ぜひぜひ読んでほしい本のショートreviewをUPします!
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五輪メダリストから学ぶ 「スポーツと子育てと地域デザイン」

就任時初の民間出身者として話題になった滋賀県彦根市の前教育長・前川恒廣氏がマーク・トウェインの言葉を紹介し、開会されたこのイベントは、前川氏の教育とスポーツ発展への熱い気持ちに、子供服ブランド「MIKI HOUSE」の社長で、彦根出身の木村皓一氏が呼応し今回の講演会が実現した。

 

「 今から20年後、あなたはやったことよりもやらなかったことに失望する。

 だから、綱を解き 安全な港から船を出せ。風を帆にとらえよ。

 探検せよ。夢を持ち、発見せよ。 」

 

木村氏は、創業者特有のと表現していいのか言葉に迷うが、直感と自分の思いの交差点を逃がさず大切にし、社会貢献を考え実行されており、子どもたちの健全育成、スポーツ選手への後援を行っている。オリンピック三連覇を成し遂げた柔道の野村忠宏を見れるという軽い気持ちで出かけた私にとって、企業のイメージアップなどという言葉を口にすることが下品で申し訳なく思うほどの、真摯で情熱的な話だった。木村氏の話が、この彦根で聞けただけでも、今回講演会を聞きに来た意味があると感じるほどの熱気ある話だった。

 

さて、五輪柔道史上、前人未到の三連覇を成し遂げ、「天才」といわれる野村忠宏さんの話で印象に残った部分抜粋。

 

・父からの教え「きちんと組んで、一本を取る柔道」

・努力しても結果がでないことはある。しかし、努力と続けた先にある未来の自分を信じよう。結果は出なくても、投げる瞬間に感じる爽快感、その瞬間を大切にしようと思い努力と続けて来た。

・悔しさを知っている人間は強くなれる。悔しさをばねに自分を変えられる人間が強くなれる。

 

最後に、司会進行者から、「一流のアスリートに共通していることはなんですか?」という質問があった。ロンドンオリンピック卓球競技・女子団体銀メダリスト平野早矢香さんの言葉と共に紹介したい。

 

平野早矢香さん

「長い競技人生、勝てない時期、うまくいかない時期がある。そんな時、どれだけそのことに向き合えるか。積極的に続けられるか。前向きに生活できるか。が、できる人がだと思います。」

 

野村忠宏さん

「まず、当然、本気であること。努力の仕方を知っている。目標がある以上、努力して当たり前。それにプラス、自分にとって正しい努力、意味のある努力をつくり、続けて行ける人。」

 

 

                 

 

 

| 23:47 | 講演会 | comments(0) | trackbacks(0) |
広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?

 SNSというのは、面倒なことも多いが、時々私にとてつもない楽しみをもたらしてくれる。この人面白い事いっているなぁというつぶやきに出会ったりするのだ。マエダショータというちょっとふざけ気味のアカウント、「元電通コピーライター/カウボーイ見習い」なんていうプロフィール。コメントもノリツッコミが激しくて、どこまで本気かわからない。なのに、どこか真剣で、張り詰めている感じが好きで、読んでしまう。そんな、マエダショータさんが本を出されたということで早速読んでみることにした。(知らん人やけど → マエダショータ風ノリツッコミ)

 

 まず、電通の新入社員自殺が社会問題となっている。彼女が若く東大卒で美人であったこと、長時間労働とパワハラが労働基準監督署に認められ、電通はおそらく、億単位の賠償金を遺族に支払い、電通の社長が辞任したということ。彼女がSNSでつぶやいたコメントで、電通はブラック企業だと世間から攻め立てられた。そして、また、あまりにも選民的で人をバカにした差別的な彼女の発言が存在している事実もある。社会の尻馬にのって、ブラック企業だ、長時間労働は悪いと、大企業=悪、若い女性=被害者と図式化し、社会を論じている優越感に浸るのは安易で落ち着きの良い正義感だが、そんな単純なものではないことは想像がつく。誰しも釈然としない、もしかしたら、自分に引き寄せて深く思考を働かせているのではないかと思う。しかしながら、人が一人亡くなっている以上、軽く思いは口にできない。

 

 そんな社会背景の中、ブログが注目を集め出版された本である。電通の暴露本を期待する人もマーケットに含まれているのだろうが、そんな出版側の思惑はとりあえず目をつぶることにしよう。

 この本は、元電通マンが綴る、愛と青春と、そして「元」だからこそ言える、一歩間違えればそうなってしまうことへの問題提起、そしてそうならないのは、そこに、そうしない人がいたからだろいう話である。

 原因は一つではない。だから、問題を単純化すべきではない。しかし、何かが救われる時、結構、たった一つの単純なエピソードや、存在や言葉のおかげだったりするのではないか。

 長時間労働をなくすという単純なスローガンで、企業という場所での、自由と裁量がなくならないことを祈っている一人として、この本をとても面白く共感して読んだ。

 

 作者が、自分の新人時代のエピソードを紹介している。生意気だった作者が、突然の夜間の打ち合わせをデートを理由に断った話。先輩が、そっちを優先しろと言ったというのだ。

「お前は仕事を覚えるよりもまず、大阪を好きになれ」

 この言葉は、電通という無形のものを販売する企業の根幹であり、生意気だった作者の価値観を揺さぶったものであり、先輩のカッコいい背中だったに違いない。この単純ではない影響を作者に与えた、単純なエピソードが働くという事なのだと私は思う。

 仕事場で、こんな人やこんな言葉に出会える人は幸せだ。

 

 作者の、この言葉には、企業で働くものとして共感する。

 

「オフィスで今日もカタカタとパソコンを打っているだけでは、SNSに愚痴を書き込みだけでは、何も変わらないんだ。誰も、あなたの望むようなかたちに社会を変えてはくれないんだ。

 嬉しい時は笑え、ムカついたら怒れ、悲しいと時は独りで泣け。助けてほしい時は、差し伸べられた手を握れ。

 厳しさを増す一方のこの社会においては、あなたが人間らしく振舞わないと、人として扱われないんだぞ。」

 

 仕事ができるできないなんて二の次だ。人として、この場に立つ気持ちがなければ、なにもはじまらないのだ。

 

 

 

 

 

                                               

 

                                                     

                                                書籍データ 前田将多 毎日新聞社 201702

| 12:34 | 一般書 | comments(0) | trackbacks(0) |
イーストンと春の風

 読書の楽しみと言えば、物語の大きなうねりに身を任せる喜びと、ディティールの小さな共感とか発見とか、くすぐったいような愛着が積み重なる感じの喜びと、大きく二つの楽しみがあると思う。

 たいていの本は、どっちかか、もしくはどっちかが強いものだと思うのだが、このイーストンのシリーズには、どちらの楽しみも存分にあって、なんだか困ってしまう。

 

 ここは、かぐわしの森。歩けばたちまちお腹がすいてくる。

 なぜなら、森のパン屋イーストンの焼くパンの匂いが、木々の間からしてくるからだ。

 ところがある日、イーストンのパンがうまく焼けなくなる。一緒に、ずっと仕事をしてきた小さなはね火のアチネが、動けけなくなってしまったからだ。

 

 かなしそうに、ひとつ、ほおっとけむりをはいた。

「だめなんだ。けさ、気がついたら、おいら、おどれなくなってた」

 

 仲間のため、そして自分の使命であるパンを焼く仕事を復活させるため、イーストンは森一番のものしり・ノムさんのところへ相談に行く。そして、アチネがおどれなくなったのは、春一番のせいではないかということになる。

 春一番を探すイーストン。そして、とうとう春一番を捕まえるのだが・・・・。

 

 アチネはやっぱりおどれない。

 イーストンは、自分の力を取り戻せないアチネと木の根元に黙って座る。

 

「夜の森がこわいのかい?」

 

 イーストンは、アチネを理解しているとは言えないのかもしれない。仕事のパートナーとはそういうものだ。しかし、共に時間を過ごし、同じものを見つめる。そして、仕事がうまくいくことを願い、相手を労わり気にかける。

 

 面白いのは、アチネが再び、おどりだせるのは、アチネ自身が、自分で自分をのせながら、おどってみることにチャレンジしかたらであって、わかりやすい環境も、わかりやすいきっかけも、ましてや、春一番をつかまえて何かが解決したわけでもないことだ。

 

 そんなものかもしれないと思う。アチネを救ったのは、すべての過程であり、物語であり、自分自身の思いなのだと思う。

 

 アチネというネーミングも好きだし、アチネの仕事を踊ると表現するセンスも好きだ。

「夜の森がこわいのかい?」というセリフも好きだし、イーストンとアチネの距離感、そしてこの物語の展開が好きだ。

 

 なんだか、これだけの好きが、絵物語の短い物語の中に詰まっているのだから、やっぱり好きだよなとしか言いようがない。

 是非多くの人に読んでほしい。                                            

 

 

 

 

 

                

     書籍データ 発行 出版ワークス 発売 河出書房新社 巣山ひろみ・文 佐竹美保・絵 2017.03

| 19:35 | 絵本 | comments(0) | trackbacks(0) |
逃げるは恥だが役に立つ  銑─‖慨中

 2016年年末、新垣結衣と星野源主演で、大ブームになったドラマだ。

 何度か発言しているが、私は連続ドラマが得意ではない。来週も見なくてはならないというプレッシャーが窮屈なのだ。

 しかし、火曜日の夜10時という時間設定が、なんとなく自分の生活スタイルにあったのか、強い意志はなかったものの、気楽に毎週楽しみに見ることができた。

 新垣結衣と星野源が、奇妙な題名を持つドラマの、奇妙な設定を好感度高く、そして可愛らしく演じ、また古田新太、石田ゆり子がむつかしい役柄を自然にコミカルに演じていた。

 そうなれば、原作を読みたくなるのが、人情というものである。

 

 漫画のストーリーは(今現在)概ねドラマと同じ。

 まずは、この奇妙な題名は、ハンガリーのことわざで、「恥ずかしい逃げ方だったとしても生き抜くことが大切」からとっている。

 大学院で心理学を学んだ、森山みくりは、就職難のためなかなか職がみつからない。求職中の娘に、父が紹介したのは、かつての部下・津崎平匡の家事代行だった。

 しかし、みくりの両親は、定年をきっかけに田舎へ引っ越す願望をかなえ、現状を維持したい、みくりは、津崎に「就職先としての結婚」を持ち掛け、津崎はメリットを感じ「雇用主と従業員」という結婚を受け入れる。

  他人に干渉されることを嫌い、マイペースに生きる津崎だったが、適切な距離は良好な関係を築き、みくりの妄想的愛情表現に押され、徐々に恋愛感情が芽生えていくという物語である。

 

 彼氏に「小賢しい、偉そう」という捨て台詞を残されてふられた経験から、恋愛の良いところだけが欲しいと、どこか、形式から恋愛をつかもうとする、森山みくりのピュアで積極的な妄想。

 自身を「プロの独身」と位置付ける、有能なエンジニアであり、京大卒の高齢童貞、津崎平匡。

 そこに、ゲイで洞察力がある沼田、美人で有能、企業で社会的成功をおさめたがゆえに処女のまま閉経をむかえた、みくりの伯母、土屋百合、結婚にメリットを感じないイケメン、風見涼太がからみ物語は進んでいく。

 文字で読むと、なかなかあられもない言葉での表現にはなるが、人との関係、社会での立場をけして一面的にとらえず、それぞれの価値観、立場、そして人と出会い、触れ合うことで変化していく様子を、精神面、そしてスキンシップの両面からとらえていく。

 それぞれの心の在り様は、リアルで、赤裸々で、ゆえに、胸に迫るものもあり、コミカルさで軽く読ませる部分も含め、なかなかの物語だ。

 

 「在り様」に「結論」を持たせることが可能なのか。この漫画はどんなふうに終わるのか。

 楽しみのような、そうでないような。

 

 ドラマは終わってしまったが、彼らの人生を、楽しみに見守りたいと思っている。

 

 

 

            

 

           書籍データ 海野なつみ 講談社 201306 〜 201610

| 10:16 | 漫画 | comments(0) | trackbacks(0) |
ネコヅメのよる

 猫が何かを察知する。

 全身を、その気配にそばだてている。

 町中の猫が、集まってくる。

 

 今日は、気まぐれなネコヅメのよる。

 

 猫にしかわからない、空気と、コミュニティ。

 秘密は秘密のまま幕を閉じる。

 その不可思議さ、自由さが猫の魅力であり、人は、そんな猫の姿に、もしかしたら意味のない行動と形状の中に、何かしらの意味を感じてしまうのかもしれない。

 

 がらんと空洞のような屋内。外に出たら密集市街地。なにやら空間の伸び縮みも猫がいる所以かもしれない。

猫の不思議を全身に感じ、ふとこちらも見えるような感じるような気になる絵本である。

 

 

              

              書籍データ 町田尚子 WAVE出版 201605

| 12:07 | 絵本 | comments(0) | trackbacks(0) |
あかりさん、どこへ行くの?

  なぜ本を読むのかという問いがあるとする。

 本を読むのが好きなのはなぜだろう。

 読んでいる間は、違う自分になれるから。

 経験、知識の補完。刺激がほしい。いろいろな言葉で表現できるだろう。

 本の目利きだと自分を信じレビューなど行っていると、ふと、本の選択肢が前のめりで、大切な何かを見失っているのではないかと反省する瞬間がある。この作品などは、まさしくそんな思いを感じさせてくれる物語だ。

 

 大好きなおばあちゃんが壊れていく。どうやら認知症という病気らしい。

 五年生のタケシは、靴が冷蔵庫にしまわれていた事件から、おばあちゃんの様子を不審に思うのだが、、普通のような普通でないような不思議な感覚でおばあちゃんと向き合っている。ところがそうこうしているうちにやっぱりおかしいが積み重なり、そうでない時の様子とのギャップに日常がかき乱されるようになる。

 家族の心労と、進んでいく認知症への恐怖、傷つきながらも日常は流れ、それが気がかりなタケシは、友だちともギクシャクしてしまう。

 おばあちゃんの認知症を受け止め、おばあちゃんのこれからの人生を未来あるものととらえ、自分たちの日常を大切にしながら、家族の在り方を再構築する。自分にできること。あかりさんと、どう向き合うのか。この物語のパワーは、タケシは、おばあちゃんの認知症を、例えば、おかあさんがたいへんになる等の観察的立場ではなく、どう、自分の大好きなおばあちゃんを自分が好きなままでいられるか、おばあちゃんのために、おばあちゃんと向き合う家族のために、自分にできることは何なのかという視点でのみ考えるところにあるだろう。そして、今、現状の苦しみのみにとらわれず、これまでの思い出を振り返り、自分とその人の関係をけして貶めないところにあるのだろう。

 人の老いを、沈んでゆく夕陽のように受け止められたら。老い行く者も、残されるものも幸せな最後を迎えられるに違いない。

 この物語は、間違えない家族の物語だ。

 だからこそ、物語には特別で大きな事件は起こらない。ここの描かれている認知症の姿も、誰もが知っている、見聞きしたことのある姿であろう。その話が、誰かが語るような、とつとつとした平易で誠実な言葉で描かれている。

 

 その平易さと日常性から、きっとこの本は、論じられることが少ない物語なのだとも思う。

 しかし、この本は、ある年齢、子どもたちが読むべき本なのだ。

 愛おしい誰かの老いと死に向き合わないといけなくなったとき、近しい誰かの老いと死と自分の日常を共にしなくてはいけなくなった時、この本を読んでいる子どもと、読んでいない子どもでは、うまく受け止める力が格段に違ってくるだろう。

 それは、何世代もの人間が一緒に暮らしていた時には、当たり前に体験していた訓練なのだと思う。一番近しい人の死を間違うことなく受け止める準備。それは、自分の心のためでもあるのだ。

 

 老いや死はけして待ってくれない。経験がなければ、少しの間違いを引き起こし、そのことで大きくすれ違い、自分自身に一生の傷と後悔を残す。謝りたくても相手がいなくなってしまったあとでは、何もできやしない。頭でわかっていても日常とは残酷なものなのだと思う。

 だから、間違えなかったこの家族の物語は、きっと自分の力になってくれるに違いない。

 

 おすすめの本と呼ぶには、少し地味な本である。

 だからこそ、私は、この本をすすめてほしいと、手渡し手の方に言いたい。

 作品論などという小さな話ではない、これは、子どもたちが来るべき時のためにすましておくべき経験なのだと思う。

 

                 

              書籍データ 近藤尚子・作 江頭路子・絵 フレーベル館 201610

| 18:36 | 児童文学 | comments(0) | trackbacks(0) |
好奇心のナゾを追え!! 田中久重の巻

 「アドベンチャー偉人伝」と副題がついている。現代の子どもたちが、ミッションを受けてタイムスリップ。イノベーターの邪魔をする謎の組織などがでてきて、子どもに手に取りやすいようになっているようだが、どうも、ガチャガチャとしていて読みにくく仕上がっているのは残念だ。

 しかし、からくり儀右衛門と呼ばれた、東芝の創業者・田中久重の一生は面白く読んだ。

 好奇心、人を喜ばせたいという気持ち、経済の安定など、イノベーターに必要なこともまとめてあり、一般的な偉人伝というよりは、子ども向きビジネス書といった雰囲気は、新鮮であった。

 東芝未来科学館も紹介してあり、訪れたくなる。広がりという意味でも、面白い作品。

 

                

             書籍データ 船登惟希・シナリオ 如月謙一・漫画 Gakken 201507

| 15:38 | 児童文学 | comments(0) | trackbacks(0) |
後妻業

 大竹しのぶ主演で映画化されると聞き、読んでみることにした。

 

 もはや仏に近づいているのではないかと思っても良い年齢の女性が、さらに年上の男性を色がらみで掌握し、時には、殺人さえ絡み、財産を奪うという話。人間の欲望は、死ぬまで現役なのかと思いながら、その逞しさよりも、何か、人生の最後をそんな風に迎えてしまうことへ言葉にはならない寂しさを感じる。そんな事件が時々起き、そんな事件が報道される。

 目も眩むほど、美しいわけではない犯罪者たちの姿は、何か、得体のしれない闇を見せられているようで、憤りでも、あざけりでもない、かといって他人事とは思えない後味の悪さがある。

 

 「後妻業」とは何か。結婚相談所で、高齢者を高齢者が騙し、その遺産を食いつぶす家業だ。

 騙される爺には、世間的にはごく普通の家族がおり、世間的には豊かな生活をしている。その爺が、婆に言い寄られ、遺言を書き、殺される。したたかでありながら、大事な神経が欠落している婆と、丁々発止彼女を食い物にしている男たち。すべてが刹那的で、罪悪感のかけらもない。父親の財産を取り戻そうとする姉妹と、それに協力する弁護士、そしてその委託を受けた警察あがりの探偵は、結婚相談所を強請ることを考えている。

 

 最後は後味が悪い。

 悪人は消え、正義は勝利しない。誰も何も得をせず、消化しない事実だけがポツンと読者の前に残り、また時間が流れていくのを感じる。それがこの種の犯罪の真実なのだと思いつつも、なんとも言えない思いが残る。

 これが逃げないリアリティなのだろうと思う。

 

 本の感想として書くには余談なのだが、入り口が、映画かだったものだから、映画についても言及しておこう。

 映画でも、ラストは同じだろうか。

 このラストで、テロップなのだとすれば、俳優陣はとてつもない演技力を試される場になるに違いない。

 どうしても映画が見たくなった。楽しみである。

 

 

                                                 

                                                書籍データ 黒川博行 文藝春秋 201408 

| 15:23 | 一般書 | comments(0) | trackbacks(0) |
日がさ雨がさくもりがさ

友だちとケンカした日、未央は、不思議なおじいさんに会う。傘の修理をしているというおじいさん。

買ったほうが安いかもしれないぞと、おにいちゃんは言うけれど、未央は、おかあさんに買ってもらったイチゴの長靴とお揃いの傘を大切にしたくて傘の修理を頼む。

修理する間にと、あじいさんがかしてくれた「くもりがさ」

「くもりがさ」は、くもった心にきくという。

信じられない思いで、いろいろ考えながら傘をさしていたら、不思議な青い傘には、いろいろな顔が浮かび上がってきた。その傘の表情で、友だちと仲直りできた未央。未央はみんなを楽しい気分にさせてくれるその傘を返すのが惜しくなってくる。

この傘を譲ってほしいという未央に、おじいさんは、イチゴの傘と交換するならそれでもいいと言うのだが・・・。

 

物語が、こう展開すると、不思議な傘より、お母さんが買ってくれた傘が大切に決まっているのだとストーリーを落ち着けたくなるのが人情だ。しかし、この物語はそんなところには着地しない。

 

おじいさんが、傘をみんなに貸したかったという意味を感じ取る未央。

同じ気持ちというのはどういうことかを考える未央。

 

そして、おかあさんから買ってもらった傘は、大切という言葉をこえて、未央のあるべき日常の幸福として、長靴とお揃いとして帰ってくる。

 

貴方と私というだけでない関係が生まれ始める年頃、言葉以上の含みがうまれる年頃。未央の世界は、少し大きくなり、誰かとピタッと一緒ではいられず、だけれど、守られている安心感の中に存在する。

 

子どもの世界が広がる瞬間。それは単純ではなくなるということなのだと思う。そして、。こんなにも複雑な精神的な成長を、簡単な言葉で、ありそうなエピソードでやってのけるんだから、本当に憎たらしい一冊である。

 

                                               

 

                                              書籍データ 佐藤まどか・作 ひがしちから・絵 フレーベル館 201605

| 22:56 | 児童文学 | comments(0) | trackbacks(0) |
マザーレイク

どんな映画だったのか? と問われれば、良い映画だったと答えよう。

琵琶湖の景色はどこまでも美しく、その風景を背景に、初恋と家族への思い、友情が交錯する。

関西弁とひとくくりにされて、出来の悪い大阪弁で代替されることの多い、滋賀弁が、きっちり滋賀弁として物語を盛り上げていた。

鶴田真由演じる主人公の伯母が、地元では有名なスーパー平和堂で働いており、見慣れた制服、ハトのマークが使われている。自然だけでなく、暮らす者が目にする風景、滋賀のすべてを映画は映し出していた。

滋賀への愛を存分に感じる映画。

とはいえ、つまらないという人にも共感してしまうのも事実。

最後の結論が、極めて前時代的。

琵琶湖の恐竜びわっしーを見た男の子は、夭折した母の才能を受け継ぎ写真家になるわけだが、大きな賞をもらって、ヨーロッパで数年暮らすと言う。東京に引っ越していった初恋の女の子は、滋賀に戻ってきて小学校の先生になる。

男は、才能を認められ外国へ、女は、地元で教師。

なんで、外国に行く必要があるのか? 亮介、お前の地元への愛はどこに行ったんだ?

なんと、型通りでつまらない成功が頂点として描かれていることだろう。

爽やかで、琵琶湖の風景の邪魔にならないという利点はあれど、なんだか、なんのポリシーも感じない。

私の一番の不満は、父のその後が描かれていなかったことだ。

写真家として認められていた妻が早く死に、夢のない自分が生き残った。その負い目の中で、妻に少しでも近づきたいと、会社を辞めテレビ局に勤め、姉に食べさせてもらっている。妻の見たもの、子どもの見たもの、それを感じ、突きつけられたた父はその後どうなったのか。映画にはヒントもない。

よくあるストーリーを寄せ集めているから、みんなそれぞれの経験と既視感で補てんして、物語が破たんしないのだろうなと思う。

それでも、やっぱり琵琶湖は美しい。

そんな映画である。

 

          

          

           2016 日本 監督 瀬木直貴 キャスト 内田朝陽 鶴田真由 別所哲也

| 15:22 | 映画 | comments(0) | trackbacks(0) |