき、考え、そして、オリジナルの解決法を見つけようと必死にあがく。

 それは、ロボットとしての体の改善が可能であるという希望を持った、人間の言葉を話そうと、不死身であろうと、けっして自分の存在を否定することのない立場からの、友情の発見なのである。

 

 

                      

              書籍データ 佐藤まどか 作 木村いこ 絵 講談社 201801

| 19:58 | 児童文学 | comments(0) | trackbacks(0) |
みちのく妖怪ツアー

 子どもは怖い話好きだからね〜 などという気持ちで手にとってはいけない本である。

 地続きに異界がある楽しみと、知的なブラックユーモアと、得体のしれない情念と一体化した塊と、それが生活の中にある土着的な怖さ。あぁ、それが妖怪を生み、見せるのだと、自分の中にある緩みや凝りが炙りだされる。

 東北に居を構える3人の作家の連作短編。「みちのく妖怪ツアー」に参加した、少年少女たちの物語。彼らは、妖怪に出会い、その世界へ飲み込まれていく。

 連作短編なのだが、表題には作者は記されない。文末で、作者を知ることになるわけだが、これがなかなかピタリと当たる。怪談話は形骸化された中に放り込んでこその怖さだとも思うのだが、そこに作家の個性をしっかり魅せるとは、只者ではないアンソロジーである。

 時事問題やニュースもも盛り込みながら、妖怪は、古き良き想像力ではなく、今、生きている人間の足元にうごめくものだということを描いている。そして、最後の話は、ちょっぴり今どきのファンタジーテイスト。そう、そういうファンタジーを好む読者が、「早く見つかってほしい」という言葉に共感しているその瞬間も、ほっとしていいのか、それとも、全く片付いていない、見つからなかった子どもたちの気配に怯えるしかないのか。なかなかどうしての素晴らしい構成である。 

 

 

                     

           書籍データ 佐々木ひとみ・野泉マヤ・堀米薫 作 東京モノノケ 絵

                       新日本出版社 201808

| 23:12 | 児童文学 | comments(0) | trackbacks(0) |
あかりさん、どこへ行くの?

  なぜ本を読むのかという問いがあるとする。

 本を読むのが好きなのはなぜだろう。

 読んでいる間は、違う自分になれるから。

 経験、知識の補完。刺激がほしい。いろいろな言葉で表現できるだろう。

 本の目利きだと自分を信じレビューなど行っていると、ふと、本の選択肢が前のめりで、大切な何かを見失っているのではないかと反省する瞬間がある。この作品などは、まさしくそんな思いを感じさせてくれる物語だ。

 

 大好きなおばあちゃんが壊れていく。どうやら認知症という病気らしい。

 五年生のタケシは、靴が冷蔵庫にしまわれていた事件から、おばあちゃんの様子を不審に思うのだが、、普通のような普通でないような不思議な感覚でおばあちゃんと向き合っている。ところがそうこうしているうちにやっぱりおかしいが積み重なり、そうでない時の様子とのギャップに日常がかき乱されるようになる。

 家族の心労と、進んでいく認知症への恐怖、傷つきながらも日常は流れ、それが気がかりなタケシは、友だちともギクシャクしてしまう。

 おばあちゃんの認知症を受け止め、おばあちゃんのこれからの人生を未来あるものととらえ、自分たちの日常を大切にしながら、家族の在り方を再構築する。自分にできること。あかりさんと、どう向き合うのか。この物語のパワーは、タケシは、おばあちゃんの認知症を、例えば、おかあさんがたいへんになる等の観察的立場ではなく、どう、自分の大好きなおばあちゃんを自分が好きなままでいられるか、おばあちゃんのために、おばあちゃんと向き合う家族のために、自分にできることは何なのかという視点でのみ考えるところにあるだろう。そして、今、現状の苦しみのみにとらわれず、これまでの思い出を振り返り、自分とその人の関係をけして貶めないところにあるのだろう。

 人の老いを、沈んでゆく夕陽のように受け止められたら。老い行く者も、残されるものも幸せな最後を迎えられるに違いない。

 この物語は、間違えない家族の物語だ。

 だからこそ、物語には特別で大きな事件は起こらない。ここの描かれている認知症の姿も、誰もが知っている、見聞きしたことのある姿であろう。その話が、誰かが語るような、とつとつとした平易で誠実な言葉で描かれている。

 

 その平易さと日常性から、きっとこの本は、論じられることが少ない物語なのだとも思う。

 しかし、この本は、ある年齢、子どもたちが読むべき本なのだ。

 愛おしい誰かの老いと死に向き合わないといけなくなったとき、近しい誰かの老いと死と自分の日常を共にしなくてはいけなくなった時、この本を読んでいる子どもと、読んでいない子どもでは、うまく受け止める力が格段に違ってくるだろう。

 それは、何世代もの人間が一緒に暮らしていた時には、当たり前に体験していた訓練なのだと思う。一番近しい人の死を間違うことなく受け止める準備。それは、自分の心のためでもあるのだ。

 

 老いや死はけして待ってくれない。経験がなければ、少しの間違いを引き起こし、そのことで大きくすれ違い、自分自身に一生の傷と後悔を残す。謝りたくても相手がいなくなってしまったあとでは、何もできやしない。頭でわかっていても日常とは残酷なものなのだと思う。

 だから、間違えなかったこの家族の物語は、きっと自分の力になってくれるに違いない。

 

 おすすめの本と呼ぶには、少し地味な本である。

 だからこそ、私は、この本をすすめてほしいと、手渡し手の方に言いたい。

 作品論などという小さな話ではない、これは、子どもたちが来るべき時のためにすましておくべき経験なのだと思う。

 

                 

              書籍データ 近藤尚子・作 江頭路子・絵 フレーベル館 201610

| 18:36 | 児童文学 | comments(0) | trackbacks(0) |
好奇心のナゾを追え!! 田中久重の巻

 「アドベンチャー偉人伝」と副題がついている。現代の子どもたちが、ミッションを受けてタイムスリップ。イノベーターの邪魔をする謎の組織などがでてきて、子どもに手に取りやすいようになっているようだが、どうも、ガチャガチャとしていて読みにくく仕上がっているのは残念だ。

 しかし、からくり儀右衛門と呼ばれた、東芝の創業者・田中久重の一生は面白く読んだ。

 好奇心、人を喜ばせたいという気持ち、経済の安定など、イノベーターに必要なこともまとめてあり、一般的な偉人伝というよりは、子ども向きビジネス書といった雰囲気は、新鮮であった。

 東芝未来科学館も紹介してあり、訪れたくなる。広がりという意味でも、面白い作品。

 

                

             書籍データ 船登惟希・シナリオ 如月謙一・漫画 Gakken 201507

| 15:38 | 児童文学 | comments(0) | trackbacks(0) |
日がさ雨がさくもりがさ

友だちとケンカした日、未央は、不思議なおじいさんに会う。傘の修理をしているというおじいさん。

買ったほうが安いかもしれないぞと、おにいちゃんは言うけれど、未央は、おかあさんに買ってもらったイチゴの長靴とお揃いの傘を大切にしたくて傘の修理を頼む。

修理する間にと、あじいさんがかしてくれた「くもりがさ」

「くもりがさ」は、くもった心にきくという。

信じられない思いで、いろいろ考えながら傘をさしていたら、不思議な青い傘には、いろいろな顔が浮かび上がってきた。その傘の表情で、友だちと仲直りできた未央。未央はみんなを楽しい気分にさせてくれるその傘を返すのが惜しくなってくる。

この傘を譲ってほしいという未央に、おじいさんは、イチゴの傘と交換するならそれでもいいと言うのだが・・・。

 

物語が、こう展開すると、不思議な傘より、お母さんが買ってくれた傘が大切に決まっているのだとストーリーを落ち着けたくなるのが人情だ。しかし、この物語はそんなところには着地しない。

 

おじいさんが、傘をみんなに貸したかったという意味を感じ取る未央。

同じ気持ちというのはどういうことかを考える未央。

 

そして、おかあさんから買ってもらった傘は、大切という言葉をこえて、未央のあるべき日常の幸福として、長靴とお揃いとして帰ってくる。

 

貴方と私というだけでない関係が生まれ始める年頃、言葉以上の含みがうまれる年頃。未央の世界は、少し大きくなり、誰かとピタッと一緒ではいられず、だけれど、守られている安心感の中に存在する。

 

子どもの世界が広がる瞬間。それは単純ではなくなるということなのだと思う。そして、。こんなにも複雑な精神的な成長を、簡単な言葉で、ありそうなエピソードでやってのけるんだから、本当に憎たらしい一冊である。

 

                                               

 

                                              書籍データ 佐藤まどか・作 ひがしちから・絵 フレーベル館 201605

| 22:56 | 児童文学 | comments(0) | trackbacks(0) |
ガラスの壁のむこうがわ

他人とコミュニケーションをとろうとするとガラスの豆がぶつかってくる感触がする。そんな少女が、友だちを求め、普通とはどうあるべきかを考え迷い、友だちを得るまでの物語。

 

世間からはぐれていく由香の心情を、排他的な優越感や、激しい自意識として描かなかった点が、この物語の魅力だと思う。

傷つける方も無意識なら、傷つけられる方も無意識。

切実な思いだけがある。どちらにも。

この構図が面白かった。

母の弟が、由香と共感する相手として現れるが、弟を理解していないと場面ばかり描かれる母が、弟の描いた絵を飾ろうとするシーンがある。理解されない思いを、この常識と普通の代表のようにしか描かれない母も抱えているのだということを感じる瞬間だ。

 

やわらかい由香の、必死に求める姿に、この世代の少女、そしてこの世代を確かに過ごしたことのある元少女は激しく共感するだろう。しかし、どこか、この物語は、読者を共感の安住だけに押し込めない。

 

絵を飾る母の姿に、感じる、大きな世界。

何かここにある問題が解決しても、自分の必死のあがきがかたちをなしても、人の複雑で深いかかわりには際限がない。

 

感性豊かな筆致で、特別な世界をつくりあげ、その世界観を美化せずに美しく描いた作品。

 

                                                 

                                              書籍データ せいのあつこ 国土社 201603

| 22:39 | 児童文学 | comments(0) | trackbacks(0) |
ここは妖怪おたすけ委員会 〕轍スーパースターズがやってきた☆
  好みの絵柄なら仕方もないが、そうでもないのに、最近、表紙を見てピンとくることがある。
 この本はいいぞ・・・と、なんだか占い師にでもなった気分である。良い本は、なぜか表紙に力がある。何がと言われれば困るのだけれど、文字の力が、画家に良い絵を描かせ、それが読者にも伝わるのかもしれないと思う。
 
 なんだかピンときてしまった本。

 五年生のみずきは、誕生日にほしいものを問われ、亡きおじいちゃんがつかっていた、古びた離れを両親にねだる。みずきは、妖怪をこの上なく愛していて、民俗学の学者だったおじいちゃんの書物などがそのままにしてある離れに魅力を感じていたのだ。
 そして、そこでみたものは、コスプレかと見紛う妖怪たちの姿。妖怪たちも現代風に自分たちをアレンジし、または代替わりし、浮世の辛さを感じながら、信じてもらえない生きにくい現代を生き抜いていたのだった。
 妖怪スーパースターズの副題通り、有名な妖怪たちの登場に心躍らせるみずき。
 
 そんななか、神社の御神木に、クラスメイトの名前が書かれ、釘で打ち付けられているぬいぐるみが発見される。そして、そのクラスメイトは体調が悪くなり学校を休んでいるというのだ。
 犯人は誰なのか?
 お洒落な女の子グループで、いつも、利用されているような立場で、みずきが気になっていた柳田さんの名前が犯人としてあがる。ほっておけなくなった、みずきは、天井下がりに調査を依頼するのだが・・・。

 妖怪オタクの変わり者の女の子みずき。ちょっとチャラい天邪鬼に、ツンデレスイーツ男子の妖太。こう書いてしまうと、子どもの好きそうなエンターテイメントとくくられてしまいそうだが、そんなことを言わせない、説得力がこの本にはある。人の不安や心の隙が妖怪をうみだすのだとすれば、妖怪だって現代の世相を反映する。SNSで自分の存在をアピールしてたっていいはずだ。小さな発見と、存在感に身をゆだねながら物語を読み進めれば、あらすじとキャラクターの紹介では、よくある子どもの好きな妖怪話としか思えないであろうこの本に、好きで好きでたまらない高揚を感じるのだ。
 不思議の世界を一括りにせず、「妖怪」「怨霊」「ネオ・クリーチャー」としっかり分類しながら物語は進んでいく。
 
 この物語がなぜ、こんなに私の気持ちをとらえるのだろうと考えて、導かれる言葉を書くと、やっぱり陳腐な表現になってしまう。お互いへの愛と尊敬が、この本には溢れているからなのだと思う。

 みずきのおじいちゃんは、民俗学の学者で、その内向きの仕事に反発を感じていたらしいママは、ファッション雑誌の編集者。そのパートナーであるパパは銀行員だ。羨ましさを含めた否定も肯定もあって、こういう職業と興味をもった人たちが家族として成り立っている。その家の娘であるみずきは、妖怪が大好きだ。家族の設定そのものが、設定をこえて、人のかかわりの含みを感じさせる。

・中からカギをかけないこと
・こもりっきりにならないこと
・たまには、鏡で自分の顔をみること
 
 これは、離れのカギをもらったみずきへの、パパからの言葉だ。
 人との付き合いというものは、この三つのアドバイスに尽きるのかもしれない。

 人と人とか関われば、心が動き、隙や光、そして影がうまれる。そこに妖怪は棲みつくのだろう。

 みずきと妖怪の関係は始まったばかりだ。11歳とはそんな年齢かもしれないと思いつつ、心が動くからできる模様を、どう妖怪たちと分かち合っていくのか。
 今後のシリーズが楽しみである。


  

                                                           

                                    書籍データ 角川つばさ文庫 宮下恵茉・作 いちごイチエ・絵 201602 
| 17:25 | 児童文学 | comments(0) | trackbacks(0) |
コケシちゃん
 スイスから体験入学生がやってくる。

 くるみたちは、ヨーロッパからの転入生に想像を膨らませる。

 しかし、やってきたのは、京ちゃん、おかっぱでコケシ顔の日本人そのものの容姿だった。



 自己主張がはっきりしていて、いつも冷静な京ちゃんは、くるみを戸惑わせるばかりだ。

 出井くんは、いつも正しいような顔をしていると、京ちゃんが気に入らないらしく、なんでもかんでも突っかかって来る。

 くるみは、そんな出井くんも苦手。



 自分との違和感、そしてだからこそ気になるという感情。

 母を失った京ちゃんと、母に手間暇かけられることに飢えている出井くん。親への思いを、共通言語にみんなの根っこがつながっていく。



 日本では学校給食や掃除をなぜ子どもがするのだろうかという京ちゃんの疑問や、異文化を教えられることが、日本のことを悪く言われているきがして黙り込むくるみの気持ちなど、国際交流の第一歩で経験する、差別心にも似た摩擦を丁寧に描きながらも、語りすぎない物語が心地よい。

 自分の物語を抱えた登場人物の集合体が、一緒に何かをやりとげ、一緒にいることを選択していく物語だ。

  国際交流とか平等とか、子どもたちはこうやって、日常の中で、理論を超えた確かな何かをつかみ取っていくのだなと、 個人とは、集団とは、そういうものだと思わせてくれる。



 何よりも、日本の小学校のどこか茫洋とした空気のなかに、張り詰めた存在の京ちゃん・・・コケシちゃんが闊歩する緊張感が見事に描かれている。

 その緊張感が、理解できた喜びや乗り越えられた達成感に変わった時、それが友だちになれたということなのだということなのだと胸に迫るものがある。



 スイスの言語地域がでてくるのだけれど、くるみが最後、京ちゃんの手紙に書いたのは英語だ。

 このあたりが心憎い。コミュニケーションは、身近なところから、とにかく始めることに意味があるという信念を感じて爽快だった。

 景色を指定して絵葉書送ってこいって言われてみたいなとか思って、これは、最後にルガーノ湖の絵葉書があるはずと、裏表紙を探してみたけれどなかった。ちょっと落胆しながら、ルガーノ湖に思いを馳せる。

 カバーをめくったら、みんなで描いた絵があった。

私のがっかりも、素敵な絵も物語の開放感につながっている。

 何もかもこれで完結ではなく、ここから始まるように仕掛けてあるのだと思える物語である。




                  

               書籍データ 佐藤まどか 作 木村いこ 絵 フレーベル館 201411
| 21:35 | 児童文学 | comments(0) | trackbacks(0) |
あめ・のち・ともだち
 さて、どこから評したものかと思う。

 

 ちょっと怖いと思っていたクラスメート、ゴウくんは、トモキの肩の傷を、カッコいいと言った。

 なんの、深い意味のない、転んでできた肩の傷。ドジでも、気持ち悪いでもなく、フォーレンジャーのイナズママークみたいでカッコいいと目を輝かせるゴウくんがいた。

 そこから急に近くなる二人。

 雨の日でも、ずっとトモキが来るまで公園で待っていたゴウくん。

 一緒に、新宿のフォーレンジャーの店に行こうと誘ってくれたゴウくん。

 だけど、ゴウくんは引っ越してしまう。トモキが会いたいと言っても、親たちは動いてくれない。

 やっと、やっとの思いで、トモキの誕生日にゴウくんがやってくることになった。しかし、その朝、ゴウくんのうちの車が動かなくなって・・・。

 飛び出したゴウくんはどこにいるのか? トモキとゴウくんは会えるのか?



 二人の切実な思いにくらべ、なんと親たちの呑気なことか。

 子どもと、親の時間の流れる速度の違いが見事に描かれている。

 

 そんな風に、思い通りにならないことがたくさんあって、子どもの時代というのは、親とは違う永遠の長さがあったなぁと思う。大きな理由もないけれど、ゴウくんとトモキの、闇雲に相手のことが好きで、凄いなぁと思っていて、友だちと言える純粋さが眩しい物語だ。



 難点もある。

 雨の中駆け寄ってきたゴウくん。新宿へのフォーレンジャーツアーはどうなったのか。

 尻切れトンボの場面転換に少し戸惑う。



 しかし、この粗さが、この作者のもつ魅力の一つとするならば、よくもまぁ、こんな状態で商業出版してもらったなと愉快な気分になる。この粗さのまま、この物語の飛躍を、もっと確かな魅力にできないものだろうかと思ったり、新人作家の処女作は、このくらいの勢いと欠点があった方が面白いと思ったり。



 実は、冒頭、どこから評したものかと言ったのにはわけがある。

 以前、この作家の、生原稿を読んだことがある。

 荒削りで、場面が飛躍し、なんだかヤッツケ感さえあるのに、恐ろしいほど魅力的だった。

 こんな作家が、自分の魅力を意識した作品を完成させてきたら、面白いことになるぞと心が躍ったことを思い出す。

 

 その作家が、とうとう出てきたのだ。

 それも、その欠点をそのままに、卵の殻を突き破って出てきたのだ。

 こんなにうれしいことはない。



 この作家が、自分の魅力を、欠点ではなく自分の武器にできる日がくるのかは、神のみぞ知る世界であろうが、とにかく、作家としての誕生を祝いたい。



  トモキとゴウくんが、明日を信じ、未来に起こるはずのことに何の疑いもなく心躍らせているように。

  私も、なんだかそんな気分である。




  



                 



              書籍データ 国土社 北原未夏子 作 市居みか 絵 201506
| 23:36 | 児童文学 | comments(2) | trackbacks(0) |
ことばの詩集 − 方言と手紙
 9cm×6cmの小さな本である。

 その中に、副題通り、方言と手紙をテーマにした詩が収録されている。



 心に直接届く、素朴でわかりやすい詩集だから語れば語るほど本質から遠ざかるような気がする。だから、読んで見てほしいと言う言葉が一番正しい感想のように思うのだけれど…。

 その中の一遍、糸永えつこ「迷い」の中の一説が、この詩集の意味を語りかけてくる。



 また取り出して 読み返し

 破る



 手紙と

 時間と心を




 手紙は、言葉という本来多数と共有するためにあるコミュニケーションツールを、一人にだけ向ける濃密さの凝固物だ。その極めてプライベートな行為と言葉を、読者に開いて見せる。時間と関係の二重構造が、途切れた情報とともに心に残る。



 方言もまた、あるコミュニティでのコミュニケーションツールという点では、読者にとって、ニュアンスを掴めないことで、登場人物にある濃密な何かを伝えてくる。

 収録の詩は、大きく分けて、方言から少し外れたところにいる詩の中の私が、方言によって経験するものと、方言の中に自分がいるからこそ、特別な言葉として響くものとに二分されているように思う。



 例えば、石谷陽子「わたしのことば」では、東京では関西弁、芦屋では東京弁といわれる自分の言葉について、読者にぶつけるようなリズムで書いてある。うたかいずみ「べっちょない」では、おばあちゃんがつかっていた、「なんとかなる。大丈夫。」という意味の「べっちょない」という言葉。その方言コミュニティから少し離れたところにいる主人公にとって、おばあちゃんだけが使う特別な言葉だ。一般的な言葉としてではなく、おばあちゃんと自分の間にある、どこか未知の魔法の言葉のように感じる様を読者と共有することに成功させている。



 そして、小野浩「勇気」のように、「はよ とびこまんか」という言葉に背中を押されて勇気を掴んだ瞬間を方言ならではの、小さなコミュニティの濃密さを、読者に感じさせるからこその入り込めないような、その場面への憧憬を感じさせ、主人公が掴んだものに、より特別な輝きを与えているのではないだろうか。



 手紙、方言。

 滅びようとしているかもしれないから、我々はそれらのものに付加価値を求めがちだ。しかし、本当の濃密さの媒体として、手紙や方言の存在を守ってくれるのは、スローガンではなく、こういった個別のエピソードであり、その言葉、場面にある力なのだと思う。


 

   



       書籍データ 掌の本 銀の鈴社 201408
| 23:55 | 児童文学 | comments(0) | trackbacks(0) |