ぜひぜひ読んでほしい本のショートreviewをUPします!
<< May 2012 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
りんごごーごー
 昨年の夏休み、幼稚園の年長さんだった姪っ子が、大好きだった絵本。
 寝る前に、毎日のように「読んで!」と、言っていた。
 寝る前にふさわしい本には、けして思えないのだが、眠そうな目で絵本を見上げながら、くすくす笑っていた。

 言葉遊びの絵本である。

 りんご ごーごー から始まり
 いちご
 いなご
 はしご  等々
 
 末尾に、「ご」のつくものが、ごーごーと後進する。

 語感と勢いが楽しい物語である。
 文字を上手く、絵の中に踊らすことで、読み手の呼吸を巧みにコントロールしている。

 裏表紙の、「ごーごー」という文字がいっぱい走っている絵も愉快。

 なんとなく読むだけで、元気になれる不思議な絵本である。


               りんご ごーごー
              書籍データ ひさかたチャイルド 庄司三智子 200709
| 23:21 | 絵本 | comments(0) | trackbacks(0) |
糸子の体重計
 今日は、生業の仕事が、恐ろしいほど忙しく、イライラしていた。
 電話メモが机に散乱しているというのに、間の悪いことに、話し好きな取引先の社長が、あらわれた。そして、いつものごとく世間話を始める。私は、
「ごめんなさい! 今日は無理! 忙しいし、機嫌も悪いから相手してあげられない! かえって!」
と、コトバを投げつけた。
 夕方、その社長が再来店。
「夕香ちゃんに邪険にされても、ぼくは夕香ちゃんを応援したいと思っているから、シュークリームを買ってきました。」
 ちょっとおどけて言われては、こっちも笑うしかない。逃げるように、さっさとかえって行く、社長の背中を見ながら、
(美味しいものを食べさせれば、ご機嫌だって思ってるんだから・・・。)
 なんて事を思う。夕方、その後も増え続けていた電話メモをなんとか消化して、すこし落ち着いた頃、社長の顧客でもある、ケーキ屋さんの、本当に美味しいシュークリームを、女性全員で頂きながら、
「あ〜反省するよなぁ」
ってうめいたら、後輩に笑われてしまった。
 
 私は、糸子に似ているかもしれないと思う。
 いや、糸子のように見られている自分を感じると言ったほうが正確なのであろう。
 陽気で真っ直ぐ、すこし無神経だけれど、前向きで、人に太陽を感じさせるくらい、凛として自分でいることができ、人と関わることを恐れず、それでいてベタつかない糸子の存在。
 だから、私は、糸子のように見られることのリスクも充分知っている。陽気であることのリスク、真っ直ぐであるリスク、女を感じさせないことのリスク、ある局面、美徳である部分は、その大きさの分だけ、同じ分量のリスクを人にもたらすのだ。
 糸子は、小学校五年生だから、そのリスクがまだ人生にあらわれていないのかもしれない。
 すこし、胸が痛む。この先、損もいっぱい抱え込むであろう糸子は、それを跳ね返すくらい強いのかもしれない。糸子を、糸子のまま、受け入れてくれる仲間や、異性が現れるかもしれない。

 糸子を、どう読めばいいのだろうか。
 一人の人間、実像としてとらえ、5年生だからこそ書き得る、人間力だと評するには、自分の分身的部分の未来に、あまりに無責任な気がして、言葉が出てこない。

 これは、糸子という一つの神話なのではないだろうか。
 
 糸子にムカつきながらも魅かれるが、クールな表面を保つ、町田良子。
 糸子のよき理解者であり、糸子と触れ合うことで、人を見る幅を広げる、高峯理子。
 町田良子に憧れるあまり、糸子を敵視しながら自分をみつめ始める坂巻まみ。
 自分も大変な背景を持ちながらも、クラスの潤滑油たろうとし、糸子の人間性に癒されている、滝島径介。
 
 彼らは、みんな、生き難いこの時代を、自分らしくあろうと必死で生き抜いている。

 糸子は、そこにいる。
 性を持たず、生きる喜びを発散させながら、
 「子どもらしさ」「理想」という言葉にニアミスしながら、安定感を持ち、すこし無神経に、包容力に溢れ、強さと共に。

 みんな、糸子的なものを内包している。
 そして、糸子的なものを求めているのだ。

 糸子がいれば、みんな生きていける。
 そういうことではないだろうか。

                      糸子の体重計
        書籍データ 童心社 いとうみく・作 佐藤真紀子・絵 201204
| 23:01 | 児童文学 | comments(2) | trackbacks(0) |
あずまんが大王
 高校入学から、卒業までをあつかった(ほぼ!?)4コマ漫画である。
 暴走気味のともちゃん、猫好きなのにクールで男子よりも人気のある榊さん、大阪から来た忘れ物と遅刻の常習犯・春日歩、天才飛び級10歳児のちよちゃんを中心に物語は重ねられていく。
 教師陣は、大人気ないゆかり先生、人気の体育教師・黒沢先生、そして、奥さんは美人なのに思っている妄想!?が全部口からもれてしまう木村先生。
 特段、珍しいキャラクターが描かれているわけではないのだが、飛び級のちよちゃんという、漫画でなくしては、なかなか登場に勇気と段取りがいるキャラクターを無防備過ぎるほど天真爛漫に描き、物語にふくらみをだしている。また、4コマのスタイルを持つ漫画にしては珍しく、時間軸に支えられた進行をとっており、繰り返す学校行事でキャラクターも深まっていく感じが新鮮で面白かった。
 好感度の高い絵柄と、独特の間、そして、くり返しの妙が魅力的である。

             あずまんが大王 (1) (Dengeki comics EX)
         書籍データ メディアワークス あずまきよひこ 200002〜200206
| 20:47 | 漫画 | comments(0) | trackbacks(0) |
せいちゃん & むしたちのうんどうかい
  教科書掲載絵本、と、言っても教科書に物語が載っているわけではない。「よんでみよう」というコーナーに、 表紙が載っている本。( 『こくご 一 上 かざぐるま』 光村図書 )

 二冊続けてのご紹介。

 まずは『せいちゃん』
 まいにち自転車でやってくる、友だち せいちゃん。
 ぼくは、せいちゃんにある日、転校することを告げられる。
 それでも、毎日、せいちゃんはやってくるから、なんだか、ひっこしのことなんか忘れていたのに、その日はやってくる。
 せいちゃんのいない毎日。
 春になったら行きますと、せいちゃんは手紙をくれる。 
 春を、待って、待って、ぼくがせいちゃんのことをだんだん忘れていたある日。

 「おにわの ところに はるが きてるわ。」
 って ママが わらった。

 時間の流れと、お互いの時間。そして、相手のことを感じてない瞬間でさえ、友だちなら、繋がっているのだということ。再び会うまでの約束の時間が描かれている。


              せいちゃん
          書籍データ ひさかたチャイルド 松成真理子 200802

 もう一冊は『むしたちのうんどうかい』

 たくさんの虫の名前がでてきて楽しい。
 虫の特性が巧く、うんどうかいの競技に現れている。
 ミイデラゴミムシの、おならのスタート合図も面白いし、ガガンボが足が長いのに走るのが苦手なのも興味深い。
 ギンヤンマがあっというまにゴールしてしまう「とびっこきょうそう」では、チョウチョウたちは、あっちにひらひら、こっちにひらひらとゴールに辿り着けない。
 虫の世界は面白い。
 ストーリーに乗せて、小さな世界への興味を広げてくれる一冊だ。

               むしたちのうんどうかい (絵本・こどものひろば)
        書籍データ 童心社 得田之久・文 久住卓也・絵 200109
| 23:33 | 絵本 | comments(0) | trackbacks(0) |
あいうえおうさま
 教科書掲載絵本、と、言っても教科書に物語が載っているわけではない。「よんでみよう」というコーナーに、 表紙が載っている本。( 『こくご 一 上 かざぐるま』 光村図書 )

 日本には、トム・ソーヤもピッピもいない。キャラクター重視の物語が生まれにくいと、よく言われたりして、私も、そうだなぁと頷いていたりしたわけであるが、この本を読んで、そうだ、日本には、「おうさま」がいたではないかと思った。
 もちろん、おうさまは、どこの国とも知らぬ、誰でもない生き物であるがゆえに、読者に自分の分身のような気持を与えてくれるのだが、おうさまの個性は、終始一貫していて気持ちよいくらいだ。

 『あいうえおうさま』は、文字通り、「あ」の言葉を、語呂合わせの言葉と、おうさまの絵で楽しむ趣向の絵本。物語ではないことを考えれば、人気漫画のカルタのような位置づけと言えなくもないが、これがなんのなんのクオリティが高い。
 わがままで、意地っ張りで、怠け者で、かんしゃく持ちのおうさまだけど、どこか愛嬌があって、憎めない。そのおうさまの様子を、楽しくリズミカルに彩る。

 例えば「ま」
 
 まいにち まちがえ
 まだ まけおしみ
 まじめに やらずに
 まいった おうさま

 絵に宿るイマジネーションも最高である。
 おうさまファンも、はじめて手に取る読者も、ぜひ、おうさまワールドで楽しんでほしい。


              あいうえおうさま (理論社版新しい絵本)
         書籍データ 理論社 寺村輝夫・文 和歌山静子・絵
                   杉浦範茂・デザイン 1979
| 22:41 | 絵本 | comments(0) | trackbacks(0) |
男子☆弁当部 オレらの青空おむすび大作戦!
 なんたって表紙の色が綺麗だ。
 オレンジ、緑、赤、そして4巻目となる本作が、この目の覚めるような青である。
 レシピなども詳細に書かれていることからも、この本のコンセプトは、読んでもらったあと、手元においてもらうということだと思う。
 この鮮やかさと、はっきりとした色分けは、同じシリーズであることをかえって際立たせ、すべてを集めたくなるだろう。表紙も、背表紙も良い感じだと思って並べてみる。(満足)

 さて、シリーズ最終巻。
 男子☆弁当部の面々は、米どころ、新潟のに行き、田植えの手伝いをさせてもらうことになる。田んぼで作業し、「米」として食卓に届くまでの、長い過程の一部を体験し、お弁当に欠かせない「ご飯」の大切さを再確認する。
 そして、お米が最高においしく食べられる弁当をつくろうという作戦をねるのだが……。 

 勢いのある文体が特徴の作家ではあるが、「はりきりすぎている友人」に似て、ちょっとこちらの思考を停止させてしまう難はある。もちろん魅力的であるという側面は捨てがたく、これで、読者をこの勢いにpick upし始めたら怖いもの無しだとも思うのだが・・・。

 今回、いろいろなお米で調理できるレシピは載っているものの、
 お米 → 美味しく炊く → おにぎり とシンプルに書き上げたところが面白かった。
 お米が好きって言えることが、なにより、腹がくちくなることではなかろうか。
 我々は、生きて、食らう。それが楽しいといえることが何よりの幸せではないか。生命力が輝く、瞬間が、シンプルな塩おにぎりに象徴されている。

 そういえば、どう伝わるように書くのか、テーマだ、純文学だ、大衆的だ、なんて話を、わいわいしていた時に、芥川賞作家の藤沢周さんが「結局、そこに生命力が描かれていれば、人の心は動くんじゃないかな。」と、言われて、一同押し黙ったことがある。
 まさしく、その通りだと思う。

                   男子☆弁当部 オレらの青空おむすび大作戦! (ポプラ物語館)
            書籍データ ポプラ社 イノウエミホコ・作 東野さとる・絵 201202
| 23:53 | 児童文学 | comments(2) | trackbacks(0) |
八日目の蝉
 映画、小説、どちらから先に手をつけたら良かったのか、判断できずにいる。
 言い切れるのは、映画は、原作のニュアンスや意図を汲み取り、素晴らしいものに仕上げている。また小説も、小豆島の美しい風景や人情も極めて映像的に描いており、心理的物語を視覚にうったえるよう仕上げている。だから、映画を先に観ようが、小説を先に読もうが、どちらとて後になったほうでガッカリさせられることはないということだ。
 (参照  
http://yukareview.jugem.jp/?eid=175 )

 私は、映画を先に観た。だから強く感じたのかもしれないが、同じテーマを、同じように描くなかで、映画と小説の構成の違い、テーマの濃淡における観客(読者)のひきつけ方の相違は、興味深くも刺激的で、なんだか、通常の読書と違うところで感じ入ってしまった。

 ストーリーを抜き出せば双方に乖離はない。

 恋と呼ぶには、あまりに日常の延長で出会ってしまった相手には、妻がいた。
 不倫の末に堕胎し、子どもができなくなった女性・希和子。不倫相手の赤ちゃんを衝動的に誘拐し、そのまま数年を一緒に暮らす。
 穢れ無き者と、ただ、一緒にいることのできる幸せ。誘拐犯と、不倫相手の子ども。その、平和な日常は長くは続かなかった。
 
 誘拐された少女は、親元に戻る。ある日突然、本当の母親という人が現れて、エキセントリックに愛を求められることに馴染めず、大切な部分に触れないで取り繕う家族、、面白おかしく関心を持つメディア、悪意全開で接してくる世間に、傷つき戸惑い、月日は流れ、少女は大学生になっている。

 その少女、誘拐犯からは「薫」と呼ばれていた、恵理菜が、自らも不倫の子を宿し、産むと決め、誘拐犯と暮らしたエンジェルハウスにいた女性と出会い、徐々に自分の過去を見つめる気持ちを持ち始める。
 一緒にいるから、一人でいるから感じる孤独と苛立ち。それを、引き受け、許し、解放する物語だ。

 この物語を、
 映画は、誘拐犯と、今、大学生になった少女の物語を交錯させ、家族という関係性の中で描いた。 
 小説は、誘拐犯の物語 → 大学生なった少女と時系列に描き、あくまでも、少女の内的葛藤が軸になっていく。
 
 私は、この物語の主題を、どんな平凡な母と子にもある、「強烈な違和感」であると解釈している。母は、それをも自分に引き寄せて解釈し、娘を支配しようとし、娘は、その違和感も含め愛してほしいがゆえに、母の態度を憎み傷つき、自分の存在の不安、そして悪いのは自分という罪悪、それでも離れられずに自分を呪う。
 この循環を、けして相手のパーソナリティに特化せず、説得力をもたせるために、「誘拐」という枠組みと、母の像を、誘拐犯と実母の二つにかける仕組みをつくったのだと理解している。

 そのテーマを大衆にいかに見せるかと考えれば、映画と小説、その特性を存分に活かしながら書ききったのではないだろうか。

 映画では、小豆島の美しさを借りながら、家族写真で、誘拐犯である希和子と恵理菜は再会を果たす。
 小説では、実母の不倫や、事件の後ろめたさから、すべてから自分を閉じている孤独で弱い父の姿を克明に描写しながら、弱い人間の集合体としての家族を描く。そして、恵理菜は、小豆島へ向かう決意のなかで希和子の気配に出会う。
 映画は、その過程で、観客の心を存分に掴みながら、やはり最後のカタルシスは弱いという恨みは残るのではないか。その点、小説は、過程は少々理屈っぽく説明せねばならない部分はあるが、読者だけに明かされる最後の数ページは圧巻である。

 小説は、こう閉じる。

 海は陽射しを受けて、海面をちかちかと瞬かせている。茶化すみたいに、認めるみたいに、なぐさめるみたいに、許すみたいに、海面で光は踊っている。

                                               
                       八日目の蟬(中央公論新社)
                            書籍データ 中央公論新社 角田光代 200703
| 23:16 | 大人の本 | comments(0) | trackbacks(0) |
宇宙兄弟
 小山宙哉の同名コミックは、いつも書店で平積みになっており、話題にもなっていたので気にはなっていた。しかし、絵がなんとなく好みではなく、後回していたというのが正直なところ。
 ところが、その好みでない絵に、あまりにソックリなビジュアルで映画の宣伝をしていたものだから、なんだか面白くなって見に行くことにした。
 
 漫画と本当にそっくりな、宇宙飛行士を演じるのが小栗旬と岡田将生の二人。
 脇を固めるのが、堤真一、吹越満と、面白くないはずがないという役者陣だ。
 アメリカ人宇宙飛行士のバズ・オルドリンも本人役(?)で出演していて、これがまた深みのある存在感を演出している。

 幼い頃の夢、それは、兄弟二人、一緒に宇宙飛行士になること。
 2025年、弟・ヒビトは、真っ直ぐに夢にむかって進み、宇宙飛行士となる。月面長期滞在クルーの一員として、人々の期待を一身に受け、メディアの注目の的だった。一方、挫折して無職の兄・ムッタは弟との落差に落ち込んでいたが、ある日、JAXAから宇宙飛行士選抜試験の選考通過を知らせる手紙が届く。それは、ヒビトからの兄と交わした約束への思いでもあった。
 再び、夢に向かって歩み始める、ムッタ。そんな時、月面でヒビトの乗った探査機が消息を絶つ。
 死の淵をさまよいながら、地球を見、宇宙の壮大さに感動するヒビト。自分が、自分自身で「この程度」と決めた自分の枠に苦しみながら、その枠を壊し夢を再認識するムッタは、月に吠えながら弟を助けられない自分の無力を思う。
 その、距離を越えた兄弟の視線の交わりは、感動以外のなにものでもない。
 
 宇宙飛行士の選考過程もたいへん興味深く見せてもらったし、何よりも、今日的挫折から、前時代的な夢を掴んでいく未来の物語は、我々に、もう一度、夢を見ろ、それを掴めと鼓舞してくる強さがある。
 兄弟の、夢の強さ。幼い頃の思いを形にする清さ。
 兄・ムッタの焦りと、自分の思いを必死で言葉にだしていく姿は、お前の夢は何だとスクリーンの向うから問いかけてくる。

                          画像
                  森義隆 監督 2012 日本映画(東宝)
                       
                                             
| 22:42 | 映画 | comments(0) | trackbacks(0) |
いるのいないの

 京極夏彦のよる怪談絵本ということで、発売前からずいぶん噂になっていた絵本だ。
 基本ミーハーな私としては、チェックしたいところではあるのだが、今回耐えていた・・・。
 こちらの期待が煽られすぎているのだろうか、大抵、衝動買いの悪い見本のような破目に陥ることが多いのである。大人の本を描く作家が描く子どもの本という位置付けは、新鮮である反面、その作家の個性が殺されていることが多いのだ。どうせ、極めてこじんまりと、普通の物語に仕上がっていると決め付けて、今回はスルーする予定だった。

 なのにそんな時に、妹が図書館から借りてきた。余計なことを! そんな風に悪態をつきながら、結局私は読み、購入を決意してしまった。

 スルーを後悔するほど、面白かった。
 絵本でしか描き得ない怪談、これは、「視線」と「気配」の物語である。

 おばあさんの古い家で暮らすことになった少年。
 骨太い家の、天井の高さ。家が隅々まで管理できない感じ、人気のない静かな部分と、闇の存在がある大きな古い家。
 少年の因縁については何も語られないのだが、一人っきりのうなだれた少年には多くのドラマを感じる。遠近を巧みに使い分け、物語の時間の流れに、きっちりと読者を副わせることにも成功している。
 何よりも、猫の存在が良い。
 家に、当たり前のような顔で、意味ありげに存在する猫の数が、巧みに、闇と少年の心を描いていく。
 そして、男の顔。その視線。

 今夜は、トイレに起きたりしないよう気をつけなくちゃ。
 そこはかとない怖さ。何かに見られていているような視線と気配は、自分の中の何かを引きずり出す。
 そう考えると、おばあさんの「みなければ いないのと おんなじだ」という台詞は深い。心の中にある闇と共存するには、見ないということが正しいのか? それが老練な処世術なのか。理屈のような、理屈でないような。得体の知れない怖さとは、理屈と理屈でないの、その間をすり抜けて、「私」を凝視し、五感を刺激してくるものなのかもしれない。

 これから、夏に向けて、ぜひ読んでもらいたい絵本である。



                        いるのいないの(岩崎書店) 
      書籍データ 岩崎書店 京極夏彦・作 町田尚子・絵
                                                東雅夫・編 201202
  

| 21:40 | 絵本 | comments(0) | trackbacks(0) |
岡崎京子
 先日、『ヘルタースケルター』を読んだと発言したら(http://yukareview.jugem.jp/?eid=206 参照)いろいろな方から、おすすめをいただいた。
 インパクトの強い漫画だったので、同じ作者のものを続けて読むと、食傷気味になるのではないかという気がしたのだが、強烈な個性を持った絵と物語にも関わらず、けして、ひとかけらのパターンも感じなかったことこそ驚きと言うべきだろうか。

 今回、おすすめいただいた三冊を読了したわけだが、けして、職人芸的に「他人」に見える作家ではない。共通項はむしろたくさんあると言ってよいのではないか。
 若さゆえの美しさと痛み、閉塞感と、楽観、無軌道と純粋さ、性を欲望として謳歌しながらも、なぜかその中にある奇妙な、哲学性・・・孤独。死に近いところで、生命の輝きを存分に見せる。
 断片的なシーンでつないでいく物語展開も、登場人物たちのすこし乾いた距離感も、関係性で物語を描きながら、揺るがない自分をもっているキャラクターであることも。
 
『うたかたの日々』

 不思議な浮遊感をもち、女性にモテる料理人ニコラと、金持ちの青年コランは幸福な毎日を過ごしていた。
 しかし、コランが、切望の末、クロエと結婚したところから人生の歯車は狂い始める。
 豪華な結婚式、そして暮らし、その上、肺に睡蓮の花が咲く奇病に憑かれたクロエの莫大な治療費が必要になる。治療のため「花々」で部屋を埋つづけなくてならないコランは、たくさんあったお金を使い切ってしまい、働きに出なければならなくなるのだ。
 コレクターの友人夫婦の固執と崩壊をサイドストーリーに、「うたかたの日々」の終焉と、それでも続く残酷な日常を描く。
 コランは、人に死の告知を配達する、死神のような仕事までする。それでも、時間は流れる。
 世紀末的退廃が描かれているのではない。それは行き止まりの閉塞感ではなく、流れの中の先の見えない閉塞感、新しい時代へと続く息苦しさである。
 
『pink』

 ピンク色の好きなユミは22歳。昼はうだつのあがらない平凡な事務職。夜は売春しながら、鶏まるごと一匹バリバリと・・・高価でリアルな餌が必要なワニを飼って暮らしている。
 部屋をジャングルする計画。結局、水浸しにして、マンションを追い出され、継母の愛人の部屋に転がりこむ。
 ただ幸せになりたくて、欲しいものは何一つ我慢できない女の子、ユミ。
 成功と、洗練された「モノ」、愛する人をまっすぐに欲する若さ、常識にとらわれず、世論にこだわらない思考。
 ある意味、理想的な言葉に彩られながらも、「壊れている」といわざるをえない登場人物たちが、「普通の幸せ」を求める困難さを描いている。

 巻末で、ヌーヴェルヴァーグの旗手と言われた、フランスの映画監督・ジャン=リュック・ゴダールの言葉を紹介している。
 「すべての仕事は売春である」

『リバーズ・エッジ』

 河のそばの学校に通う「私たち」が繰り広げる物語である。
 河口と言っても、それは青春の象徴のような青々と続く土手ではなく、工場の煙が立ち込める中の、うっそうとはえる草の中に猫の死体が転がっているような場所で、学校も、古くひび割れ、落書きがすでに風景化したような場所である。 
 醒めた眼でタバコを吸うハルナ。同性愛者であることを自覚しながら、美しい顔ゆえに、女子にも人気があり、男子からは、イジメの標的になっている山田くん。性の中に自分のプライドを見つけ、ハルナに固執していく観音崎くん、食べては吐くモデルの吉川こずえ・・・そして死体etc.etc.
 すべては、作者自身の「ノート あとがきにかえて」が象徴しているのかもしれない。
 「すでに何もかもを持ち、そのことによって何もかも持つことを諦めなければならない子供達。無力な王子と王女。深みのない、のっぺりとした書き割りのような戦場。彼ら(彼女ら)は別に何かのドラマを生きることなど決してなく、ただ短い永遠のなかにたたずみ続けるだけだ。」

 そして、この一文は、すべての作品に通じるテーマではなかろうか。
 「平坦な戦場で僕等が生き延びること。」

 蛇足的感想ではあるが、「あとがき」で象徴的かつ知的な言葉で、物語のテーマを示唆するのが好きな作家らしいというのも正直な感想。このある種の作者自身が読者に「ヒント」を与える形態が、漫画という大衆性の高い媒体で、多くの人に論じやすい環境を与え、商業的成功をおさめさせているのかもしれないな・・・そんなことを思った。

                     うたかたの日々(宝島社)Pink(マガジンハウス)リバーズ・エッジ
              書籍データ 岡崎京子
       『うたかたの日々』 宝島社 ボリス・ヴィアン 原作 200305
       『pink』 マガジンハウス 198909
       『リバーズ・エッジ』 宝島社 199406
       
| 22:06 | 漫画 | comments(0) | trackbacks(0) |