ぜひぜひ読んでほしい本のショートreviewをUPします!
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花戦さ

  舞台は、戦国時代末期、京都・頂法寺六角堂。池坊専好の人生を描く。

 子どものように無邪気で好奇心にあふれた池坊専好は、信長の心を奪い、秀吉に生かしておきたいと思わせ、利休からも特別な人として目された人物。

 「花戦さ」という題は逸品だし、スクリーンの大画面で、素晴らしき「生け花」を魅せる趣向は新しく素晴らしかった。

 役者も、野村萬斎(池坊専好) 市川猿之助(秀吉) 佐々木蔵之介(前田利家) 佐藤浩市(利休)と申し分ない。

 誰もが好きな時代を、期待を煽る布陣が演じるのだ。面白くないはずがないと言いたいところなのだが、そうもいかないというのが現実というものらしい。

 秀吉と利休の確執、秀吉と確執のあった絵師の落としだねでもあり、野性的な天才少女・れんの絵と存在に、専好が感じたものはいったいなんだったのか、それぞれの人物像は見事にくっきりとしているにも関わらず、関係性がまったく迫ってこず、結局誰にも感情移入できなかった。

 それに、最後、専好が秀吉に仕掛けた一世一代の「花戦さ」。べらべら主題と現状をしゃべっちゃうあの感じは、最近のドラマや映画の傾向として、やっぱり好きになれない部分である。

 あえていうなら、その声が、佐々木蔵之介の落ち着いた声だったことが唯一の救いというところだろうか。

 

                                                        

                                                           東映 2017年6月 監督 篠原哲雄

| 11:42 | DVDなど | comments(0) | trackbacks(0) |
黄いろのトマト

博物館の大きなガラスの戸棚にいる4匹の剥製の雀蜂が語るペムペルとネリの物語。

色彩豊かな宮沢賢治の文章に、降矢ななが言葉に負けない美しい絵で応え、世界を広げている。

黄金のような黄いろのトマトとサーカスの群像、夢心地の物語が一転、日常に汚される瞬間が見事に描かれている。

 

              

           書籍データ 宮沢賢治 作 降矢なな 絵 三起商行  2013

| 19:12 | 絵本 | comments(0) | trackbacks(0) |
ヴェニスの商人

蜷川幸雄演出によるシェイクスピア劇『ヴェニスの商人』である。

シェイクスピアが活躍したルネサンス期のイギリス演劇にならって、全ての役柄を男性が演じる。女を男優が演じ、劇中で、その女が男を演じるという倒錯的な趣向を面白く見た。

 

ヴェニスで高利貸しを営むシャイロックを市川猿之助が演じている訳だが、上演当時猿之助は37歳。その年齢で、この深みを出されてしまっては、年齢を重ねて人生経験で演じるなんていう言葉が虚しくさえ思える。

現在の価値観では、喜劇として描かれたこの物語が、一人の老人の悲劇であることは社会通念として常識化しているわけだが、猿之助は、情に訴えることなく抑制のきいた演技で悲喜劇併せ持った人間の苦悩を苦悩として描いている。その抑制に文学が香り立つあたりがなんとも憎らしい。

        

 

 

                                              

                                       演出 蜷川幸雄 2013年 埼玉・彩の国さいたま芸術劇場大ホール

| 19:02 | DVDなど | comments(0) | trackbacks(0) |
「若者と死」「Being a Dancer」

 久々に、熊川哲也。

 熊川哲也Kバレエカンパニーの公演「クレオパトラ」の公演は、気がついたら終わってて、来年一月に映画として上映される。全国のイオンシネマで必ずやるようで、田舎暮らしには有り難い朗報だった。

 気がついたら終わっててという発言通り、あまり能動的なファンではない。

 しかし、凄い人として脳内にインプットされている熊川哲也は、時々、風を起こし、振り返れば、点、点と記憶を残してくれている。

 最近では、2013年フランシス・ベーコン展での、音声ガイドナビゲーターかな。

 興味深い言い回しと話で、美術館で鉛筆かりて、必死にメモするなんてあんまりない経験。

 

 映画の見に行こうと思いながらスケジュール確認していて、ふと思いついたDVD検索。

 どうしても見たかった演目が、熊川哲也で見れることを知る。

 そんなに私、バレエから遠ざかっていたのかと愕然とした瞬間でもある。

 

 「若者と死」 ジャン・コクトーの台本を、ローラン・プティが振付。バッハの「パッサカリアとフーガ」にのせて、若者と、支配的な女、翻弄、非常な仕打ち、そして死しかない結末。写真でしか見たことがない世界がそこにあり、なるほどこういうものだったのかと思った。20分弱の映像だが、コクトーの世界観が堪能でき、素晴らしいダンサーにしか踊ってほしくないというプティの思いがあふれている。初演が1946年。プティが当時22歳であったことも驚きだが、コクトーファンとしては、コクトーとバレエの幸福な出会いを感じずにはいられない。

 

 「Being a Dancer」 こちらは、舞台はロンドン、ロイヤルバレエ時代の熊川哲也の日常と、それまでの軌跡が収録されているDVD。部分的にではあるが「白鳥の湖」「海賊」「ドン・キホーテ」「ジゼル」を楽しむことができる。

 見たかったのは「バラの精」だ。バラの精と言えば、ニジンスキー。フィルムの残らないニジンスキーの名作を、熊川哲也で見れるとは、それだけでなにやら気持ちが動く。フランスの詩人テオフィル・ゴーティエの「わたしは薔薇の精、昨晩の舞踏会にあなたが連れていってくれた」の詩をもとにつくられたということ。1911年が初演。

 

 歴史ある作品であるわけだが、今見ても前衛的だと感じる。

 

 

               

                        若者と死(2007年)

 

                 

                     Being a Dancer(2001年)

| 16:14 | DVDなど | comments(0) | trackbacks(0) |
瞼の母

 ご存知、長谷川伸の名作「瞼の母」と言って、今の世にどのくらい通用するものかと考えてみる。

 この物語が「ご存知」でなくなっていたら、なんだか寂しい話である。久々に見て、郷愁のような愛着に胸が熱くなった。

 

 加藤泰のローアングルとクローズアップ、中村錦之助の華麗な太刀捌きと泣きの演技。

 5歳の頃分かれた母親を探す博徒・番場の忠太郎は、弟分の半次郎(松方弘樹)を逃がすために飯岡一家の喜八たちを斬ってしまう。母を探して江戸の町へ。忠太郎を追う飯岡一家の七五郎たちもまた江戸に姿を現していた。

 料亭の女主人おはま(小暮実千代)が、江州にいたと聞いた忠太郎は、もしや生き別れの母親ではないかと会いに行く。しかし、間の悪いことに、おはまの一人娘は玉の輿の婚礼準備の真っ最中。そこへ、かつておはまがどぶ板暮らしをしていた頃の知り合いが、ゆすりまがいの無心に訪れている。

 忠太郎は、20年探した会えた喜びを吐露するが、おはまは、金銭の要求か、はたまた身代の乗っ取りかと疑い、忠太郎に冷たく接するのであった。

 豊かに暮らせど過去を封じ、娘の幸せを願うあまり、保身に走る母と、堅気ではないと呼ばれる男の純情。交わらない20年という年月の重みにやるせない思いがする。

 追い返された忠太郎とすれ違った、娘と娘もフィアンセは、似ている、お兄さんでしょうと母を問い詰める。豊かに育った二人の、穢れない言葉は、忠太郎の荒んだ心情に重なり、もはや違う世界に生きているのだという悲しさを浮き彫りにする。

 

 それにしても、中村錦之助の立ち姿の美しさ。背中で語る決意や悲哀。やっぱり錦之助は凄いとほれぼれと見惚れてしまった。

 

 

                 

                                                 1962年 東映 監督 加藤泰 主演 中村錦之助

| 00:47 | DVDなど | comments(0) | trackbacks(0) |
関ヶ原

 久々の映画館での映画鑑賞という自身の環境も多分に影響していると思わなくもないが面白く拝見した。大好きな時代劇、所作としての役者の振る舞いに文句なく、勇壮ではあるが、残酷さも多分に伝える戦のシーンはいろいろな意味で現代人の鑑賞に堪えうる迫力があった。

 

 だだ、では、自分の中で大絶賛であったかと問われれば、期待していた分、期待外れのことも多かった。

 乱暴に、わかりやすく書いてしまえば、早口すぎて聞き取れないセリフが多すぎた(それでも、良い役者は聞こえるし魅せる。だが、そんなところで役者の良し悪しを視聴者に判断させることは本当に必要なのかとも思う)ということと、石田三成という人の魅力が、私にはさっぱりわからなかったということだ。

 

 もちろん、石田三成の魅力は、登場人物のセリフによっては語られる。

 島左近が、子どものように意地をはっているだけなのに人からは、知的であるがゆえにすべて戦略のように解釈されて損な人だと言う場面もあるし、島左近や大谷刑部に慕われている人だから、魅力のあった人なんでしょうねというのは伝わってくるわけだが、三成自身の姿からは感じないのだ。

 石田三成の私のイメージは知的かつ野心家、しかし、どこか狭量なところがあり、知的ゆえに自身がどこかそこにコンプレックスに似た気づきを得ているため小心で卑屈なところがあるというものだった。今回それを打破する、もしくは、にもかかわらず魅力的な石田三成像を期待していた訳だが・・・。

 石田三成とはなんだったのか、一つのアイコンでしかなく、人間味や彼自身のドラマは残念ながら感じなかったということである。

 見せどころはあったはずだ。私なら、自分を庇護する権力者あって能力を発揮できた男の、純粋でいることが許された恵まれた環境が失われ、豊臣秀吉、前田利家、失われゆくにつれ迫りくる薄汚れた世の中にどう傷つきどう足掻いたに焦点を当てたドラマが見たい。

 

    しかしながら、役者たちは魅力的であった。滝籐賢一演じる、固執と執着の権化になりつつも威厳と天才性がのこる豊臣秀吉。役所広司演じる徳川家康の老獪さと肝のすわった独善性。爪を噛んでるだけで、憎たらしい、得体のしれない闇を感じさせる役者はそうそうないだろう。松山ケンイチが演じた直江兼続も出番は多くなかったが、腹の探り合い、動きそうで動かないもどかしさと期待を感じるシーンを上手く描いていた。

有村架純の初芽は思いがけず良かった。伊賀の忍びであり、三成の恋の相手であるが、思いつめたような初々しい表情と、若さ感じる姿には画面に花を添えていた。しかしながら、後半のエピソードは、物語の全体感として必要とは言い難く、さらに、刑場に送られる三成との目配せに至っては、彼女の視点から考えれば必要かもしれないが、三成を軸に考えるなら、最後の最後に何を象徴させたいのかさっぱり理解できないとしか言いようがない。

 今回、一番、私の気持ちに残ったのは、小早川秀秋(東出昌大)である。裏切者という言葉で象徴されてしまう小早川を、当代きっての爽やかな美男子が演じるということで、どうなるのだろうと思っていたが、迷いやしがらみに翻弄されながら、自分に誠実であろうとする気弱な男の哀しさと、時代に合わない正直さが胸に迫ってきた。

 

 司馬遼太郎の『関ヶ原』は未読であり、原作と比べての話はできないが、いろいろ魅力的であり、いろいろな残念な、とたばたした映画だった。

      

                                     

                                                  2017 東宝 監督・原田眞人 主演 岡田准一

| 08:42 | 映画 | comments(0) | trackbacks(0) |
64 ロクヨン 前編 ・ 後編

 横山秀夫の小説『64(ロクヨン)』(文藝春秋 2012)の映画化。

 横山秀夫の待望の新作の映画化、豪華キャストによる、前編後編に分けた4時間にわたる映画であることも含め話題になった。

 

 作品世界については、直後に書いている。

(参考 → http://mi-bookreview.jugem.jp/?eid=22http://mi-bookreview.jugem.jp/?eid=22 )

 

 4時間という長さは全く感じなかった。

 映像の利点を大いに感じる作品でもあった。豪華キャストが、映画の呼び込み惹句には終わっていない。それぞれの人生、価値観、生きて来た道、瞬間の映像にそれが滲んでいた。膨大な情報量を与えながらも、また、同じ時間に並行して起こる様々なことを、それぞれの価値観で受け止めながら、生きている人間たちのうごめきは、映像でないと複雑すぎてうまく租借できないのだとも思った。物語ではなく、まさしく、日常のように複雑雑多な時間を見事に描いていた。

 

 俳優たちが良い。常識と野心を持ちながら、広報官の三上(佐藤浩市)に惚れる部下・諏訪(綾野剛)の若さ。部下に寛容なようでいて全く話を聞いていない県警本部長・辻内(椎名桔平)との話のかみ合わなさとデスクの上の健康野菜ジュース。新聞記者・秋川(瑛太)の尖がった正義感と使命が、戦っていたいだけなのではないかと三上に恫喝され揺らぎ問い直される瞬間。若き県警捜査二課長・落合(柄本佑)の丸腰で放り出された記者会見での記者とのやり取りや踏ん張りどころ。どれをとっても印象深いシーンだ。また、本当の悲しみを知る人間だけが持つ優しさを感じる三上の妻( 夏川結衣)をはじめ、女性陣のリアリティは原作をこえていると言ってよいと思う。

 

 幾重にも板挟みになりながら、自分の正義を貫こうとする三上と、その上司・松岡(三浦友和)の姿には何度もグッときたし、多くを語らない、娘を殺された男・雨宮(永瀬正敏)と、関わった刑事たちの時間の重みは身につまされるものがあった。

 

 「娘の不在」とどう生きるのか、「組織の歪み」をどう引き受けるのか。

 それを最後、犯人の娘の号泣に背負わせてしまう重さと、傷の象徴的構図は、映像ならではで、文字でやろうものなら非道な矛盾におぼれてしまうだろう。

 

 原作では、陽を当たる道を歩いてきたがゆえに引き受けなければならなかった損と、華のある人間故にどんな場所でも人を惹きつけ動かす人間性を持つ三上、そして、影を歩いてきたからこそ見える真実と、冷静さ、だからこそ成し遂げられる、独特の正義を持つ二渡という二人の男の生き様が交錯するのが一つの見せ場であったが、映画では、誘拐事件の顛末に関わる三上の姿が物語の主軸に据えられている。それはそれで、面白かったけれど、やっぱり、私にとって納得がいかないのは、三上の心が最後職場を離れてしまうことだ。上と刺し違えても広報官にお前を残すという二渡に、三上は背を向ける。三上が広報官を辞すると決めつける記者たちの前に三上は現れず、部下の諏訪が代わりを務める。

 三上が警察を辞めたまでは語られてないものの、職場より、娘と向き合う(家出の理由、現在の生活も不確かな不在の娘)を選ぶというラストには、世間が組織人に求める安直な成長や反省を、極めて、薄っぺらい形で背負わす、本当は何も解決していない一方的なハッピーエンドだとさえ思う。

 

 

 

         

                2016年 東宝  監督 瀬々敬久 出演 佐藤浩市 

| 23:48 | DVDなど | comments(0) | trackbacks(0) |
五輪メダリストから学ぶ 「スポーツと子育てと地域デザイン」

就任時初の民間出身者として話題になった滋賀県彦根市の前教育長・前川恒廣氏がマーク・トウェインの言葉を紹介し、開会されたこのイベントは、前川氏の教育とスポーツ発展への熱い気持ちに、子供服ブランド「MIKI HOUSE」の社長で、彦根出身の木村皓一氏が呼応し今回の講演会が実現した。

 

「 今から20年後、あなたはやったことよりもやらなかったことに失望する。

 だから、綱を解き 安全な港から船を出せ。風を帆にとらえよ。

 探検せよ。夢を持ち、発見せよ。 」

 

木村氏は、創業者特有のと表現していいのか言葉に迷うが、直感と自分の思いの交差点を逃がさず大切にし、社会貢献を考え実行されており、子どもたちの健全育成、スポーツ選手への後援を行っている。オリンピック三連覇を成し遂げた柔道の野村忠宏を見れるという軽い気持ちで出かけた私にとって、企業のイメージアップなどという言葉を口にすることが下品で申し訳なく思うほどの、真摯で情熱的な話だった。木村氏の話が、この彦根で聞けただけでも、今回講演会を聞きに来た意味があると感じるほどの熱気ある話だった。

 

さて、五輪柔道史上、前人未到の三連覇を成し遂げ、「天才」といわれる野村忠宏さんの話で印象に残った部分抜粋。

 

・父からの教え「きちんと組んで、一本を取る柔道」

・努力しても結果がでないことはある。しかし、努力と続けた先にある未来の自分を信じよう。結果は出なくても、投げる瞬間に感じる爽快感、その瞬間を大切にしようと思い努力と続けて来た。

・悔しさを知っている人間は強くなれる。悔しさをばねに自分を変えられる人間が強くなれる。

 

最後に、司会進行者から、「一流のアスリートに共通していることはなんですか?」という質問があった。ロンドンオリンピック卓球競技・女子団体銀メダリスト平野早矢香さんの言葉と共に紹介したい。

 

平野早矢香さん

「長い競技人生、勝てない時期、うまくいかない時期がある。そんな時、どれだけそのことに向き合えるか。積極的に続けられるか。前向きに生活できるか。が、できる人がだと思います。」

 

野村忠宏さん

「まず、当然、本気であること。努力の仕方を知っている。目標がある以上、努力して当たり前。それにプラス、自分にとって正しい努力、意味のある努力をつくり、続けて行ける人。」

 

 

                 

 

 

| 23:47 | 講演会 | comments(0) | trackbacks(0) |
広告業界という無法地帯へ ダイジョーブか、みんな?

 SNSというのは、面倒なことも多いが、時々私にとてつもない楽しみをもたらしてくれる。この人面白い事いっているなぁというつぶやきに出会ったりするのだ。マエダショータというちょっとふざけ気味のアカウント、「元電通コピーライター/カウボーイ見習い」なんていうプロフィール。コメントもノリツッコミが激しくて、どこまで本気かわからない。なのに、どこか真剣で、張り詰めている感じが好きで、読んでしまう。そんな、マエダショータさんが本を出されたということで早速読んでみることにした。(知らん人やけど → マエダショータ風ノリツッコミ)

 

 まず、電通の新入社員自殺が社会問題となっている。彼女が若く東大卒で美人であったこと、長時間労働とパワハラが労働基準監督署に認められ、電通はおそらく、億単位の賠償金を遺族に支払い、電通の社長が辞任したということ。彼女がSNSでつぶやいたコメントで、電通はブラック企業だと世間から攻め立てられた。そして、また、あまりにも選民的で人をバカにした差別的な彼女の発言が存在している事実もある。社会の尻馬にのって、ブラック企業だ、長時間労働は悪いと、大企業=悪、若い女性=被害者と図式化し、社会を論じている優越感に浸るのは安易で落ち着きの良い正義感だが、そんな単純なものではないことは想像がつく。誰しも釈然としない、もしかしたら、自分に引き寄せて深く思考を働かせているのではないかと思う。しかしながら、人が一人亡くなっている以上、軽く思いは口にできない。

 

 そんな社会背景の中、ブログが注目を集め出版された本である。電通の暴露本を期待する人もマーケットに含まれているのだろうが、そんな出版側の思惑はとりあえず目をつぶることにしよう。

 この本は、元電通マンが綴る、愛と青春と、そして「元」だからこそ言える、一歩間違えればそうなってしまうことへの問題提起、そしてそうならないのは、そこに、そうしない人がいたからだろいう話である。

 原因は一つではない。だから、問題を単純化すべきではない。しかし、何かが救われる時、結構、たった一つの単純なエピソードや、存在や言葉のおかげだったりするのではないか。

 長時間労働をなくすという単純なスローガンで、企業という場所での、自由と裁量がなくならないことを祈っている一人として、この本をとても面白く共感して読んだ。

 

 作者が、自分の新人時代のエピソードを紹介している。生意気だった作者が、突然の夜間の打ち合わせをデートを理由に断った話。先輩が、そっちを優先しろと言ったというのだ。

「お前は仕事を覚えるよりもまず、大阪を好きになれ」

 この言葉は、電通という無形のものを販売する企業の根幹であり、生意気だった作者の価値観を揺さぶったものであり、先輩のカッコいい背中だったに違いない。この単純ではない影響を作者に与えた、単純なエピソードが働くという事なのだと私は思う。

 仕事場で、こんな人やこんな言葉に出会える人は幸せだ。

 

 作者の、この言葉には、企業で働くものとして共感する。

 

「オフィスで今日もカタカタとパソコンを打っているだけでは、SNSに愚痴を書き込みだけでは、何も変わらないんだ。誰も、あなたの望むようなかたちに社会を変えてはくれないんだ。

 嬉しい時は笑え、ムカついたら怒れ、悲しいと時は独りで泣け。助けてほしい時は、差し伸べられた手を握れ。

 厳しさを増す一方のこの社会においては、あなたが人間らしく振舞わないと、人として扱われないんだぞ。」

 

 仕事ができるできないなんて二の次だ。人として、この場に立つ気持ちがなければ、なにもはじまらないのだ。

 

 

 

 

 

                                               

 

                                                     

                                                書籍データ 前田将多 毎日新聞社 201702

| 12:34 | 一般書 | comments(0) | trackbacks(0) |
イーストンと春の風

 読書の楽しみと言えば、物語の大きなうねりに身を任せる喜びと、ディティールの小さな共感とか発見とか、くすぐったいような愛着が積み重なる感じの喜びと、大きく二つの楽しみがあると思う。

 たいていの本は、どっちかか、もしくはどっちかが強いものだと思うのだが、このイーストンのシリーズには、どちらの楽しみも存分にあって、なんだか困ってしまう。

 

 ここは、かぐわしの森。歩けばたちまちお腹がすいてくる。

 なぜなら、森のパン屋イーストンの焼くパンの匂いが、木々の間からしてくるからだ。

 ところがある日、イーストンのパンがうまく焼けなくなる。一緒に、ずっと仕事をしてきた小さなはね火のアチネが、動けけなくなってしまったからだ。

 

 かなしそうに、ひとつ、ほおっとけむりをはいた。

「だめなんだ。けさ、気がついたら、おいら、おどれなくなってた」

 

 仲間のため、そして自分の使命であるパンを焼く仕事を復活させるため、イーストンは森一番のものしり・ノムさんのところへ相談に行く。そして、アチネがおどれなくなったのは、春一番のせいではないかということになる。

 春一番を探すイーストン。そして、とうとう春一番を捕まえるのだが・・・・。

 

 アチネはやっぱりおどれない。

 イーストンは、自分の力を取り戻せないアチネと木の根元に黙って座る。

 

「夜の森がこわいのかい?」

 

 イーストンは、アチネを理解しているとは言えないのかもしれない。仕事のパートナーとはそういうものだ。しかし、共に時間を過ごし、同じものを見つめる。そして、仕事がうまくいくことを願い、相手を労わり気にかける。

 

 面白いのは、アチネが再び、おどりだせるのは、アチネ自身が、自分で自分をのせながら、おどってみることにチャレンジしかたらであって、わかりやすい環境も、わかりやすいきっかけも、ましてや、春一番をつかまえて何かが解決したわけでもないことだ。

 

 そんなものかもしれないと思う。アチネを救ったのは、すべての過程であり、物語であり、自分自身の思いなのだと思う。

 

 アチネというネーミングも好きだし、アチネの仕事を踊ると表現するセンスも好きだ。

「夜の森がこわいのかい?」というセリフも好きだし、イーストンとアチネの距離感、そしてこの物語の展開が好きだ。

 

 なんだか、これだけの好きが、絵物語の短い物語の中に詰まっているのだから、やっぱり好きだよなとしか言いようがない。

 是非多くの人に読んでほしい。                                            

 

 

 

 

 

                

     書籍データ 発行 出版ワークス 発売 河出書房新社 巣山ひろみ・文 佐竹美保・絵 2017.03

| 19:35 | 絵本 | comments(0) | trackbacks(0) |