ぜひぜひ読んでほしい本のショートreviewをUPします!
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SHUTO ダンサー首藤康之の世界

 「振付は二人でするものだ、恋と同じく。他者の身体という迷路を通って、私は形でありリズムであり、感情であり感動である、私自身の思考の歩みを見いだす」  モーリス・ベジャール

 

 私にとって、首藤康之は、東京バレエ団のベジャールダンサーというイメージのまま止まってしまっていた。

 ところが最近、TBSドラマ 99.9−刑事専門弁護士− で松本潤演じる深山の亡くなった父親というフラッシュバック気味のある種幾何学模様のような存在で見かけ、直感で見に行った舞台、長塚圭史作・演出【かがみのかなたはたなかのなかに】でも拝見することになり・・・ふと、首藤康之のその後に興味を持った。

 

 小学校五年生で単身ニューヨークに渡ったという、ミュージカルが好きで、舞台が好きで仕方なかった首藤少年の、恵まれているという言葉では表現しきれない一途で純粋な人生を知ることができる本だ。

 

 ダンサーへのインタビューは面白いものだと思う。

 彼らは、音楽を独特の経験として語る。それは、普遍的でありながら、ダンサーとしての体験であり、感性でも理屈でもない不思議な言葉が紡ぎだされる。                                

 

 

 

                             

 

                                                書籍データ ダンスマガジン 編 新書館 201201

| 19:08 | 一般書 | comments(0) | trackbacks(0) |
熊川哲也 Kバレエ カンパニー 「クレオパトラ」 in Cinema

 熊川哲也が主宰するKバレエカンパニーによる公演を映像化し、映画館で上映する「熊川哲也 Kバレエ カンパニー in Cinema」

 全幕オリジナルの作品として、2017年10月に上演された「クレオパトラ」の舞台を収録。全2幕5場

 

 舞台を映像で見るのは、どこか苦手だ。視線が固定されるということはこんなに窮屈なものなのだろうかとベストロケーションであるはずの映像を見ながら思う。

 今回特に窮屈さを感じたのは、画面から飛び出んばかりのアップ画像が多く、もう少し引いてバレエを楽しませてくれという思いが沸いてきたからだ。

 しかし、おかげで、Kバレエカンパニーのダンサーの顔は覚えられたということになるのかもしれないし、映画で観る層というマーケットを考えれば、ライブの舞台とは異なる見方をするということも含め、迫力を重視した映画的手法ともいえる映像は、ありなのかもしれないと思う。舞台と映画、補完か、はたまた別物と評価すべきか、役割という言葉が、頭にちらついてどうもうまく気持ちがまとまらない。

 中村祥子(クレオパトラ) 山本雅也(プトレマイオス)スチュアート・キャシディ(カエサル) 宮尾俊太郎(アントニウス)といった出演者。本公演では、複数のキャストであったはずだから、これがベストキャストなのだろう。

 

 時代背景のテロップが文字として流れる。そのことが、人に物語を求めさせすぎるのかもしれないと思う。だからこそ、未消化な部分が気持ちに残る。もしかしたら、普通に、バレエとして見たのであれば、それはそれで良いのかもしれないのにも関わらずだ。

 

 どうも歯切れが悪くなるのは、自分の中で、このもやもやした気持ちの原因が突き止められないからかもしれない。

 

 私が確信を持って言えることは、舞台セットの美しさ、衣裳のきらびやかさ、そしてラスト5分の音楽と人々の動き、感情の在り様、それだけで、この舞台は価値があるということだ。

 

 では、きっちり着地させてくれたはずの舞台の何が不満なのだと聞かれたら、私には、クレオパトラの魅力が腑に落ちなかったのだというしかない。私は、誘惑する女、愛を迷う女という主題はとても好きだ。だからこそと続ければいいのか、にもかかわらずと続ければいいのか接続詞に迷うが、迷いや孤独を感じるには至らず、権力にものをいわせたセクハラか、自堕落な権力者同士の逢瀬にしか思えなかった。歴史の荒波の中にうごめいた人の心の闇と光、女性の抗えない業が、美にまで昇華していないのだと思う。

 性を暗喩させる踊りのバリエーションは豊かでなかなか面白いし、山本雅也演じるプトレマイオスは良かった。どうしょうもないくらい男の子で、あれではクレオパトラが男に走りたくなるのがわかるし、殺されてしまう説得力を持っていた。

 

 黄金の傾斜の前にクレオパトラが座り込む場面、大きな階段の使い方は、憎らしいくらい美しく、一服の絵のようだった。

 構図としては、時の流れの大きさと世界観、そして一人の女の孤独は描かれているのだと思う。

 そして、そこから、怒涛のラスト5分に流れ込む演出だ。

 

                                                       

 

 ライブの舞台で見たら感想は変わるだろうか。なんだか、見たいような。いやいや、きっとこれは、クレオパトラが、圧巻の美しさと妖艶さで、悲しくも美しい恋と野望と、そして孤独を、身につまされるような説得力で演じてくれない限り、どこまでいっても私には響かないだろう。

 人の評価を信じ切るつもりはないが、クレオパトラを演じたのは評判の良いダンサーのようだ。今、これが限界なのだとしたら、これは、これで終わって良いような複雑な気持ちである。

 

                        

                                                             201801 日本 芸術監督・熊川哲也

| 00:45 | 映画 | comments(0) | trackbacks(0) |
花戦さ

  舞台は、戦国時代末期、京都・頂法寺六角堂。池坊専好の人生を描く。

 子どものように無邪気で好奇心にあふれた池坊専好は、信長の心を奪い、秀吉に生かしておきたいと思わせ、利休からも特別な人として目された人物。

 「花戦さ」という題は逸品だし、スクリーンの大画面で、素晴らしき「生け花」を魅せる趣向は新しく素晴らしかった。

 役者も、野村萬斎(池坊専好) 市川猿之助(秀吉) 佐々木蔵之介(前田利家) 佐藤浩市(利休)と申し分ない。

 誰もが好きな時代を、期待を煽る布陣が演じるのだ。面白くないはずがないと言いたいところなのだが、そうもいかないというのが現実というものらしい。

 秀吉と利休の確執、秀吉と確執のあった絵師の落としだねでもあり、野性的な天才少女・れんの絵と存在に、専好が感じたものはいったいなんだったのか、それぞれの人物像は見事にくっきりとしているにも関わらず、関係性がまったく迫ってこず、結局誰にも感情移入できなかった。

 それに、最後、専好が秀吉に仕掛けた一世一代の「花戦さ」。べらべら主題と現状をしゃべっちゃうあの感じは、最近のドラマや映画の傾向として、やっぱり好きになれない部分である。

 あえていうなら、その声が、佐々木蔵之介の落ち着いた声だったことが唯一の救いというところだろうか。

 

                                                        

                                                           東映 2017年6月 監督 篠原哲雄

| 11:42 | DVDなど | comments(0) | trackbacks(0) |
黄いろのトマト

博物館の大きなガラスの戸棚にいる4匹の剥製の雀蜂が語るペムペルとネリの物語。

色彩豊かな宮沢賢治の文章に、降矢ななが言葉に負けない美しい絵で応え、世界を広げている。

黄金のような黄いろのトマトとサーカスの群像、夢心地の物語が一転、日常に汚される瞬間が見事に描かれている。

 

              

           書籍データ 宮沢賢治 作 降矢なな 絵 三起商行  2013

| 19:12 | 絵本 | comments(0) | trackbacks(0) |
ヴェニスの商人

蜷川幸雄演出によるシェイクスピア劇『ヴェニスの商人』である。

シェイクスピアが活躍したルネサンス期のイギリス演劇にならって、全ての役柄を男性が演じる。女を男優が演じ、劇中で、その女が男を演じるという倒錯的な趣向を面白く見た。

 

ヴェニスで高利貸しを営むシャイロックを市川猿之助が演じている訳だが、上演当時猿之助は37歳。その年齢で、この深みを出されてしまっては、年齢を重ねて人生経験で演じるなんていう言葉が虚しくさえ思える。

現在の価値観では、喜劇として描かれたこの物語が、一人の老人の悲劇であることは社会通念として常識化しているわけだが、猿之助は、情に訴えることなく抑制のきいた演技で悲喜劇併せ持った人間の苦悩を苦悩として描いている。その抑制に文学が香り立つあたりがなんとも憎らしい。

        

 

 

                                              

                                       演出 蜷川幸雄 2013年 埼玉・彩の国さいたま芸術劇場大ホール

| 19:02 | DVDなど | comments(0) | trackbacks(0) |
「若者と死」「Being a Dancer」

 久々に、熊川哲也。

 熊川哲也Kバレエカンパニーの公演「クレオパトラ」の公演は、気がついたら終わってて、来年一月に映画として上映される。全国のイオンシネマで必ずやるようで、田舎暮らしには有り難い朗報だった。

 気がついたら終わっててという発言通り、あまり能動的なファンではない。

 しかし、凄い人として脳内にインプットされている熊川哲也は、時々、風を起こし、振り返れば、点、点と記憶を残してくれている。

 最近では、2013年フランシス・ベーコン展での、音声ガイドナビゲーターかな。

 興味深い言い回しと話で、美術館で鉛筆かりて、必死にメモするなんてあんまりない経験。

 

 映画の見に行こうと思いながらスケジュール確認していて、ふと思いついたDVD検索。

 どうしても見たかった演目が、熊川哲也で見れることを知る。

 そんなに私、バレエから遠ざかっていたのかと愕然とした瞬間でもある。

 

 「若者と死」 ジャン・コクトーの台本を、ローラン・プティが振付。バッハの「パッサカリアとフーガ」にのせて、若者と、支配的な女、翻弄、非常な仕打ち、そして死しかない結末。写真でしか見たことがない世界がそこにあり、なるほどこういうものだったのかと思った。20分弱の映像だが、コクトーの世界観が堪能でき、素晴らしいダンサーにしか踊ってほしくないというプティの思いがあふれている。初演が1946年。プティが当時22歳であったことも驚きだが、コクトーファンとしては、コクトーとバレエの幸福な出会いを感じずにはいられない。歴史ある作品であるわけだが、今見ても前衛的だと感じる。

 

 「Being a Dancer」 こちらは、舞台はロンドン、ロイヤルバレエ時代の熊川哲也の日常と、それまでの軌跡が収録されているDVD。部分的にではあるが「白鳥の湖」「海賊」「ドン・キホーテ」「ジゼル」を楽しむことができる。

 見たかったのは「バラの精」だ。バラの精と言えば、ニジンスキー。フィルムの残らないニジンスキーの名作を、熊川哲也で見れるとは、それだけでなにやら気持ちが動く。フランスの詩人テオフィル・ゴーティエの「わたしは薔薇の精、昨晩の舞踏会にあなたが連れていってくれた」の詩をもとにつくられたということ。1911年が初演。

 熊川哲也はかっこいい。

 そんなことを思いながら、あの当時、素直にかっこいいと言えなかった自分をも愛おしくなる。

 

 

               

                        若者と死(2007年)

 

                 

                     Being a Dancer(2001年)

| 16:14 | DVDなど | comments(0) | trackbacks(0) |
瞼の母

 ご存知、長谷川伸の名作「瞼の母」と言って、今の世にどのくらい通用するものかと考えてみる。

 この物語が「ご存知」でなくなっていたら、なんだか寂しい話である。久々に見て、郷愁のような愛着に胸が熱くなった。

 

 加藤泰のローアングルとクローズアップ、中村錦之助の華麗な太刀捌きと泣きの演技。

 5歳の頃分かれた母親を探す博徒・番場の忠太郎は、弟分の半次郎(松方弘樹)を逃がすために飯岡一家の喜八たちを斬ってしまう。母を探して江戸の町へ。忠太郎を追う飯岡一家の七五郎たちもまた江戸に姿を現していた。

 料亭の女主人おはま(小暮実千代)が、江州にいたと聞いた忠太郎は、もしや生き別れの母親ではないかと会いに行く。しかし、間の悪いことに、おはまの一人娘は玉の輿の婚礼準備の真っ最中。そこへ、かつておはまがどぶ板暮らしをしていた頃の知り合いが、ゆすりまがいの無心に訪れている。

 忠太郎は、20年探した会えた喜びを吐露するが、おはまは、金銭の要求か、はたまた身代の乗っ取りかと疑い、忠太郎に冷たく接するのであった。

 豊かに暮らせど過去を封じ、娘の幸せを願うあまり、保身に走る母と、堅気ではないと呼ばれる男の純情。交わらない20年という年月の重みにやるせない思いがする。

 追い返された忠太郎とすれ違った、娘と娘もフィアンセは、似ている、お兄さんでしょうと母を問い詰める。豊かに育った二人の、穢れない言葉は、忠太郎の荒んだ心情に重なり、もはや違う世界に生きているのだという悲しさを浮き彫りにする。

 

 それにしても、中村錦之助の立ち姿の美しさ。背中で語る決意や悲哀。やっぱり錦之助は凄いとほれぼれと見惚れてしまった。

 

 

                 

                                                 1962年 東映 監督 加藤泰 主演 中村錦之助

| 00:47 | DVDなど | comments(0) | trackbacks(0) |
関ヶ原

 久々の映画館での映画鑑賞という自身の環境も多分に影響していると思わなくもないが面白く拝見した。大好きな時代劇、所作としての役者の振る舞いに文句なく、勇壮ではあるが、残酷さも多分に伝える戦のシーンはいろいろな意味で現代人の鑑賞に堪えうる迫力があった。

 

 だだ、では、自分の中で大絶賛であったかと問われれば、期待していた分、期待外れのことも多かった。

 乱暴に、わかりやすく書いてしまえば、早口すぎて聞き取れないセリフが多すぎた(それでも、良い役者は聞こえるし魅せる。だが、そんなところで役者の良し悪しを視聴者に判断させることは本当に必要なのかとも思う)ということと、石田三成という人の魅力が、私にはさっぱりわからなかったということだ。

 

 もちろん、石田三成の魅力は、登場人物のセリフによっては語られる。

 島左近が、子どものように意地をはっているだけなのに人からは、知的であるがゆえにすべて戦略のように解釈されて損な人だと言う場面もあるし、島左近や大谷刑部に慕われている人だから、魅力のあった人なんでしょうねというのは伝わってくるわけだが、三成自身の姿からは感じないのだ。

 石田三成の私のイメージは知的かつ野心家、しかし、どこか狭量なところがあり、知的ゆえに自身がどこかそこにコンプレックスに似た気づきを得ているため小心で卑屈なところがあるというものだった。今回それを打破する、もしくは、にもかかわらず魅力的な石田三成像を期待していた訳だが・・・。

 石田三成とはなんだったのか、一つのアイコンでしかなく、人間味や彼自身のドラマは残念ながら感じなかったということである。

 見せどころはあったはずだ。私なら、自分を庇護する権力者あって能力を発揮できた男の、純粋でいることが許された恵まれた環境が失われ、豊臣秀吉、前田利家、失われゆくにつれ迫りくる薄汚れた世の中にどう傷つきどう足掻いたに焦点を当てたドラマが見たい。

 

    しかしながら、役者たちは魅力的であった。滝籐賢一演じる、固執と執着の権化になりつつも威厳と天才性がのこる豊臣秀吉。役所広司演じる徳川家康の老獪さと肝のすわった独善性。爪を噛んでるだけで、憎たらしい、得体のしれない闇を感じさせる役者はそうそうないだろう。松山ケンイチが演じた直江兼続も出番は多くなかったが、腹の探り合い、動きそうで動かないもどかしさと期待を感じるシーンを上手く描いていた。

有村架純の初芽は思いがけず良かった。伊賀の忍びであり、三成の恋の相手であるが、思いつめたような初々しい表情と、若さ感じる姿には画面に花を添えていた。しかしながら、後半のエピソードは、物語の全体感として必要とは言い難く、さらに、刑場に送られる三成との目配せに至っては、彼女の視点から考えれば必要かもしれないが、三成を軸に考えるなら、最後の最後に何を象徴させたいのかさっぱり理解できないとしか言いようがない。

 今回、一番、私の気持ちに残ったのは、小早川秀秋(東出昌大)である。裏切者という言葉で象徴されてしまう小早川を、当代きっての爽やかな美男子が演じるということで、どうなるのだろうと思っていたが、迷いやしがらみに翻弄されながら、自分に誠実であろうとする気弱な男の哀しさと、時代に合わない正直さが胸に迫ってきた。

 

 司馬遼太郎の『関ヶ原』は未読であり、原作と比べての話はできないが、いろいろ魅力的であり、いろいろな残念な、とたばたした映画だった。

      

                                     

                                                  2017 東宝 監督・原田眞人 主演 岡田准一

| 08:42 | 映画 | comments(0) | trackbacks(0) |
64 ロクヨン 前編 ・ 後編

 横山秀夫の小説『64(ロクヨン)』(文藝春秋 2012)の映画化。

 横山秀夫の待望の新作の映画化、豪華キャストによる、前編後編に分けた4時間にわたる映画であることも含め話題になった。

 

 作品世界については、直後に書いている。

(参考 → http://mi-bookreview.jugem.jp/?eid=22http://mi-bookreview.jugem.jp/?eid=22 )

 

 4時間という長さは全く感じなかった。

 映像の利点を大いに感じる作品でもあった。豪華キャストが、映画の呼び込み惹句には終わっていない。それぞれの人生、価値観、生きて来た道、瞬間の映像にそれが滲んでいた。膨大な情報量を与えながらも、また、同じ時間に並行して起こる様々なことを、それぞれの価値観で受け止めながら、生きている人間たちのうごめきは、映像でないと複雑すぎてうまく租借できないのだとも思った。物語ではなく、まさしく、日常のように複雑雑多な時間を見事に描いていた。

 

 俳優たちが良い。常識と野心を持ちながら、広報官の三上(佐藤浩市)に惚れる部下・諏訪(綾野剛)の若さ。部下に寛容なようでいて全く話を聞いていない県警本部長・辻内(椎名桔平)との話のかみ合わなさとデスクの上の健康野菜ジュース。新聞記者・秋川(瑛太)の尖がった正義感と使命が、戦っていたいだけなのではないかと三上に恫喝され揺らぎ問い直される瞬間。若き県警捜査二課長・落合(柄本佑)の丸腰で放り出された記者会見での記者とのやり取りや踏ん張りどころ。どれをとっても印象深いシーンだ。また、本当の悲しみを知る人間だけが持つ優しさを感じる三上の妻( 夏川結衣)をはじめ、女性陣のリアリティは原作をこえていると言ってよいと思う。

 

 幾重にも板挟みになりながら、自分の正義を貫こうとする三上と、その上司・松岡(三浦友和)の姿には何度もグッときたし、多くを語らない、娘を殺された男・雨宮(永瀬正敏)と、関わった刑事たちの時間の重みは身につまされるものがあった。

 

 「娘の不在」とどう生きるのか、「組織の歪み」をどう引き受けるのか。

 それを最後、犯人の娘の号泣に背負わせてしまう重さと、傷の象徴的構図は、映像ならではで、文字でやろうものなら非道な矛盾におぼれてしまうだろう。

 

 原作では、陽を当たる道を歩いてきたがゆえに引き受けなければならなかった損と、華のある人間故にどんな場所でも人を惹きつけ動かす人間性を持つ三上、そして、影を歩いてきたからこそ見える真実と、冷静さ、だからこそ成し遂げられる、独特の正義を持つ二渡という二人の男の生き様が交錯するのが一つの見せ場であったが、映画では、誘拐事件の顛末に関わる三上の姿が物語の主軸に据えられている。それはそれで、面白かったけれど、やっぱり、私にとって納得がいかないのは、三上の心が最後職場を離れてしまうことだ。上と刺し違えても広報官にお前を残すという二渡に、三上は背を向ける。三上が広報官を辞すると決めつける記者たちの前に三上は現れず、部下の諏訪が代わりを務める。

 三上が警察を辞めたまでは語られてないものの、職場より、娘と向き合う(家出の理由、現在の生活も不確かな不在の娘)を選ぶというラストには、世間が組織人に求める安直な成長や反省を、極めて、薄っぺらい形で背負わす、本当は何も解決していない一方的なハッピーエンドだとさえ思う。

 

 

 

         

                2016年 東宝  監督 瀬々敬久 出演 佐藤浩市 

| 23:48 | DVDなど | comments(0) | trackbacks(0) |
五輪メダリストから学ぶ 「スポーツと子育てと地域デザイン」

就任時初の民間出身者として話題になった滋賀県彦根市の前教育長・前川恒廣氏がマーク・トウェインの言葉を紹介し、開会されたこのイベントは、前川氏の教育とスポーツ発展への熱い気持ちに、子供服ブランド「MIKI HOUSE」の社長で、彦根出身の木村皓一氏が呼応し今回の講演会が実現した。

 

「 今から20年後、あなたはやったことよりもやらなかったことに失望する。

 だから、綱を解き 安全な港から船を出せ。風を帆にとらえよ。

 探検せよ。夢を持ち、発見せよ。 」

 

木村氏は、創業者特有のと表現していいのか言葉に迷うが、直感と自分の思いの交差点を逃がさず大切にし、社会貢献を考え実行されており、子どもたちの健全育成、スポーツ選手への後援を行っている。オリンピック三連覇を成し遂げた柔道の野村忠宏を見れるという軽い気持ちで出かけた私にとって、企業のイメージアップなどという言葉を口にすることが下品で申し訳なく思うほどの、真摯で情熱的な話だった。木村氏の話が、この彦根で聞けただけでも、今回講演会を聞きに来た意味があると感じるほどの熱気ある話だった。

 

さて、五輪柔道史上、前人未到の三連覇を成し遂げ、「天才」といわれる野村忠宏さんの話で印象に残った部分抜粋。

 

・父からの教え「きちんと組んで、一本を取る柔道」

・努力しても結果がでないことはある。しかし、努力と続けた先にある未来の自分を信じよう。結果は出なくても、投げる瞬間に感じる爽快感、その瞬間を大切にしようと思い努力と続けて来た。

・悔しさを知っている人間は強くなれる。悔しさをばねに自分を変えられる人間が強くなれる。

 

最後に、司会進行者から、「一流のアスリートに共通していることはなんですか?」という質問があった。ロンドンオリンピック卓球競技・女子団体銀メダリスト平野早矢香さんの言葉と共に紹介したい。

 

平野早矢香さん

「長い競技人生、勝てない時期、うまくいかない時期がある。そんな時、どれだけそのことに向き合えるか。積極的に続けられるか。前向きに生活できるか。が、できる人がだと思います。」

 

野村忠宏さん

「まず、当然、本気であること。努力の仕方を知っている。目標がある以上、努力して当たり前。それにプラス、自分にとって正しい努力、意味のある努力をつくり、続けて行ける人。」

 

 

                 

 

 

| 23:47 | 講演会 | comments(0) | trackbacks(0) |